↑発掘調査に参加中の苅谷俊介氏(産経新聞記事より転載)
今朝、Yahoo!ニュースを見ていたら、次のような記事が配信されていました。多分、今日付けの産経新聞にも掲載されていると思われます。
----------------------------------------------------------
「元石原軍団の苅谷俊介さん 発掘調査参加」
3月20日20時26分配信 産経新聞
元石原軍団の苅谷俊介さん 発掘調査参加
奈良・纏向遺跡の発掘調査には、故石原裕次郎さんが率いた石原軍団の元メンバー、俳優の苅谷俊介さん(62)も参加した。
考古学に興味を持ったのは約30年前。人気刑事ドラマ「西部警察」のロケの帰り、都内で裕次郎さん宅の建て替え工事に伴う発掘調査を見たのがきっかけ。
古代ロマンにとりつかれた苅谷さんは「土運びからやります」と調査への参加を申し入れ、ロケの合間に発掘作業。今では、土器などの時代ごとの見分け方もマスターし、日本考古学協会の会員でもある。
邪馬台国の魅力にひかれ、十数年前から纒向遺跡の調査に毎年のように参加。今回、遺跡中心部の発掘を市教委から聞きつけ、3月上旬から泊まり込みで調査に加わった。「事務所のマネジャーには『3月はスケジュールを空っぽにしておいて』と頼んだぐらい」と笑顔を浮かべる。
土を削る道具「ガリ」を使って丹念に作業する姿に、市教委の橋本輝彦主任(39)は「柱穴などの遺構を探すのも安心して任せています」と太鼓判を押した。
--------------------------------------------------------
以上、引用終わり。
さて、何故この記事をこのブログに転載したかというと、実は私、この苅谷氏に一昨日遭遇したのです。
一昨日、19日は夜を徹して行われた同窓会明けで、眠い中で母校の天理高校を訪ね、恩師のO川先生や元副担任のY田先生たちと会い、同窓会での出来事を話したり、以前頼まれていた泡盛の甕入り古酒を渡したりしました。
昼前には母校訪問を終え、通勤と通学で天理市内に来ていた家族と一緒に、近頃お気に入りの桜井市の喫茶店へ食事に行きました。
その喫茶店は日替わりランチが名物で、結構人気店なのですが、ご飯時をややこえていたのに、この日は超満席で、店員さんもお疲れの様子でした。
さて、店の窓際のテーブル席でご飯を食べていたら、窓側を向いていた父が突然、「お、俳優が来たぞ」と言ったのです。振り向くと、車から降りてきた初老の作業服姿のがっしりとした男性がこちらに歩いてくるではないですか。その男性は店に入ると、私たちの席と通路を挟んだカウンター席に座り、日替わりランチを注文しました。
あまりに自然な来店と、注文の仕方に、私はてっきり地元の土木工事関係の方だと思ったのですが、父は「俳優だ」と自身たっぷり。そういえば、どこかで見た気はするのですが、その場では多分他人の空似だろうと私は思っていました。
そのときは父も名前を思い出せず、ケータイで調べようにも検索できませんでした。次々にお客さんが入ってきて、外で待っているグループもいたので、あまり長居はせず、私たちは喫茶店を後にしました。
昨日になって、父が名前を思い出したようで、「確か『かりやしゅんすけ』とか言ったかな」との情報を元に、ググって見たら、「苅谷俊介」氏の公式サイトに行きあたりました。そこの写真を見てようやく、「あれは本物だったな」と私も納得しました。
苅谷氏がかなりの考古学ファンであること、そして昨日の新聞で「卑弥呼の宮殿跡?が出土」という記事が載っていたので、多分その発掘か見学に来られていたのだろうと推測したのですが、そこに今朝の新聞記事が目に入ってきたのです。
遭遇した喫茶店は、当の纒向遺跡からJRの線路を挟んですぐの場所にあり、多分昼休みに寄ったのでしょうか。
日本考古学協会は現在国内でも最も権威ある考古学会だそうで、その会員になるとは、趣味もここまで極めると良いものですね。
私も帰省の際にはよくその喫茶店を利用していますから、また遭遇の機会もあるかもしれません。
