塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ベルギーに復活の兆しが見える

2012-08-29 01:08:36 | 日記
 確か先日のスポーツナビだったと思いますが、ベルギー代表に関する記事が掲載されており、
なるほどと感じました。

 ベルギーは2002年のワールドカップ以降、ビッグ・トーナメントに参加していません・

 しかし近年、そのタレント力は勢いを増しており

 ヴァンサン・コンパニ (マンチェスター・シティ)
 マルアン・フェライニ (エバートン)
 ロメロ・ルカク (前チェルシー)

 がその代表格と言えるでしょう。

 ベルギーと言えばまるでオランダの「陰」のように扱われることも多く、予選、本選問わず
幾度となく煮え湯を飲まされてきました。

 エール・デビジとジュピラー・リーグ

 知名度という点でも前者が上回ると言えます。

 また今夏は空中分解していしまいましたが、オランダは2010年のワールドカップ準優勝
です。

 ベルギーは参加さえできませんでした。

 もしかしますと、スペインの優勝に歓喜した同国のファンは多いのかもしれません。

 しかしここにきてベルギーは、その勢いを更に伸ばそうとしていますし、2014年のブラ
ジル・ワールドカップ出場も現実味があります。

 かつて

 「赤い悪魔」

 と呼ばれた彼らが、12年ぶりにワールドカップ出場を果たしても、驚くことはないと僕は
思います。

 
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比較の対象が存在することの意味

2012-08-29 00:57:22 | 日記
 ベルギーならばオランダ
 スコットランドならばイングランド
 アルゼンチンならばブラジル

 世界のサッカーではどうしても、お互いが比較の対象から逃れられない国が必ず存在します。

 日本と韓国がアジアの代表例でしょうし、アフリカではエジプトとアルジェリアがそうです
ね。

 日本と韓国以外は陸続きであることも、大きく関与しています。

 また、どちらかが敗れた場合、ファンとメディアがヒステリックに叫ぶことが多く、冷静に
敗戦の分析ができないことも特徴です。

 逆に勝利した際の嬉しさといったら、それはもう素晴らしいものです。

 比較というのは

 「どちらが先に一歩前進しているか。」

 を競いあうことです。

 例えば韓国は1998年以降、順調に好成績をおさめる日本に危機感を抱いていました。

 2000年のアジアカップ、他国を寄せ付けず美しいサッカーで頂点に立った隣国を羨望の
眼で見ており、

 「ヒディンク更迭論」

 が高まったことさえありました。

 オランダ人でありながら、韓国の英雄として讃えれた彼ですら、逃げ場が無い場所に追い込まれ
ていたのです。

 日本は時にアルゼンチンのようにふるまったらどうでしょうか。

 彼らは1993年のコパ・アメリカ以降、大きな優勝を経験しています。

 しかしその間、ブラジルはワールドカップ、コンフェデ杯、そしてコパ・アメリカを幾度となく
制し、サッカー王国の名を維持しています。

 しかし隣国の現状を、アルゼンチンが羨ましいと感じている姿は感じられず、自立していりよう
に見えます。

 本当は嫉妬しているかもしれませんし、ワールトユースと五輪の優勝が情けになっているのかも
しれません。

 しかしこの堂々とした姿は、日本が学ぶべきものでしょう。
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自分で判断を下せない理由は何か

2012-08-28 22:21:17 | 日記
 海外サッカーでも、自分で下した判断が監督から叱責されることはあると思います。

 ただ、サッカーに限らず日本の場合叱られることの方が圧倒的で、その時の背景や考えを尋ねる
人間が少ないのでしょうね。

 サッカーでも仕事でも

 「あれだけ入念に準備したのに、うまくいかない。」
 「ミーティングでこの案件は出てこなかった。」

 ということがあるはずです。

 上司に相談したくても、あいにく電話中だったり休日だったりする。

 そうした際は自分で判断するしかありません。

 特に客商売の場合、上司からの伝言のみというと時もありますから、心の中でどこか

 「怒られるかなあ?」

 と思いながら作業する自分自身がいます。

 お客からの問い合わせがあればそちらを優先しないといけませんし、どんなに懸命に動いてもどう
にもならないときがあるのです。

 幸運にも日本の場合、オシム、ザッケローニのいずれも

 「ベンチの指示はあくまでベンチからの視点で、自分の判断を大切にしなさい。」

 というスタンスで接しています。

 ですから今、日本の選手たちは自分の判断を体内に蓄積できる、非常に良い機会が来たと感じて
はどうでしょうか?

