一緒にご飯を食べに行った友人の中には、現在北海道大学の法学部に通う子もいて、思いもよらず、南北交流となりました。
中華を食べながら、まあそこはかとなく現況を話したり、高校時代の話をしたりで、楽しく過ごしました。
北海道大学の子は、明日帰るそうで、他の子(岡山と大阪の大学に通っている)からも、「普通は成人式の次の日は休むだろう」と突っ込まれてしまいました。
「良いもん、最終の飛行機で帰るステータスが君たちには分かるまい・・。ふははは」などと(心の中で)のたまってみたり・・。
中華料理を食べ終わったあと、さらに喫茶店に行くことになりました。
最初に向かった店が開いておらず、郡山市のビジネスホテル一階にある、その筋(大食い)では有名なカフェ・レストランに行きました。
ティーやコーヒーを飲みながら、話の続きを楽しみました。
しばらく話していると、父から電話がかかり、「最終の便に間に合う関空行きリムジンバスが16時22分発だ」とのことでした。現在の時刻は15時25分、ここから実家までは約20分、実家からリムジンバスが出る櫟本バス停までは約15分・・。まだ準備が整えきれていなかったので、かなりぎりぎりの時間でした。
ちょうど会話も一段落したころだったので、そこでティータイムはお開きになり、また先生に車で実家に送ってもらいました。
他の子たちを降ろしながら市内を回ったため、実家に着いたのは15時50分。お礼を言って、すぐに部屋に上がりました。
とりあえず、手元にあった物を全部鞄に詰め込み、急いで家を出たのが16時10分。そこから父の運転で櫟本バス停まで急ぎました。
なんとか16時20分にバス停に到着、バスが遅れていたため、ゆっくりと別れの言葉を交わす余裕もありました。
16時25分にバスが来て、乗り込みました。
その後は順調で、関西空港に到着後、最終の19時発ANA1739便の航空券を購入・搭乗手続きを無事に済ませました。
トイレに行ったり、お土産や本(ちょうど関空の特集本が売っていて、即買いました)を買ったりしている間に出発時間が近づき、手荷物検査を経て、ゲートに向かいました。
検査場の脇にあった売店で、母から言われていたリポビタンDを購入、出発予定の18番ゲートには出発15分前には着きました。
沖縄行き最終便に乗るときはいつもそうなのですが、ゲート周辺はアメリカ人でごった返していました。恐らく、ユナイテッド航空便(ANAと提携している)でアメリカから到着し、乗り継いできた米軍関係者でしょう。腕に刺青をしている人もいます。まるで国際線に乗るかのような雰囲気です。ぱっと見た感じ、日本人乗客よりも多いようにさえ見えます。
今日の機材はB767-300(JA8324)、最近重整備をしたのか、座席は新型の足元が広いタイプでした。
予定通り、19時にゲートを離れ、ランウェイに向かいましたが、到着機、先行の出発機があったため、幾分時間がたった19時20分に離陸しました。
離陸すると、しばらくして右に旋回したのですが、大阪湾を取り囲む夜景が綺麗に見渡せて、それはすばらしい眺めでした。関空も、まさに海に浮かぶ不夜城という感じで、是非写真に収めたいと思い、挑戦しましたが、なかなか上手く撮れません。こういうときは、ビデオで撮るべきで、いつもなら動画機能が付いているIXY800ISを持ち歩いているのでそれもできるのですが、今回の帰省では沖縄に置いてきてしまっていたので叶いませんでした。(またの機会に挑戦しようと思います)
それはそうと、機窓からは相変わらず美しい夜景が望め、神戸から明石海峡、姫路、岡山、その対岸の高松、瀬戸大橋へと至る光の繋がりは素晴らしい美しさでした。
四国を縦断し、太平洋に出た後は、周囲は暗くなりましたが、かなり離れたところ(九州の上空あたり)に何機かの飛行機が飛ぶ灯が見え、空の交通路があることを実感できました。
種子島の手前まで来ると、雲が出ているせいもあるのでしょうが、何も見えなくなってしまいました。ここまで一時間、ずっと窓に顔をつけていて、肩も凝ってきたので、しばらく音楽を聴いて休憩することにしました。
30分ほどが経った21時くらいになると、機体は相当高度を下げてきて、ようやく雲の下に出ました。窓には、中城湾と思しき夜景が広がり、街の灯と海に浮かぶ船たちが、人間の営みを感じさせてくれます。
しばらく沖縄島を南に向かった後、喜屋武崎灯台が灯火を回転させる様子を眼下に見ながら、右に旋回し、那覇空港への最終進入コースに入りました。
糸満と豊見城市街地の灯が窓を流れていくと、いつのまにやら那覇空港の敷地に入っていて、間もなく着陸しました。
今日のフライトは、少し気流が乱れていて、ところどころ揺れがあったものの、初めてあれほど綺麗な夜景を見られて、夜間飛行の魅力を体験できました。月が出ていれば、さらに面白い夜景が見られるのかもしれません。また撮影に挑戦してみたいものです。
那覇空港到着後、出迎えのアメリカ人たちの脇を通り抜けて、急いでゆいレールに乗ったのですが、旭橋で大学行きのバスに乗り換えようとしたところ、すでに最終のバスが出てしまって(平日ダイヤならまだ間に合ったのに・・)いました。仕方ないので、そこからタクシーで帰ってきました。
車内で運転手さんと会話(主に運転手さんが大阪で働いていたころの思い出話)していたら、少し運賃を負けてくれました。
かくして、私は今日のハードスケジュールを見事にこなして沖縄に戻ってきたのでした。