今朝、Yahoo!ニュースを見ていたら、次のような記事が配信されていました。多分、今日付けの産経新聞にも掲載されていると思われます。
----------------------------------------------------------
「元石原軍団の苅谷俊介さん 発掘調査参加」
3月20日20時26分配信 産経新聞
元石原軍団の苅谷俊介さん 発掘調査参加
奈良・纏向遺跡の発掘調査には、故石原裕次郎さんが率いた石原軍団の元メンバー、俳優の苅谷俊介さん(62)も参加した。
考古学に興味を持ったのは約30年前。人気刑事ドラマ「西部警察」のロケの帰り、都内で裕次郎さん宅の建て替え工事に伴う発掘調査を見たのがきっかけ。
古代ロマンにとりつかれた苅谷さんは「土運びからやります」と調査への参加を申し入れ、ロケの合間に発掘作業。今では、土器などの時代ごとの見分け方もマスターし、日本考古学協会の会員でもある。
邪馬台国の魅力にひかれ、十数年前から纒向遺跡の調査に毎年のように参加。今回、遺跡中心部の発掘を市教委から聞きつけ、3月上旬から泊まり込みで調査に加わった。「事務所のマネジャーには『3月はスケジュールを空っぽにしておいて』と頼んだぐらい」と笑顔を浮かべる。
土を削る道具「ガリ」を使って丹念に作業する姿に、市教委の橋本輝彦主任(39)は「柱穴などの遺構を探すのも安心して任せています」と太鼓判を押した。
--------------------------------------------------------
以上、引用終わり。
さて、何故この記事をこのブログに転載したかというと、実は私、この苅谷氏に一昨日遭遇したのです。
一昨日、19日は夜を徹して行われた同窓会明けで、眠い中で母校の天理高校を訪ね、恩師のO川先生や元副担任のY田先生たちと会い、同窓会での出来事を話したり、以前頼まれていた泡盛の甕入り古酒を渡したりしました。
昼前には母校訪問を終え、通勤と通学で天理市内に来ていた家族と一緒に、近頃お気に入りの桜井市の喫茶店へ食事に行きました。
その喫茶店は日替わりランチが名物で、結構人気店なのですが、ご飯時をややこえていたのに、この日は超満席で、店員さんもお疲れの様子でした。
さて、店の窓際のテーブル席でご飯を食べていたら、窓側を向いていた父が突然、「お、俳優が来たぞ」と言ったのです。振り向くと、車から降りてきた初老の作業服姿のがっしりとした男性がこちらに歩いてくるではないですか。その男性は店に入ると、私たちの席と通路を挟んだカウンター席に座り、日替わりランチを注文しました。
あまりに自然な来店と、注文の仕方に、私はてっきり地元の土木工事関係の方だと思ったのですが、父は「俳優だ」と自身たっぷり。そういえば、どこかで見た気はするのですが、その場では多分他人の空似だろうと私は思っていました。
そのときは父も名前を思い出せず、ケータイで調べようにも検索できませんでした。次々にお客さんが入ってきて、外で待っているグループもいたので、あまり長居はせず、私たちは喫茶店を後にしました。
昨日になって、父が名前を思い出したようで、「確か『かりやしゅんすけ』とか言ったかな」との情報を元に、ググって見たら、「苅谷俊介」氏の公式サイトに行きあたりました。そこの写真を見てようやく、「あれは本物だったな」と私も納得しました。
苅谷氏がかなりの考古学ファンであること、そして昨日の新聞で「卑弥呼の宮殿跡?が出土」という記事が載っていたので、多分その発掘か見学に来られていたのだろうと推測したのですが、そこに今朝の新聞記事が目に入ってきたのです。
遭遇した喫茶店は、当の纒向遺跡からJRの線路を挟んですぐの場所にあり、多分昼休みに寄ったのでしょうか。
日本考古学協会は現在国内でも最も権威ある考古学会だそうで、その会員になるとは、趣味もここまで極めると良いものですね。
私も帰省の際にはよくその喫茶店を利用していますから、また遭遇の機会もあるかもしれません。