東京高裁が「群馬の森・朝鮮人労働者追悼碑」の更新不許可適法の判決 - 面白く、そして下らない
この記事の後最高裁でも最高裁が高裁判決を変更せず、群馬県が朝鮮人労働者追悼碑の不許可が適法であることが司法に認められたのだが、その時なぜブログ記事を書かなかったかは覚えていない。
最高裁判決を報じた適当なマスコミ記事がなかったのか。それとも知らないうちに時期を逸していたか。不調だったのか。
何れにしろ最高裁でも更新不許可が適法との判決が出たので朝鮮人労働者追悼碑を設置した市民団体(反日団体)に自主撤去するよう要請したのだが、市民団体は最高裁判決が出ても従わないと宣言した。さらに最高裁で判決が出ているのに群馬県に対話に応じるよう要求している。
朝鮮人は「永遠の被害者」でなければならないというのが反日左翼と朝鮮人(在日朝鮮人、北朝鮮、韓国)の考えだ。そのため日本各地に朝鮮人が「被害者」である証拠を残そうと碑を設置しようとするのである。
群馬県の知事は自民党系のはずなのに、執拗な要求に根負けしてしまったのだろう。こういうものは蟻の一穴だから一つでも造らせてはいけないのだが、政府、自治体はそれをわかっていない。つい朝鮮人や反日左翼の甘言に騙された結果が「河野談話」ではないか。冤罪を被せられ後始末に苦労することになる。
この朝鮮人労働者追悼碑も後始末の一つだ。群馬県が2004年に設置を認めなければ今の苦労はないのだ。その後も日本各地に朝鮮人が「被害者」であるとの碑がいくつも設置されてしまったようだ。
東京新聞の記事に出てくる藤井正希准教授が群馬県が配慮をするかしないかにより日本各地の追悼碑の問題に影響を与えると述べているので、山本一太は即行政代執行で朝鮮人労働者追悼碑を撤去すべきだ。
行政代執行に掛かった費用は恐らくこの市民団体に請求できると思うのだが、無理でもそれは仕方ない。出来るのなら労力が掛かってもやるべきだ。
山本一太は群馬県の公務員の国籍条項を撤廃しようとしているから売国奴としか言いようがないのだが、この問題ではすっぱり撤去するようだ。市民団体と話し合いに応じても意味がない。撤去しないことはあり得ないのだから。
日本第一党などの保守系政党ないし政治団体が日本各地の反日建築物の撤去に動いて欲しいものだ。公有地から反日建築物が撤去されることは国益だし、日本第一党にも「実績」ができる。
そうすれば党員がその自治体の議員になれるかもしれない。マスコミはあまり好意的に報道しないだろうし、有権者がどのような判断をするかわからないからその自治体の議員になれるかはわからない。しかしやる価値はある。ひとつずつ日本正常化をしていこう。
群馬県に早く行政代執行をするよう意見するのも良いかもしれない。
この記事の後最高裁でも最高裁が高裁判決を変更せず、群馬県が朝鮮人労働者追悼碑の不許可が適法であることが司法に認められたのだが、その時なぜブログ記事を書かなかったかは覚えていない。
最高裁判決を報じた適当なマスコミ記事がなかったのか。それとも知らないうちに時期を逸していたか。不調だったのか。
何れにしろ最高裁でも更新不許可が適法との判決が出たので朝鮮人労働者追悼碑を設置した市民団体(反日団体)に自主撤去するよう要請したのだが、市民団体は最高裁判決が出ても従わないと宣言した。さらに最高裁で判決が出ているのに群馬県に対話に応じるよう要求している。
~~引用ここから~~
群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」にある、太平洋戦争中に労務動員された朝鮮人労働者の追悼碑の存続を求め、市民団体が県に話し合いを提案している。碑の前での集会で、条件違反の「政治的発言」があったとして、県は二〇一四年に設置許可を更新しないと決定。市民団体は不許可処分の取り消しを求めて訴えたが、六月に最高裁で敗訴が確定した。県は行政代執行による撤去を検討するが、市民団体は存続を願う。(羽物一隆)
県が問題視したのは、一二年に開かれた朝鮮人労働者の追悼式での参加者の発言。県は追悼碑の設置時に「政治的行事を行わない」と条件を付けており、追悼式での「強制連行の事実を訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」などとした発言を県が「政治的だ」と判断した。
