風がヴギウギ

自由気ままな風の様に毎日を切り取っていく

虎太郎ちゃん 退院しました!

2020年09月21日 | ちびっこギャングズ。ヴギ

虎太郎ちゃん 今日 退院出来ました

手術後 食べ物は柔らかいものをと言われてたのですが

どうも 元気が良すぎるみたいで

病院でも 硬めのご飯を食べていたみたいです

迎えに行ったら 一目散に腕の中へ やっと家に帰れるって安心したんでしょうね

今回の傷も何とか 無事に治りそうですが

手術と並行して心臓も検査してくれたみたいです

ブログのうさぎさんから 心臓の事を言われてたので

気にしていたのですが やはり 心臓の弁が緩くなっているようで

三か月後に又検査を進められました

人間と同じで 歳と共にすべてが弱まっているとのこと・・・

でも 虎太郎の回復力には驚いてました

もう少し 頑張ろうね・・・

家に帰って来て安心したんでしょうね

お水を飲んで 休憩中です・・・

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お彼岸・・・ 墓参り出来ず(哀)

2020年09月21日 | ばあちゃんズ。ヴギ

お彼岸に入った9月

9月21日今日は敬老の日

9月24日は ひでジイの命日

今日は 仏壇の供え物と 婆ちゃんの大好きな寿司を買っていきました

ひでジイは 酒も飲んだけど 甘いものもいける両刀使い

余り量があると 婆ちゃんじゃ食べきれないし

ぼた餅が売ってなかったので こんな 饅頭にしました(笑)

ひでジイが亡くなったのは 2002年9月24日

7時頃会社に着いた時 メ-ルが入り 無言のままPCをカバンに突っ込み

帰った覚えがあります

余りに突然で 対面したときは涙も出なかったな

それから 何年も 実家に行っても 田舎に帰っても

ひでジイの声が聞こえてるような錯覚が続いた

昔のようで・・・ 昨日のようで・・・

今年は 墓参りにも行けなかった(哀)

婆ちゃんも もう 18年もたったんだって言ってた

 

さて 婆ちゃんもひでジイも 敬老の日おめでとう

今日は 寿司だって ばあちゃん 笑ってました・・・

追記:彼岸と言えば 伝説的な 小学校の時の3号の言葉

「暑さ寒さも彼岸まで」とはどんな意味かと聞かれた 3号は・・・

「暑いのも 寒いのも 死んでしまえば 解らない」

ん? まあ 納得・・・

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親父の自作本・・・ 越後から来た千代ちゃん・・・3

2020年09月21日 | 自作本

千代ちゃんだと思ったら違う人だった

母が 千代ちゃんの代わりに来て戴いた「アイコサン」だと言った

裏山の向こうの藤沢村の人で行儀見習いに来たという話だった

千代ちゃんが来ないので一寸寂しい気もしたが・・・納得。

ところがその後すぐ千代ちゃんがやって来た

どういう事情だったか解らないが

まもなく千代ちゃんが帰って アイコさんが残った

ずっと 千代ちゃんに慣れていたため

失礼にもしばしば「チヨチャン」と呼んでしまう

アイコサンは「チヨチャンでいいですよ」ということで

暫くはそう呼んでいたような気がする

チヨチャンの消息は解らないし探し出す手掛かりすら無いが

アイコサンは伊那の高遠町にいる

しかも家内の実家のすぐ近くの 文房具屋さんの奥さんである

やはり懐かしい人だ

ふと思うのだが 恐怖と記憶とは関連がありそうだ 他の事は皆消えてしまって 

暗い所を便所へ行く怖さが千代ちゃんの記憶に結びついているという感じである

我が家に居られた方は他にもある

後に祖父の病中も一時 別の看護婦さんがいた事もあるが

アイコサンの後だろうか

隣村で産婦人科を開いていた叔父が

家の二階に出張所を置いて 看護婦さんが常駐していた時期があった

この方の家は叔父と同じ四賀村で 終戦後にお会いする機会があった

一番懐かしく 幻の如く記憶の中に沈んでしまったのが 千代ちゃんである

-終-

☆昔の記憶の中の懐かしい人と出会ってみたいことはある

ただ 僕の場合 小学校2年で東京に出てきたこともあるが

生家での記憶が殆ど無い

写真を見ながら こんなことがあったのだって

他人のように見てるようである

親父の方が 子どもを謳歌していたように感じる

 

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