塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーの概念は、米国の意識を変えるでしょうか

2021-09-24 19:16:08 | 日記
 米国が野球の本場であることに異論はありません。

 僕の幼少期はサッカーボールも蹴りましたが、同級生と弟、そして父とのキャッチボールは見慣れた光景でしたし、日本テレビも巨人軍の中継を頻繁に行い、子供たちをがっかりさせたものです。

 ナイトゲームが中継されると、好きなアニメが見られなくなるためで、後楽園球場の雨天中止はともかく、東京ドームで雨天中止はありませんからね。

 米国の方が野球を郷愁、そして心のよりどころとするのは、野球が公平な競技と考えているためです。

 その根拠とは

 「どんなチームでも等しく9回攻撃する権利を持つから」

 というもので、すぐに3アウトになろうが、ホームランや3塁打で多くの得点を奪おうとも、その時間や得点ではなく「等しい攻撃回数」にあると見なしています。

 米国でもMLSが本格的にスタートした1995年以降、このリーグは拡張を行い、カカ(ブラジル代表)ロビー・キーン(アイルランド代表)デイビッド・ベッカム(イングランド代表)と、多くの有名選手も在籍しました。

 僕はサッカーが子供たち向けの競技ではなく、NBAやNFL同様に大人たちが観戦したいと思わせる競技に認知された場合、米国の概念が覆りつつあると思います。

 その一つが選手の移籍と国籍です。

 MLSとNBAは前者が北中米と南米、アジアから、後者が世界中からドラフト指名を行い、多国籍の概念を採用していますが、NFLという米国で一番の人気リーグは、基本米国選手のシャッフルが移籍無いようです。

 NFLはメキシコで試合を行うなど、海外での注目度を集めようとしていた時期がありますが、僕個人の勝手な印象ではさほどの効果が見込まれていないように思います。

 日本人もNFLに在籍経験はありませんが、NFLがMLSのような多国籍になれば、ファンもより関心を抱くようになるのではないでしょうか。

 またサッカーのように、攻撃権、守備権が無い競技と野球のように存在する競技では、当然性格が異なります。

 ただ、サッカーが持つ攻撃した側が常に勝つ、という不条理が米国国内に浸透すれば、これまでの南米やベトナムで見せた「大アメリカ主義」とでも言えるような価値観のお仕着せがなくなるかもしれません。

 米国が競技でも軍事でも、政治でも超大国である事実は2021年も変わらないですから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダービーの後ろに政治的因縁あり

2021-09-24 18:22:35 | 日記
 以前読んだビジネス専門誌「プレジデント」において、自民党総裁選に立候補している岸田文雄元政調会長は、福島県に縁のある方という記事があったと思うんですね。

 当時の内閣総理大臣は「山口県」に縁のある安倍晋三氏でしたが、福島県と山口県を思う際に、前者は後者に今でも不愉快な気分を露にするものでしょうか。

 (露骨に不快感や嫌悪感、嫌味を言うことはないと感じますがね)

 幕末、開国の波にのる長州藩と薩摩藩は改革の主流派となる一方で、会津若松藩はいきなり「賊軍」の扱いを受けてしまいます。

 それも一方的にです。

 欧州列強から最新鋭の武器を与えられ、西欧式の軍服をまとう長州藩と薩摩藩の兵士たちは、当然有利な立場にあります。

 そしてその兵士たちが福島県内で行った残虐非道な行為、とりわけ女と見れば年齢に感化いなく強姦に次ぐ強姦という悪事を重ね、まさに地獄絵図の様相だったと聞いたのです。

 つまり、僕の勝手な想像ですが、岸田氏を支援している方と安倍氏を支持している方は、両者がどこかでこの幕末の事例を意識しており、虫が好かないと思っていると考えている気がします。

 歴史というものは後戻りできませんからね。

 サッカーにおけるダービーというのは、不幸にもこの「時代背景」が大きく作用します。

 長野パルセイロと松本山雅の「信州ダービー」が過去、地域リーグの時代から桁外れのファンを呼び込んだのも、政治的因縁のためです。

 僕は地域リーグ時代に南長野運動公園でダービーを観戦した経験がありますが、将来実現すれば入場券はすぐに完売し、テレビ各局は試合数日前から大きな特集を組むことでしょう。

