うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

今日は暖かかったですね。

2010年01月19日 23時14分51秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
今日の札幌は、久々に氷点下から脱出、気温が1度まで上がりました。確かに体感でも、少しは暖かく感じました。
道に積もった雪も溶け、久しぶりに車線が見えるようになりました。
明日は、7度まで気温が上がるので、さらに積雪は溶けるでしょう。路面がシャーベット状になり、車が泥を跳ねるし、自転車で上手く走れないしで、中途半端な暖かさはかえって面倒だったりもします。
この暖かさ、いつまで続くかと思ったら、今日明日で終わりで、週末からは再び寒気が戻り、しばらくまた氷点下10度近い寒さとなるそうです。
北大の研究室の教授がおっしゃるには、「ここ数年暖冬傾向が続いていたけど、久しぶりに冬らしい冬になったねぇ・・」ということです。

今日の北大

2010年01月18日 14時23分27秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
真っ白です。

そういえば先日、あしたのジョーの総集編みたいなのが深夜に放送していました。

力石徹戦以降、ホセ・メンドーサ戦までの内容でした。私は初めてジョーのアニメを見たのですが、ついつい裏でやっていた「リング」ともども最後まで見てしまいましたよ。
真っ白だぜ・・。

阪神淡路大震災から15年目に思うこと。

2010年01月17日 17時11分48秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
今日、1月17日で、阪神淡路大震災(平成7年兵庫県南部地震)の発生から15年が経ちました。私はまだ幼かったですが、今でも発生当時の様子を鮮明に覚えています。

発生当時、私は小学二年生でした。震源から奈良の実家までの距離はおよそ50キロ、人生で初めて身近に体験した、大地震でした。
私はそのとき、風邪で一週間学校を休んでおり、成人の日と振替休日の連休明け(当日は火曜日)で、久しぶりに登校できるのを楽しみに、眠りに就いていました。
早朝、強烈な地響きと揺れで目を覚ましました。まだ弟が生まれる前で、家族3人でベッドで寝ていたのですが、とっさに父が私に覆いかぶさり、守ってくれたのを覚えています。
生まれてこの方、地震の少ない奈良で育ち、起きてもせいぜい震度1や2程度だったため、その揺れが地震だと、私には理解できず、ただ非常に長い時間(に感じました)揺れに翻弄され続けました。
余震(「揺り戻し」とそのときは言っていた)を恐れて、しばらくは2階の寝室から出ないで、部屋にあったラジオで速報を聴きました。
奈良の震度は4。幸い、我が家に目立った被害はなく、壁に少しひびが入り、ピアノの上の一輪挿しが倒れ、壁にかけていたフォトフレームが斜めにずれた程度で済みました。ただ、当時は市町村毎に地震計が設置されておらず、発表震度よりも揺れが大きかった可能性はあります。(大阪の震度も4でしたが、実際には兵庫県との境界付近では震度6から7の揺れを観測していました)
夜が明け、登校の支度をしながらテレビを見ていましたが、まだ神戸の惨状についてはほとんど情報が入っていませんでした。しかし、別部屋で寝ていた祖母(大正8年生まれ)も、初めて経験するような揺れと言っていたので、大きな地震だったんだなという感覚はありました。
歯を磨いている最中にも大きな余震があり、柱にしがみついて堪えました。
私の小学校では、その日は授業は行われず、ずっと教室のテレビで震災の状況を見ていました。高速道路の橋げたが落ち、ビルが倒壊している神戸の映像を見て、皆驚いていました。

地震発生から数日後、地元の中学校の生徒会が発起して、おにぎりや救援物資を被災地に送り届けることになり、私の小学校も学校を挙げて協力しました。各児童(全校生徒約700人)が家で10個のおにぎりを作り、持ち寄るというものでした。
私も、当時覚えたてのラップおにぎりを、母と一緒に一生懸命作ったものです。そのおにぎりは、すぐさま自衛隊のヘリ(4機編隊で、なんと中学校の運動場に着陸した)で神戸に運ばれました。

私自身は、地震後しばらく夜寝るのが怖くて、なかなか寝付けない日々が続きました。蛍光灯を点けっぱなしで寝たほどです。(というか、未だに真っ暗では寝付けず、豆電球を点けていつも寝ています)
あの地震は幼かった私にも、少なからず影響を与えました。