明日は早速一時間目から授業です・・・(-.-;)
中華を食べながら、まあそこはかとなく現況を話したり、高校時代の話をしたりで、楽しく過ごしました。
北海道大学の子は、明日帰るそうで、他の子(岡山と大阪の大学に通っている)からも、「普通は成人式の次の日は休むだろう」と突っ込まれてしまいました。
「良いもん、最終の飛行機で帰るステータスが君たちには分かるまい・・。ふははは」などと(心の中で)のたまってみたり・・。
中華料理を食べ終わったあと、さらに喫茶店に行くことになりました。
最初に向かった店が開いておらず、郡山市のビジネスホテル一階にある、その筋(大食い)では有名なカフェ・レストランに行きました。
ティーやコーヒーを飲みながら、話の続きを楽しみました。
しばらく話していると、父から電話がかかり、「最終の便に間に合う関空行きリムジンバスが16時22分発だ」とのことでした。現在の時刻は15時25分、ここから実家までは約20分、実家からリムジンバスが出る櫟本バス停までは約15分・・。まだ準備が整えきれていなかったので、かなりぎりぎりの時間でした。
ちょうど会話も一段落したころだったので、そこでティータイムはお開きになり、また先生に車で実家に送ってもらいました。
他の子たちを降ろしながら市内を回ったため、実家に着いたのは15時50分。お礼を言って、すぐに部屋に上がりました。
とりあえず、手元にあった物を全部鞄に詰め込み、急いで家を出たのが16時10分。そこから父の運転で櫟本バス停まで急ぎました。
なんとか16時20分にバス停に到着、バスが遅れていたため、ゆっくりと別れの言葉を交わす余裕もありました。
16時25分にバスが来て、乗り込みました。
その後は順調で、関西空港に到着後、最終の19時発ANA1739便の航空券を購入・搭乗手続きを無事に済ませました。
トイレに行ったり、お土産や本(ちょうど関空の特集本が売っていて、即買いました)を買ったりしている間に出発時間が近づき、手荷物検査を経て、ゲートに向かいました。
検査場の脇にあった売店で、母から言われていたリポビタンDを購入、出発予定の18番ゲートには出発15分前には着きました。
沖縄行き最終便に乗るときはいつもそうなのですが、ゲート周辺はアメリカ人でごった返していました。恐らく、ユナイテッド航空便(ANAと提携している)でアメリカから到着し、乗り継いできた米軍関係者でしょう。腕に刺青をしている人もいます。まるで国際線に乗るかのような雰囲気です。ぱっと見た感じ、日本人乗客よりも多いようにさえ見えます。
今日の機材はB767-300(JA8324)、最近重整備をしたのか、座席は新型の足元が広いタイプでした。
予定通り、19時にゲートを離れ、ランウェイに向かいましたが、到着機、先行の出発機があったため、幾分時間がたった19時20分に離陸しました。
離陸すると、しばらくして右に旋回したのですが、大阪湾を取り囲む夜景が綺麗に見渡せて、それはすばらしい眺めでした。関空も、まさに海に浮かぶ不夜城という感じで、是非写真に収めたいと思い、挑戦しましたが、なかなか上手く撮れません。こういうときは、ビデオで撮るべきで、いつもなら動画機能が付いているIXY800ISを持ち歩いているのでそれもできるのですが、今回の帰省では沖縄に置いてきてしまっていたので叶いませんでした。(またの機会に挑戦しようと思います)
それはそうと、機窓からは相変わらず美しい夜景が望め、神戸から明石海峡、姫路、岡山、その対岸の高松、瀬戸大橋へと至る光の繋がりは素晴らしい美しさでした。
四国を縦断し、太平洋に出た後は、周囲は暗くなりましたが、かなり離れたところ(九州の上空あたり)に何機かの飛行機が飛ぶ灯が見え、空の交通路があることを実感できました。
種子島の手前まで来ると、雲が出ているせいもあるのでしょうが、何も見えなくなってしまいました。ここまで一時間、ずっと窓に顔をつけていて、肩も凝ってきたので、しばらく音楽を聴いて休憩することにしました。
30分ほどが経った21時くらいになると、機体は相当高度を下げてきて、ようやく雲の下に出ました。窓には、中城湾と思しき夜景が広がり、街の灯と海に浮かぶ船たちが、人間の営みを感じさせてくれます。
しばらく沖縄島を南に向かった後、喜屋武崎灯台が灯火を回転させる様子を眼下に見ながら、右に旋回し、那覇空港への最終進入コースに入りました。
糸満と豊見城市街地の灯が窓を流れていくと、いつのまにやら那覇空港の敷地に入っていて、間もなく着陸しました。
今日のフライトは、少し気流が乱れていて、ところどころ揺れがあったものの、初めてあれほど綺麗な夜景を見られて、夜間飛行の魅力を体験できました。月が出ていれば、さらに面白い夜景が見られるのかもしれません。また撮影に挑戦してみたいものです。
那覇空港到着後、出迎えのアメリカ人たちの脇を通り抜けて、急いでゆいレールに乗ったのですが、旭橋で大学行きのバスに乗り換えようとしたところ、すでに最終のバスが出てしまって(平日ダイヤならまだ間に合ったのに・・)いました。仕方ないので、そこからタクシーで帰ってきました。
車内で運転手さんと会話(主に運転手さんが大阪で働いていたころの思い出話)していたら、少し運賃を負けてくれました。
かくして、私は今日のハードスケジュールを見事にこなして沖縄に戻ってきたのでした。
明日は早速一時間目から授業です・・・(-.-;)