セピア色の記憶
それが僕が育った家であるが
僕が東京に出てきたため 何年か学校にお貸しし 管理人を置いてもらったが
昭和56年だったろうか管理人の定年退職に伴い
管理が段々と困難になり壊して小さな家に建て替えてしまった
本来は祖父にとる改築の際 思い切って新築してしまう方が結果的に良かったのだろうが
古い家の形を残したいと思ったそうで
よく考えると奇妙なところが一杯あった
三階があったからか 二階はむしろ中二階のような感じで
階下の表側玄関部分と10帖の表座敷は天井がやや低く
しかも二階の床 即ち一階の天井といういう構造だった
各部屋には炬燵があるわけだが 二階の火ツボが一階の天井に突き出していた
各部屋について 子どもの頃を主体に書いていこう
☆1.左:昭和31年ごろの我が家 御柱の年
2.右:A母屋 Bお蔵 C物置 D恵比寿屋

-二階座敷 16帖-

ここも天井が低く 明らかに8帖2間を繋いだらしく
床の間も2つ炬燵の火壺も2つ
奥の方に洋式の応接セットが籐のテ-ブルの周りに配置され
奥の窓際に本棚があり並んでいるのは殆ど俳句の本だった
この部屋には 一間巾の押入れがあったが
それとは別に一番奥に納戸があった
所がこの納戸には囲いが無く
一方は奥座敷や居間の天井裏の方に開いていて
ここから覗くと 昔こちらには座敷があったらしく
丁度下の奥座敷と居間の境あたりに 土の壁が何の意味もなく残っていた
-続-
☆高校の時 この二階に友達と2-3日泊った
目的は 学園祭で演奏するフォ-クの練習だった
この部屋に 布団を2組引くと ガラ---ンと12-13畳が空いている
更に 昔ならではのガラス 雨戸は無く 薄いカ-テンを引くだけ
風が吹くと 窓がガタガタ震え 隙間風が音をたてます
トイレは外・・・
勿論 友達は初体験 夜は一緒についていきました