ここまでは私の回想でしたが、さて、阪神淡路大震災から15年が経った、今の日本の防災はどうなっているのでしょうか。
神戸の地震は、現代都市における直下型地震のリスクを世界に示しました。
また、折しも先日発生したハイチの地震は、首都直下で地震が発生し、その機能が麻痺したときの恐ろしさを伝えています。
翻って、日本の首都である東京は、世界で最も災害リスクの高いメガシティとされています。今後数十年以内に、非常に高確率で巨大地震が発生するためです。
しかし、その東京都市圏内に、皇室、立法府、行政府の中枢、企業の本社機能、金融センター、放送メディアのキー局、さらには航空ハブ機能まで集積されています。都市圏人口は世界一の約3700万人で、二位のニューヨークの1900万人の二倍近くに相当します。
日本は現在でも世界第二位の経済規模を有しており、そんな国の主要機能が集積した都市が災害に遭い、機能停止した場合、世界に与える影響もかなりのものになると予想されます。
しかも、東京は「万が一」ではなく、「確実に」近い将来に巨大地震に見舞われます。
この15年で、街の耐震化は確かに進みましたが、本気で日本を災害に強い国にしたいのであれば、東京の各機能の地方への分散は必須だと思います。

一時期、首都機能移転の論議が活発化し、その候補地域も発表されていました。しかし、最近は目先の経済対策や福祉政策に政治の論議が集中し、大きな進展は見られません。
殊、自然災害に対する備えの問題は、時代の雰囲気で左右されるようなものではなく、一刻も早くに議論されるべきだと私は思います。

雪の道

2010年01月17日 16時43分43秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
昨晩から、札幌市周辺は局地的に大雪となったようで、新たにかなり降り積もりました。

昨日は歩道上の雪はあらかた踏み固められていたので、自転車でも走れましたが、今日は雪にタイヤが埋まってしまい、ほとんど役に立ちません。
一歩一歩雪を踏み締め、自ら道を造る感覚で歩くしかありません。

雪の影響で、電車が遅延したため、今日の北大でのセンター試験は開始時間が繰下げられたそうです。北国で「雪の影響」というほどですから、相当な大雪だったのでしょう。

外を歩いていたら、至る所で除雪作業をしていました。民家の住民はもちろん、ガソリンスタンドや病院などでは、従業員総出で出入口の雪をかいていました。
これまで映画やテレビでしか見たことのないような光景が当たり前の場所に、自分は今住んでいるんだな・・と実感しました。

センター試験中

2010年01月17日 13時52分59秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
お出かけついでに北海道大学構内に入ってみました。
ちょうどセンター試験が行われていて、厳戒体制です。

今頃、受験生たちは一生懸命に試験問題に取り組んでいることでしょう。
願わくば、彼等の実力が遺憾無く発揮され、少しでも多くの人が志望の大学に受かりますように。
(>人<)

コカコーラ雪まつり仕様缶

2010年01月16日 20時53分50秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
札幌市内の自動販売機で発見し、買いました。

2月5日から一週間、札幌市の大通公園をメイン会場に、さっぽろ雪まつりが行われます。
大通公園では、既に昨日までで雪像用の雪の搬入が終了し、雪像の製作が本格的に始まっています。

これまで、何度か雪まつりを見に来ようと思ったのですが、大学時代は期末試験期間と重なり、札幌まで来ることはできませんでした。
今年は徒歩圏内に住んでいますから、何回でも見に行けますね。
いや~、楽しみですな。

ところで、街中でコーラを買って飲んでいたら、缶に口を付ける度にどんどん冷たくなって、驚きました。そう、コーラの自販機での温度は5度前後、対して外気温はマイナス6度なのです。なるほど、冷蔵庫同様、自販機は北国では保温庫なのだと改めて実感しました。

沖縄の夕日?・・・あれっ!?

2010年01月15日 18時08分12秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
琉球大学の研究室の後輩に撮ってもらった、今日の沖縄の夕焼けです。
いやぁ、良い天気ですね。札幌は吹雪だというのに・・。

あれ、でもなんか変じゃないですか?
よーく見てください。
太陽の形を・・。



太陽が三日月みたいになっている!?(後輩曰く「三日日」)
天変地異!?はたまた雲が被っているだけ・・?
いえいえ、実は日食なのです。

今日の夕方は、西日本で部分日食が観測されました。
しかも、日入帯食といって、日没時間帯に観測される日食で、上のような面白い光景が見られたわけです。
特に沖縄は日没時間が遅く、周囲が海なので高い構造物が無く、食の最大(17時58分、約6割)を見ることができました。

私は、今日の昼の全国ニュースでこの日食のことを知り、日没間近に後輩に電話をかけ、写真を撮ってもらいました。昨日の朝まで沖縄にいたわけですから、もっと早くに日食が起きることを知っていれば、出張を延長したかもしれないのにな・・。(実際、延長の話も出ていましたが、航空券の払い戻し費用が高額だったのと、札幌に少しでも早めに帰っておきたい気持ちから、断念しました)

それにしても、日食って何回見ても幻想的ですね。

地震速報!

2010年01月15日 04時14分15秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
先ほど、午前3時46分頃に地震がありました。
私は就寝中でしたが、結構大きな揺れを感じ、飛び起きてしまいました。

震源は十勝地方南部、マグニチュードは5.0です。私の住む、札幌市北区は震度2を観測しました。

数秒間、はっきりとした横揺れを感じました。あの揺れは、震度3程度はあったと思います。多分北区の地震計の場所が私の家よりも地盤の良い場所にあるのでしょう。逆に言えば、私の家は川も近く、あまり地盤がよくないようです。マグニチュード7とかになると、結構恐ろしそう・・。(まあ、建物は耐えられるはずですが)

それにしても、昨夕に帰ってきたばかりなのに、いきなり地震か・・。ハードな歓迎ですな。

札幌帰着。

2010年01月14日 17時25分15秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
無事に札幌に帰ってきました。

羽田からのANA67便(B777-200,JA702A)は、予想外に快適なフライトで、全く揺れませんでした。1時間半のフライトは、以前の私には長く感じたものですが、今日は文字通りあっという間に感じました。
関東地方は快晴だったので、離陸後しばらくは東京遊覧飛行のような感覚で、都心のビル群や、東京スカイツリーの建設現場がはっきりと眺められました。

途中、八戸市あたりだと思うのですが、市街地が雪に埋もれているのが見えました。建物の屋根に雪が積もっているため、周囲の地面に溶け込んで見えたのです。雪国らしい光景でした。

新千歳が雪で着陸不可能な場合、羽田に引き返す、条件付き飛行でしたが、新千歳の天候は晴れ、着陸コース上にも雲は無く、これまで3回の新千歳着陸の中で最もスムーズな着陸でした。

新千歳到着後、那覇で預けた荷物を無事に受け取り、JRの快速エアポートで札幌に出て、地下鉄東豊線で自宅アパートの最寄り駅に着きました。
琉球大学の研究室の先生から借りた研究作業用パソコンや、お土産、さらにダイビング用品一式を持ち帰ったため、かなり荷物が重くて歩くのが大変でしたが、雪道に滑りながらも、なんとか家にたどり着きました。
久々の我がアパートでしたが、掃除していなかったので、かなり散らかっていました。昨日まで泊まっていた、琉球大学50周年記念会館の部屋に比べたら、エラい落差です。でも、ひとたびベッドに横になったら、ホッとしました。なんだかんだ言っても、家が一番落ち着くものです。

今朝の那覇の気温は12度。寒気の影響で、沖縄では珍しいほど寒い朝でしたが、札幌到着時の気温はマイナス3度、桁が違います。しかも今日は一日中氷点下の真冬日でした。

今日は数時間で日本列島を南から北まで縦断しました。緯度差は実に20度、日没時間も1時間は違います。気候も亜熱帯から亜寒帯へと激変です。改めて考えてみると、日本って広いんですねぇ。

東京トランジット

2010年01月14日 14時14分36秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
那覇を8時5分発のANA120便(B747-400D,JA8963)で飛び立ち、2時間弱のフライトで羽田に到着しました。
上空の気流が悪く、そこそこ揺れを伴いましたが、風が強かったおかげか、空気が澄んで富士山が綺麗に見えました。あれだけ美しい富士山を空から見たのは初めてでした。また、強烈なジェット気流に押される形の飛行だったので、定刻よりも15分も早く羽田に到着しました。

羽田到着後、4時間ほど空き時間があったので、ちょいと秋葉原に出かけてきましたが、東京モノレールの車窓からも富士山が見えていました。

今は、羽田空港第二旅客ターミナルビルの60番搭乗口前で、新千歳行きの飛行機の搭乗開始を待っているところです。
羽田空港の管制レーダーのトラブルや、使用機材の変更・遅延、さらに新千歳の降雪による条件(最悪羽田に引き返す)付きなどで、結構イレギュラーな運航になるようです。
定刻14時発ですが、今のところ35分遅れでの出発となる予定です。

沖縄にて1

2010年01月07日 22時52分15秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
通勤時間帯でしたが、加茂と大阪、三ノ宮での乗り換えは予定通りにでき、午前9時半に神戸空港に到着しました。

開港当時は、神戸便に大型機が積極的に使われていたため、ターミナルビル内はかなり混雑したものですが、最近は機材の小型化が進んだため、地方空港らしい雰囲気となっていますね。
全日空のスキップサービス利用だったので、スムーズに手荷物検査場を通過し、搭乗ゲートに至れました。

今日の乗機はANA433便で、機材はA320(JA8946)でした。A320に乗ったのは、中学校の修学旅行で伊丹から高知へ飛んだとき以来で、かなりの久しぶりでした。
関西地方から九州にかけて天気が良く、離陸直後から素晴らしい景色が楽しめました。屋久島を過ぎたあたりから雲が多くなり、下界の様子が全く分からなくなったのですが、着陸降下で雲から抜けたときには、既に沖縄本島南端の平和祈念公園沖まで来ていました。
鹿児島上空辺りから、機内オーディオでNHKラジオの生放送を聴いていたのですが、昼の中継番組で、なんと糸満市から放送していました。那覇空港への着陸コースは糸満市上空を通過するのですが、ラジオ放送をよく聴いていたら、飛行機のエンジン音が確かに聞こえました。自分が乗っている飛行機の音をリアルタイムで聞くなんて、不思議な気分でした。

飛行機は定刻の12時50分に那覇空港に到着。先に、私は元研究室の後輩に迎えを頼んでいたのですが、到着口まで出迎えにきてくれていました。後輩の運転で、まずは琉球大学の研究室に直行しました。
道中の風景が、みな懐かしく感じました。(国道330号線が何故か以前よりも狭く感じた・・)

琉球大学に到着したところ、ちょうど研究室の移転作業(来年度に来られる研究者のスペースを確保するため、私の研究部屋であった倉庫兼作業部屋から撤収するのだそうです)の最中だったそうで、元指導教官のO先生も忙しそうにしていました。
とりあえず荷物を置くため、O先生から宿舎のルームキーを受け取り、学内の50周年記念館に向かいました。
4年半在学して、一度も入ったことのない建物でしたが、まだ築浅で綺麗な外観で、さらに3階の私の宿泊部屋に入ると、予想よりもかなり良い設備で驚きました。
部屋の広さは約20平米で、セミダブルベッド、テレビ、机、喫茶テーブルと椅子、ユニットバス(かなり大きな浴槽付き)、インターネット対応...など、一通り必要な設備が揃っており、さらに長期滞在向けか、簡易の調理設備も完備しています。IHヒーター、オーブンレンジもあるので、やろうと思えば結構本格的に料理できますね。
琉球大学の公式HPを見ても、あまり情報が載っていなかったので、実はちょっと心配していましたが、完全に杞憂でした。

荷物を置いた後、再び研究室に向かい、O先生も少し落ち着いたようだったので、これからの作業についての打ち合わせと、北大での現況なども話しました。
他の後輩たちとも、久々に会ったにも関らず、すぐに打ち解けて、楽しいひと時を過ごせました。
夕ご飯には、浦添市の韓国料理店で他の学生と一緒にご馳走になりました。参鶏湯やサムギョプサル、キンパッなど、本場の味(何故か沖縄で)を堪能しました。

いよいよ明日からは研究作業開始です。