 「疑問があるならいつでも来てほしい」

 そう唱える人間は多いですが、怒られるとわかっていて出かける部下はいないでしょうし、かつて
日本にもそういう類に代表監督が存在しました。
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自分で判断を下す大切さ

2012-08-28 22:07:42 | 日記
 「イタリアのバールらしさにこだわる理由は、そこには、自分で考え、フレキシブルに自分
  で判断を下せる人間が真ん中にいる為である。」

 まるでイビチャ・オシムを連想させる分でしょうですが、これは光文社新書から発売されて
いる

 「バール、コーヒー、イタリア人 島村菜津」

 の75ページから76ページに掲載されている言葉です。

 日本の場合、企業を問わずマニュアルが徹底している反面、個人に与えれた決済は基本存在
せず、自分の判断が下せない場面が往々にしてあります。

 僕も上司に相談する時間がなく、自分の判断で取組み大目玉を喰らったことが幾度となくあり
ます。

 何も僕は

 「ほうれんそう」

 の存在を無視したわけではありません。

 しかし、その場で判断しなければいけない、伺う時間がないこともあるのです。

 日本人は上司、サッカーで言えば監督の指示を忠実に守ろうとする意識が強すぎ、その為
自分で自分の動きを抑制してしまうことがあります。

 「日本人が年長者を敬う点は素晴らしい。
  でも、サッカーでは人を出し抜くことも必要だよ。」

 と、海外から来た人間が提言するのも

 「自分らしさを大切に」

 ちいう視点からのアドバイスだと思います。

 イタリアでは最初相手にかなり厳しいタックルを意図的に見舞う時があります。

 それはどの程度のタックルで警告が与えられるかを見極めるためのもので、もしカードが出ない
ならば、その強度で繰り返しタックルをお見舞いします。

 僕たちは、自分で判断材料を得ようとしなさすぎなのかもしれません。

 フレキシブルを日本語に当てはめると、柔軟性に通じると思いますが、この観点は外国籍の方
が優れている印象です。
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守備戦術の違い、そのアプローチ

2012-08-28 18:14:06 | 日記
 サッカーにおける守備で最大の目的は

 「相手にシュートを打たせないこと」

 と、湯浅健二氏は述べています。

 前回の3バックと4バックの論点だけでなく、守備の観点からみてもその戦術は変化し
より目的遂行の為の気運がたかまってきました。

 それは

 「ゾーンかマンツーマンか」
 「リベロかライン・ディフェンスか」

 というものです。

 目的は当然対戦相手にシュートを打たせない、つまり失点を0に抑えることです。

 しかし、監督によってその方法論は随分異なりますし、時にマンツーマンで抑えようと
すると、

 「時代遅れ」

 という声が飛びます。

 それは一見強固に見えるマンマークですが、一度相手に振り切られると一瞬にして
フリーマンが生まれてしまうためです。

 その一方でリベロを置くとラインが深くなってしまい、押上に苦労します。

 4バックでライン・ディフェンスを敷いても、選手の間にスルーパスを通されてし
まえば、どうしようもありません。

 ゾーンもマークの受け渡しが失敗すれば、GKが相手FWと1対1になってしまいます。

 つまり、どんな守備陣形も長所と短所があり、だからこそサッカーでは得点が生まれる
というわけです。

 従って今後守備が発達していっても、何らかの形でゴールは生まれますし、最先端の
守備戦術がすべてのクラブが導入するとは限りませんからね。
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