 ですから僕は将来同じカテゴリーになったならば

 「レノファ山口対福島ユナイテッド」

 の一戦も、見逃せなくなるように感じています。

 ただ、過去に凄惨な出来事があったとはいえ、サッカーが競技である以上、けが人や搬送車が出ないフェアな形で試合を進めることは、当然の事ですが当たり前になりますけれども。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改めて思う富安健洋のすばらしさ

2021-09-24 18:06:58 | 日記
 浦和レッドダイヤモンズ移籍直後から、リカルド・ロドリゲス監督の信任を受けている酒井宏樹。

 彼の根底にはリーグ1,特にパリ・サンジェルマンとの対戦で左翼に位置取るネイマールとの1対1など、各国代表との対戦で揉まれた重厚な体験が刻まれているに違いありません。

 指揮官ホルヘ・サンパオリが酒井宏樹に残留希望を漏らしたように、マルセイユの屋台骨を支えるだけの実力をまだ備えているわけですから、ロドリゲス監督からすれば、最高の選手獲得と言えますよね。

 ではアーセナルに移籍した富安健洋の場合はどうででしょうか。

 紅白戦を行う場合、富安はレギュラー組みでしょうからフランス代表のアレクサンデル・ラガゼット、ガボン代表のピエール・オーバメヤンと対戦することがないと思います。

 しかしユナイテッドと対戦するならば、フルバックとして左翼に陣取るであるポルトガル代表クリスティアーノ・ロナウドか、イングランだお代表マーカス・ラッシュフォードとぶつかりますよね。。

 アーセナルのように最終ラインを4名で形成する場合、フルバックはオーバーラップの頻度が増えます。

 敵陣深くまで切り込めば、例えばチェルシー戦ならばイングランド代表のベン・チルウエルが立ちはだかるように、富安もボローニャ時代以上に桁外れの選手たちと対戦することになります。

 吉田麻也しか日本代表守備選手では通年、プレミア・リーグでたたかったことがありません。

 母国イングランドでは

 クリスマス休暇を含むウインター・ブレイクがない
 降雪、積雪でも試合がある
 リーグカップ、FAカップ、リーグ戦とアーセナルが戦う試合はボローニャを圧倒的に凌駕

 というように、終盤戦まで高い集中力と頑健さが求められます。

 それらを考慮してエミレーツに立つ富安健洋は、本当に代表にかけがえのない存在になりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

問われるビッグクラブの意義

2021-09-24 17:53:20 | 日記
 かねてから「西欧のビッグクラブ」で日本代表選手が場数を踏むことが大切、と指摘されてきました。

 しかし近年、この「ビッグクラブ」という単語が曲者のように感じるのです。

 1990年代前半までは、知名度と優勝回数、そして国内リーグの顔であることがビッグクラブの諸条件だったと思います。

 ベルギーならばアンデルレヒト
 ポルトガルならばベンフィカ・リスボン
 スコットランドならばレインジャーズ・グラスゴウ

 という形でしょうか。

 この時代はまだ「チャンピオンズ・カップ」の時代で、上記クラブでも上位進出が可能でした。

 今では到底難しいですが

 1993年優勝クラブ オランピック・マルセイユ
 1995年優勝クラブ アヤックス・アムステルダム
 1997年優勝クラブ ボルシア・ドルトムント

 というように、現在で考えられる財政規模よりも、クラブとして優秀な選手を適正価格で獲得し、商業主義的な形よりも競技に出悠する形がまだ顕著だった時代です。

 しかし、今のビッグクラブは優勝回数やリーグの主というよりも

 どれだけスポンサー収入があるか 例 マンチェスター・ユナイテッド
 どれだけ資産価値があるか 例 チェルシー
 どれだけツイッターをはじめとするソーシャル・メディアに対応しているか 例 バイエルン・ミュンヘン

 など、お金の規模が重要視されていますよね。

 もはやダークホースがチャンピオンズ・リーグで優勝する時代ではなく、ある意味お金の力で優勝を引き寄せる感覚の方が強いと言えます。

 したがって2018-19シーズンのチャンピオンズ・リーグがあれほど盛り上がったは

 1.老舗のアヤックスが4強に進出
 2・プレミア・リーグのスパーズが決勝へ

 という新鮮さがあったためですよね。

 日本代表選手たちもビッグクラブの意義を一度再確認の上、移籍を考慮すべき時代ではないでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする