国父記念館の部屋からのスナップです。この3階建ての家はムーア式建築(北アフリカ様式)で綺麗なデザインですね。マカオにしてもアモイにしても交易で栄えた都市には色々なデザインの建築物が存在していて、時間の流れを忘れてゆっくりしているとタイムスリップしたかのような錯覚を覚えることがあります。
胸像の周りにある旗は中華民国の旗ですね。1912年に南京で発足した中華民国の臨時大統領として孫文は就任しました。中華民国の国旗は青天白日満地紅旗と呼ばれ、平等を表す白、自由を表す青、そして革命に献身した人々の血と友愛を象徴する深紅が使われているそうです。
飾られている書は孫文自ら書かれたものですが、不謹慎な発言ですが、彼の字には力が無いですね。字は性格を表すと言われることがありますが、孫文の字を見ても感ずるものがありません。私はこの字の弱さが、孫文の残した足跡の評価が分かれていることと関係がありそうな感じがします。
飾られている書は孫文自ら書かれたものですが、不謹慎な発言ですが、彼の字には力が無いですね。字は性格を表すと言われることがありますが、孫文の字を見ても感ずるものがありません。私はこの字の弱さが、孫文の残した足跡の評価が分かれていることと関係がありそうな感じがします。
のち
昨日、孫中山記念館の話題を挙げましたの国父記念館を紹介します。孫文が辛亥革命を指導する前は医者だったのですが、医者としての最初の赴任地はマカオでした。その彼が一時期過ごした家が現在国父記念館として開館しています。場所は士多鳥拝斯大馬路を少し反れた文第士街にあります。松山公園の西です。
昨日、孫中山記念館の話題を挙げましたの国父記念館を紹介します。孫文が辛亥革命を指導する前は医者だったのですが、医者としての最初の赴任地はマカオでした。その彼が一時期過ごした家が現在国父記念館として開館しています。場所は士多鳥拝斯大馬路を少し反れた文第士街にあります。松山公園の西です。