千代ちゃんだと思ったら違う人だった
母が 千代ちゃんの代わりに来て戴いた「アイコサン」だと言った
裏山の向こうの藤沢村の人で行儀見習いに来たという話だった
千代ちゃんが来ないので一寸寂しい気もしたが・・・納得。
ところがその後すぐ千代ちゃんがやって来た
どういう事情だったか解らないが
まもなく千代ちゃんが帰って アイコさんが残った
ずっと 千代ちゃんに慣れていたため
失礼にもしばしば「チヨチャン」と呼んでしまう
アイコサンは「チヨチャンでいいですよ」ということで
暫くはそう呼んでいたような気がする
チヨチャンの消息は解らないし探し出す手掛かりすら無いが
アイコサンは伊那の高遠町にいる
しかも家内の実家のすぐ近くの 文房具屋さんの奥さんである
やはり懐かしい人だ
ふと思うのだが 恐怖と記憶とは関連がありそうだ 他の事は皆消えてしまって
暗い所を便所へ行く怖さが千代ちゃんの記憶に結びついているという感じである
我が家に居られた方は他にもある
後に祖父の病中も一時 別の看護婦さんがいた事もあるが
アイコサンの後だろうか
隣村で産婦人科を開いていた叔父が
家の二階に出張所を置いて 看護婦さんが常駐していた時期があった
この方の家は叔父と同じ四賀村で 終戦後にお会いする機会があった
一番懐かしく 幻の如く記憶の中に沈んでしまったのが 千代ちゃんである
-終-
☆昔の記憶の中の懐かしい人と出会ってみたいことはある
ただ 僕の場合 小学校2年で東京に出てきたこともあるが
生家での記憶が殆ど無い
写真を見ながら こんなことがあったのだって
他人のように見てるようである
親父の方が 子どもを謳歌していたように感じる