うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

網膜静脈閉塞症

2009年03月16日 15時42分43秒 | うちなー日記(沖縄編)
「網膜静脈閉塞症」という病気があることをご存知でしょうか。
実は、私は去年の今日、3月16日にこの病気に罹り、一時は失明の危機に陥りました。

去年の3月15日、春休み前半の帰省を終え、私は沖縄に戻りました。夜には早速バイトにも行き、沖縄での通常の生活に復帰しました。
ただ、その日はさすがに疲れており、予定のシフトよりも早く、4時間ほどでバイトを切り上げて家に帰り、すぐに寝ました。

翌朝、起きて異変を感じました。
いつも、起きるとすぐにケータイで時間を確かめるのですが、その日は何故か画面が靄がかって見え、文字が読めなかったのです。
よくよく確かめてみると、右目の視界全体が真っ白になっており、ちょうど、激しい運動をした後に一時的に目の前が白くなるときのような感覚でした。
前日帰沖したばかりで、多分疲れで目が痺れてる程度のものだろうと思い、もうしばらく横になっていましたが、少しマシになったものの、視界は元に戻りません。
その日は日曜日で、眼科も開いておらず、しかたがないので疲れをとるために一日寝て過ごすことにしました。

しかし、昼寝から覚めて、日が暮れても完全には視界は元に戻りませんでした。
さすがにちょっとやばいぞと、焦り始めて、大学に行って、研究室のパソコンで情報を集めることにしました。
この時点では、朝とはやや異なり、視界のそこかしこにチカチカとした光の点が散在しているような感じになっていました。
インターネットで調べてみると、片頭痛による一時的な視力障害というものに行きあたり、疲れが原因だと思っていたので、そういう類のものなのだろうと思いました。

その翌日17日は、写真展の搬入日で、私が企画したイベントだったこともあり、戻らぬ視力をおして、朝から那覇の会場へ搬入に向かいました。日中、写真をプリントしたり、他の人の作品貼りを手伝ったりしました。
自分の作品の搬入も終わり、夕方になって、丸一日以上経つのに未だ視力が戻らないことに気付き、さすがに一時的な視力障害どころではないのかもしれないと思い始めました。
ついに眼科に受診することを決意して、写真展会場近くの眼科に行きました。
診療時間終了間際に入った診察室で診てもらった結果は、「目の血管が詰まった可能性がある」、「すぐに大きな病院で受診すべき」とのことでした。

その翌日、18日の朝、前日言われた通りに、琉球大学医学部付属病院の眼科を受診しました。大学病院の初回診察方法は独特で、最初に簡単な問診を受けた後、次に眼科の教授による診察を受け、その後専門の先生による診察となります。
専門の先生の診察の際、網膜血流の造影検査、眼球CTスキャンなどの検査を受けました。造影検査は、注射で血液中に造影剤を入れて血流を確認するのですが、薬剤の副作用のため、一瞬異常に気持ち悪くなり、吐き気を催しました。実に嫌な検査でした。

診察の結果、「網膜静脈閉塞症」と診断されました。
この病気、病名が示す通り、網膜上にある静脈が閉塞を起こし、眼底出血や網膜浮腫を引き起こします。視界が真っ白になったのは、眼底出血のためだったのです。
通常は、50代以上の高齢の方がなる病気だそうで、私のような若者がなるのは珍しいのだそうです。
血管の閉塞が続き、血流が復旧しないと、網膜機能不全に陥り、失明します。また、浮腫が黄斑(網膜の中心部)部分に及ぶと、視力が著しく低下し、長期に渡って障害が残ることもあります。実に恐ろしい病気なのです。
原因としては、血管の炎症や、動脈硬化、血液粘性の増大などがあり、私の場合は、恐らく風邪気味で血管の炎症が起きていたところに、実家の引っ越し作業や帰沖の飛行機での移動、バイトなどの疲労で血圧が過度に上がって血管を痛め、網膜中心静脈が閉塞したようでした。
幸い、完全には血管は閉塞しておらず、血流は既に再開していたので、視神経の壊死という最悪の事態は免れていました。

その後、罹患後しばらくは予断を許さない状態なため、ほぼ毎日通院することになりました。バイトも、3月20日で退職(これは元々その予定でしたが)し、極力目に負担をかけないよう気をつけました。
しばらく経ち、4月末になって、浮腫が黄斑部分に及んだために著しく視力が低下し始めました。矯正視力が0.8程度だったものが、一気に0.2まで下がり、視界の中心付近はほとんど真っ暗になってしまいました。浮腫のふくらみのため、物も歪んで見え、さすがにこのときはかなりの危機感を抱きました。
ここで、浮腫を抑えるため、レーザー治療が始まりました。浮腫の部分は網膜が眼底から浮いている状態ですから、それをレーザーで再度圧着させるのです。結構高額な治療法ですが、これも独特な課金制になってるらしく、初回に20万円(保険適用で6万円くらい)必要ですが、二回目の治療以降はお金はかかりませんでした。
さらに並行して、浮腫の治癒を促進するため、高気圧治療も受けることになりました。あのベッカムやらが使っていた療法です。琉球大学病院には高気圧外来があり、毎朝二回1時間半ずつ、潜水艦のような構造の耐圧チャンバー(10人乗りくらい)に入り、水深10mほどの気圧の中で、100%酸素の吸入をしました。
一か月ほどの間、高気圧療法に毎日通い、週に一回レーザー治療を受けました。

その間も、講義は全てキャンセルしたものの、研究室には通い続けていて、指導教官と相談の上(最初は休学もすすめられました)、私自身はほとんどパソコンには触らず、他の人に研究作業を指示して手伝ってもらいました。

そうして6月の末、ある日、研究室の壁にかかっていたカレンダーをふと見ると、日付の文字が見えることに気付きました。つい前日まで真っ暗だった視界の真ん中が、一部回復したのです。これには喜びました。
その後、徐々に浮腫は治まり、7月末には視界は完全に回復していないものの、視力は矯正視力で1.0まで回復しました。
この回復には、主治医の先生も奇跡的な早さだと驚いていて(通常は回復するにしても一年くらいはかかるらしい)、その後の年末の診察では、「今年罹患したうちの患者の中で視力が回復したのはあなたが初めてですよ」とおっしゃっていました。

現在は、まだごく一部に浮腫が点在しているものの、ほぼ視界も戻り、日常生活や車の運転に支障はありません。病院受診も3カ月に一回程度の間隔になっています。

治療中、実は一番キツかったのは、納豆が食べられなかったことだったりします。というのは、罹患後半年ほど、ワーファリンという抗血液凝固薬を服用していたのですが、青汁やクロレラ、納豆に含まれるビタミンKには血液凝固亢進作用があるため、拮抗してしまうため、禁忌だったのです。
結局半年間ほど納豆を食べられなかったのですが、納豆好きの私にとってはかなり堪えました。

目に関わる病気というのは、やはり怖いものです。今回の病気で私が学んだのは、目に異常を感じたら、すぐに眼科に受診すべきということです。
私の場合は、たまたま予後が良かったですが、本来はもっと早く、できれば救急で眼科を受診するべきだったそうです。
この病気は、若者には珍しいものではありますが、複合的な要因で誰でもなり得る病気でもあります。このブログを読んでいる人にも、是非気をつけていただきたいものです。
ともあれ、やはり目に過度の負担を掛けないことが一番なのでしょうね。