昭和五年中州小学校に入学した
一クラス三十数名の二クラスで僕は東組だった
一年生の時の担当は 伊藤先生と言ったが
暫くして養子に行かれたとのことで 小口先生となった
二年生の冬の頃の事だったろうか
朝登校すると 下駄ばきの前の廊下同級生が数人集まり
ひそひそと囁きあっている
担当の先生が警察に捕まっちゃったという事だ
当時は何のことやら理解できなかったが
後で聞くと 諏訪一円の学校の先生で
思想にそぐわない考えを持っている先生が一斉に検挙されたという事だった
従って この日を境にクラス担任が不在になってしまった
今なら直ちに代わりの先生が任命されるのだろうが
当時はどういう制度だったのか 二年の終わりまで
教頭先生が主で時には校長先生が授業をされることになった
三年生になって新しい先生が赴任してきた
国学院大卒の新卒で しかも諏訪神社上社 大祝家(おおほうり)の当主であった
この先生には 六年生までお世話になったが
感情的に大変激しい人で厳しかった
授業中に立たされる 拳骨を見舞われる・・・などは当たり前の事だった
-続-
☆僕の時代も 厳しい先生が沢山いた
寝ていると水道迄連れていかれ 頭から水をかけられたり
押されて1m位飛ばされた奴もいた
廊下に立たされるのは 当たり前
正座させられたり
漫画の世界・・・
でも 厳しくても 人間味があり暖かい先生たちで
そんなことがあっても 当時の保護者からは指示されていた
今とは全然違う 時代が違う