裁判では一審、二審とも強制連行に関する発言を「政治的である」と認めた。一審は「追悼碑の存在によって、都市公園の機能を喪失したとはいえない」として更新不許可を違法とした。二審は「追悼碑の存在自体が論争の対象となり、都市公園にある施設としてふさわしくない」として不許可処分を認め、最高裁も判断を引き継いだ。
二審判決の「論争の対象となった」とする判断は、追悼碑に対する県への抗議などを指しているとみられる。一二年ごろから抗議電話や街宣が繰り返され、同年十一月には公園で右派系団体が職員と小競り合いを起こした。県が更新不許可処分を出した一四年には、さいたま市で九条俳句不掲載問題もあり、抗議に対して行政側が神経質になっていた時期だった。
この問題に詳しい群馬大情報学部の藤井正希准教授(憲法学)は「追悼碑の存在と式典での発言は、本来は別のものと考えるべきだ」と指摘する。碑には朝鮮人労働者の労務動員に関する記述があり、これが右派系団体の抗議につながったとされるが、「(碑文に)政府の公式見解から逸脱した表現はなく、政治的に問題となるべき要素はない」とみる。
追悼碑を管理する市民団体は八月二十二日、山本一太知事に意見交換の場を求める要望書を出した。これに対し、山本知事は同二十五日の定例会見で「裁判で示された司法の判断を県が変えることはありえない」とし、意見交換に「余計な期待を持たせることはしない」と言い切った。
市民団体の弁護団の角田義一団長は「今後も追悼式などは行わない。異郷の地で命を落とした人を静かに悼むため、県は話し合いに応じてほしい」と話す。
朝鮮人追悼碑を巡っては、福岡県飯塚市など全国で撤去を求める抗議が寄せられている。藤井准教授は「公有地に碑があることの意義は大きい。県がどの程度の配慮を示すかは、各地の追悼碑の問題に影響するだろう」と指摘した。
<「群馬の森」の朝鮮人労働者追悼碑> 県立公園「群馬の森」の一角で2004年に完成した碑。民間のグループが1990年代に実施した調査によると、群馬県内では朝鮮人6000人以上が軍需工場や鉱山に労働動員され、病気などを含め300〜500人が命を落としたという。調査したメンバーらが追悼碑建設を計画し、98年に設置に向けて活動を開始。市民から賛同金を募って完成させた。碑の裏面に記された文面では、設置許可を得る際に県と調整し、原案にあった「強制労働」を「労務動員」に換えた経緯がある。朝鮮人労働者の追悼碑が県有地にできたのは全国初だった。
~~引用ここまで~~
朝鮮人は「永遠の被害者」でなければならないというのが反日左翼と朝鮮人(在日朝鮮人、北朝鮮、韓国)の考えだ。そのため日本各地に朝鮮人が「被害者」である証拠を残そうと碑を設置しようとするのである。
群馬県の知事は自民党系のはずなのに、執拗な要求に根負けしてしまったのだろう。こういうものは蟻の一穴だから一つでも造らせてはいけないのだが、政府、自治体はそれをわかっていない。つい朝鮮人や反日左翼の甘言に騙された結果が「河野談話」ではないか。冤罪を被せられ後始末に苦労することになる。
この朝鮮人労働者追悼碑も後始末の一つだ。群馬県が2004年に設置を認めなければ今の苦労はないのだ。その後も日本各地に朝鮮人が「被害者」であるとの碑がいくつも設置されてしまったようだ。
東京新聞の記事に出てくる藤井正希准教授が群馬県が配慮をするかしないかにより日本各地の追悼碑の問題に影響を与えると述べているので、山本一太は即行政代執行で朝鮮人労働者追悼碑を撤去すべきだ。
行政代執行に掛かった費用は恐らくこの市民団体に請求できると思うのだが、無理でもそれは仕方ない。出来るのなら労力が掛かってもやるべきだ。
山本一太は群馬県の公務員の国籍条項を撤廃しようとしているから売国奴としか言いようがないのだが、この問題ではすっぱり撤去するようだ。市民団体と話し合いに応じても意味がない。撤去しないことはあり得ないのだから。
日本第一党などの保守系政党ないし政治団体が日本各地の反日建築物の撤去に動いて欲しいものだ。公有地から反日建築物が撤去されることは国益だし、日本第一党にも「実績」ができる。
そうすれば党員がその自治体の議員になれるかもしれない。マスコミはあまり好意的に報道しないだろうし、有権者がどのような判断をするかわからないからその自治体の議員になれるかはわからない。しかしやる価値はある。ひとつずつ日本正常化をしていこう。
群馬県に早く行政代執行をするよう意見するのも良いかもしれない。
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