●早起きしたら、日曜だった。ちいと損したような、得したような。
昨日、目黒川沿いの桜をみた。
「人生は咲きながら散る桜・・・」
●しかしながら、桜を見ると春を感じ、夏が来る予感にこころが巡る。やはり日本人だとも思う。
たくさんの人生のカードを切って、残りわずかな人生の軌道修正を試みる年代になっても、桜は瞬間的に春を思わせ、またやり直せる期待や、若き日々の「何でもやれそうな期待感」もしくは、「何も出来そうにない不安感」が懐かしく思えてくる。
給料日を待つ社会人になってから、どこか繰り返しに対する鈍感さを感じているが、桜のめぐりくる一年のローテーションは、それとは違う「寒さからの解放」がある。
●まだまだたくさんやりたいこともチャレンジしたいことも多いが退廃的なムードに動きが取れなくなることがある。
なにか、思慮深くなったというか、分別臭い大人になってしまったというか、自分なりにアグレッシブさが落ちている。とはいえ、他人からは相当アグレッシブに見えるらしいが、自己に対する評価は、やはり分別臭い。
●夢中になれるものがホイホイとは出てこないだろうが、出てくる人もいると思う。なら、やはりその方が楽しいに決まっている。思考停止ほどつまらないものはない。
●来週から新規事業へ向けて、開発を進めてきたものがテストに入る。もう桜が何回咲いて散ったか忘れたが、長年の夢の一つでもある。
ここらで花咲じじいになりたいものだ。
よく日本人は軍隊と桜を結び付ける。それくらい潔しと感じているのであろうが、「散る覚悟」は「咲かない」と始まらない。
やはり、咲きながら散る方が、ものの喩えとして時間が延びたようで、猶予を与えられたようで、小生のような地道な挑戦者にはありがたい気がする。
後ろに写る大橋ジャンクションやプリズムタワーが、時代が進んでいることを感じさせる。
桜並木も驚いているに違いない。