日露戦争の講和交渉 - 面白く、そして下らない
では日露戦争の講和交渉でもう少し要求を勝ち取れたのではないかと書いた。通説が日露戦争の講和は大日本帝国の継戦能力の限界を迎えていたのでそこで見事に講和をしたというものだったので、それに反発したのかもしれない。元産経新聞記者で週刊新潮のコラムニスト高山正之が日露戦争ではもっと領土か賠償金を勝ち取れたはずだと書いていたからそれに影響されたのもある。
しかし井沢元彦が週刊ポストに連載中の『逆説の日本史』では継戦能力の限界を迎えた大日本帝国が講和交渉で要求を貫徹したとのことだ。国力に余裕があればまた違ったのかもしれないが、最良の講和だったと云う。どうにも私は影響されやすい気がするが。
また週刊ポストは立ち読みだけで手元にないが。
日清戦争で莫大な賠償金、台湾割譲、三国干渉で破棄されたが遼東半島も割譲させたことが、戦争に勝てば莫大な利益を得られると日本人に思い込ませてしまったそうだ。日本は永く鎖国していたから戦争を繰り返してきた欧米と違い戦争と講和の経験がない。
日清戦争は大勝したが、日露戦争は薄氷の勝利であり、大日本帝国に継戦能力がないことはロシア帝国も国際社会も熟知しており、ロシア帝国は朝鮮半島と満州の権益を譲った以上に領土の割譲と賠償金を支払う必要はないとみていた。最終的にロシア帝国は南樺太を割譲するのだが。
ここで重要な役割を担うのがマスコミ、当時はテレビ、ラジオはないから新聞だけだ、になる。新聞が冷静な判断をして国民に理解を求めるべきなのだが、むしろ当時の主要な新聞は講和に反対し、戦争継続を叫び国民を煽った。戦争を煽り部数を伸ばした満州事変以後と同じだ。
日露戦争のために重税が掛けられるなど国民は苦難を強いられた。それを思えば賠償金や領土が得られ、国民にも勝利の果実が分け与えられると考えても不思議ではない。いや寧ろ当然か。
しかし日露戦争は薄氷の勝利だったのだ。賠償金や領土(南樺太を得るが)を得られるほどの大勝ではなかったのだ。新聞がそれを書き、国民に理解を求めるべきだった。それがマスコミの使命だった。
しかし新聞は国民に理解を求めるどころか、講和反対を叫び国民を煽った。それが日比谷焼き討ちなどに繋がる。
そして大国ロシアに勝ったことが、薄氷の勝利であることが忘れ去られ神国日本は無敵との考えに繋がっていく。真珠湾攻撃による米国との戦争に国民は狂喜した。
昭和天皇は「憲法9条信者のような平和主義者」ではなかった。だが米国との戦争には反対だった。負けると考えていたからだ。保守派の重臣達も同じ考えだったようだ。
昭和天皇は米国との戦争には反対だったが、開戦してしまったら是非もない。日本が勝利するために全力を尽くすのみである。たまに昭和天皇や大日本帝国はわざと負けたなどと陰謀論を主張する人がいるが、それは絶対にない。万が一いや億が一、兆が一昭和天皇がわざと負けたのだとすれば、皇室も昭和天皇も敬愛しているが、私は赦さぬよ。
しかし指導層はともかく国民は米国に負けるとは思っていなかった。新聞が冷静な判断をして国民に伝えることを怠ってきたからだ。それどころか戦争を煽れば部数が増えると戦争を煽る始末だった。
大東亜戦争に敗北後は主張を裏返したに過ぎない。戦争賛成から絶対反対へ。敗戦直後はそれはやむなしではあるが、自衛のために軍隊を持つことは当然だし、ある程度は軍事に予算を割かねばならない。日本学術会議の「軍事研究を禁止する」など論外だ。
だが
北朝鮮は地上の楽園
ソ連の核はきれいな核
ポル・ポトはアジア的優しさ
などと報道してきたのが日本の新聞でありマスコミだ。井沢元彦は日本に「高級紙」がないことを嘆いているが、日本は階級社会ではないのだ。高級紙は必要ないと考える。国民を真に導くことのできる新聞がないことが問題なのだ。
だがもうそれもネットの普及で新聞は終わる。日経新聞以外は生き残れないだろう。新聞に代わるオピニオンリーダーが何になるか想像もつかないが、多少はマシになるのではないか。
では日露戦争の講和交渉でもう少し要求を勝ち取れたのではないかと書いた。通説が日露戦争の講和は大日本帝国の継戦能力の限界を迎えていたのでそこで見事に講和をしたというものだったので、それに反発したのかもしれない。元産経新聞記者で週刊新潮のコラムニスト高山正之が日露戦争ではもっと領土か賠償金を勝ち取れたはずだと書いていたからそれに影響されたのもある。
しかし井沢元彦が週刊ポストに連載中の『逆説の日本史』では継戦能力の限界を迎えた大日本帝国が講和交渉で要求を貫徹したとのことだ。国力に余裕があればまた違ったのかもしれないが、最良の講和だったと云う。どうにも私は影響されやすい気がするが。
また週刊ポストは立ち読みだけで手元にないが。
日清戦争で莫大な賠償金、台湾割譲、三国干渉で破棄されたが遼東半島も割譲させたことが、戦争に勝てば莫大な利益を得られると日本人に思い込ませてしまったそうだ。日本は永く鎖国していたから戦争を繰り返してきた欧米と違い戦争と講和の経験がない。
日清戦争は大勝したが、日露戦争は薄氷の勝利であり、大日本帝国に継戦能力がないことはロシア帝国も国際社会も熟知しており、ロシア帝国は朝鮮半島と満州の権益を譲った以上に領土の割譲と賠償金を支払う必要はないとみていた。最終的にロシア帝国は南樺太を割譲するのだが。
ここで重要な役割を担うのがマスコミ、当時はテレビ、ラジオはないから新聞だけだ、になる。新聞が冷静な判断をして国民に理解を求めるべきなのだが、むしろ当時の主要な新聞は講和に反対し、戦争継続を叫び国民を煽った。戦争を煽り部数を伸ばした満州事変以後と同じだ。
日露戦争のために重税が掛けられるなど国民は苦難を強いられた。それを思えば賠償金や領土が得られ、国民にも勝利の果実が分け与えられると考えても不思議ではない。いや寧ろ当然か。
しかし日露戦争は薄氷の勝利だったのだ。賠償金や領土(南樺太を得るが)を得られるほどの大勝ではなかったのだ。新聞がそれを書き、国民に理解を求めるべきだった。それがマスコミの使命だった。
しかし新聞は国民に理解を求めるどころか、講和反対を叫び国民を煽った。それが日比谷焼き討ちなどに繋がる。
そして大国ロシアに勝ったことが、薄氷の勝利であることが忘れ去られ神国日本は無敵との考えに繋がっていく。真珠湾攻撃による米国との戦争に国民は狂喜した。
昭和天皇は「憲法9条信者のような平和主義者」ではなかった。だが米国との戦争には反対だった。負けると考えていたからだ。保守派の重臣達も同じ考えだったようだ。
昭和天皇は米国との戦争には反対だったが、開戦してしまったら是非もない。日本が勝利するために全力を尽くすのみである。たまに昭和天皇や大日本帝国はわざと負けたなどと陰謀論を主張する人がいるが、それは絶対にない。万が一いや億が一、兆が一昭和天皇がわざと負けたのだとすれば、皇室も昭和天皇も敬愛しているが、私は赦さぬよ。
しかし指導層はともかく国民は米国に負けるとは思っていなかった。新聞が冷静な判断をして国民に伝えることを怠ってきたからだ。それどころか戦争を煽れば部数が増えると戦争を煽る始末だった。
大東亜戦争に敗北後は主張を裏返したに過ぎない。戦争賛成から絶対反対へ。敗戦直後はそれはやむなしではあるが、自衛のために軍隊を持つことは当然だし、ある程度は軍事に予算を割かねばならない。日本学術会議の「軍事研究を禁止する」など論外だ。
だが
北朝鮮は地上の楽園
ソ連の核はきれいな核
ポル・ポトはアジア的優しさ
などと報道してきたのが日本の新聞でありマスコミだ。井沢元彦は日本に「高級紙」がないことを嘆いているが、日本は階級社会ではないのだ。高級紙は必要ないと考える。国民を真に導くことのできる新聞がないことが問題なのだ。
だがもうそれもネットの普及で新聞は終わる。日経新聞以外は生き残れないだろう。新聞に代わるオピニオンリーダーが何になるか想像もつかないが、多少はマシになるのではないか。
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