★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「修理屋さんとお疲れ様」

2021-07-05 15:27:23 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイの「修理屋さんとお疲れ様」

 11年連れ添ったバイクの買い替えを決断した。

するとどうだろう「途端に今のバイクの機嫌が悪くなった」

 このバイクには「感謝している」単身ベトナムに来て、「どうしようもなくなった時」

「良くなってきたとき」、「友達と遠くに何度もツーリングに行ったとき」

その時々でいつも一緒だった。何度か事故にもあった。

それでも「今まで大きな故障なく頑張ってくれた」

 このバイクとあと3日になった今日、朝会社に行こうとしたら「うんともすんとも言わない」

セルが回らない?「昨日、バイク屋に行ってバッテリーのボルト数も測って、少し乗ってれば

復活するね」と言いうことで昨日は、そこそこ買い物で乗った、そしてその途中では

異常は無かったが、「今日またこの状態だ」冷静に判断すると、乗ったすぐあとは大丈夫だったが?

充電されてない?「充電器?」(ダイナモ)

 昨日の修理屋さんを呼んだ、5分で来てくれてB2の駐車場から一人で「押して地上に出て、200mほど離れた

バイク屋さんに押して持って行ってくれた。

 以前からブログでも度々紹介したがベトナムバイク屋の「対応力の速さと正(確さが秀逸だった」

① 着くなり症状を部下に伝える。(この時点ですでにダイナモに明代があることを見抜いていた)

おもむろにダイナモのある側面部を「マフラーを外し、カバーを外し、ダイナモを引っ張り出した」

ものの5分もたってない。そして「ダイナモ自体にテスターを当てて、使えるかどうか調べ、中をばらして

色々やったが? 最後には女主人が「交換したほうが安い」という判断。私もOK を出す。

(この時点で修理費も明確に「*****だけかかるよ」と伝えてくれる。

② 女主人はそういうが早いか「バイクに飛び乗りどこかへ行ってしまった」

③ その間に、ダイナモが働かなかったために「バッテリーも疲労困憊」充電するが

なかなか「復活しない」、私も「最後のご奉公、バッテリーも変えてくださいと依頼した」

④ そんな中、バイクで出かけた女主人は「ヤマハのダイナモ」を抱えて登場。(近くの部品屋に出向き

新品を購入してきた)ものの5分。素晴らしいチームワークだ

⑤ そしてスタンバっていた作業者はそれを受け取り「交換、そしてバッテリーも交換し終了」

私にすれば「あっという間の出来事だった」 合計全てで(出張費などもちろんない) 900,000VND

(ダイナモ交換、配線交換、バッテリー交換)4500円・・・ベトナムでは高額だが、内容が内容なので

安いと思う。適正価格だと思う。

 

*以前日本でバイクに乗っていた時、エンジンがかからず

バイク屋に押していった、原因は特定できず、預けた挙句、ばらすのに7000円かかり、治るかどうかわからない?

との事。「知り合いに頼んで持って帰ってきた」

 日本はなんでも「確定するのに時間がかかり」「部品を取るのに時間がかかり」こんな作業だったら、ゆうに3-10日

かかり、修理費も「何万」とかかると思う。

 せっかちの私にとっては「ベトナム修理技術は本当にありがたい」

優秀だと思う。 日本のように「確実性、安全性、後で文句の出ないような補償、等々」重視のあまり

「本来の修理技術や、経験技術者の勘のようなもの」を行わない方式を、私は良いと思わない。

今まで修理に何度も行ったが、2h以上かかったことは無い。

(今回のようにJAFなどいないが、取りに来てくれて、待ち時間なしですぐに修理してくれる。)

なんと素晴らしい「体制であるか?」

ベトナム修理技術、恐るべきである。

 11年連れ添ったこのバイクともあと3日でお別れである。しかし社員の「妹さんがバイクが無い」というので

「大事に使ってくれるなら、ということでゆずることにした」知らないものの手にわたるより

知り合いが「大事に乗ってくれるなら」こんなに良いことは無い。

 最後に、「悪いところを整備し、部品交換し、良い状態で送り出してやりたい」

今まで、本当にどうもありがとうございました。「あなたは」まだまだ走れるよ!

頑張ってね。

(10年、55000km、お疲れ様)

 

*今回の修理屋さん「素晴らしい対応と技術だった」

*先日「ハノイで初めて住んだアパートの近くの「PHO QUAN」屋さんに出かけた時

*オイル交換やその他の整備はまじめにやった。RUA XE(洗車はあまりやらなかったが)

そのおかげで10年55000km ベトナムを走破した。

これからも末永く頑張ってね!

*このバイクの良いところは、前に荷物をたくさん積めること。多くの荷物をもって

遠くまで「荷物運び」も良くやった。ハノイのような「混みあった町で乗るには

もってこいのバイクだった」シートも低く、軽いので、女性にはすごく乗りやすい

バイクだと思う。

 

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ベトナムハノイの「良い習慣」

2021-07-05 15:18:14 | ベトナム・ハノイ

 以前も時々あったが、今週来てみると

「社員が花を飾っていた」

今回の花は「きれいなユリの花だ」

ベトナム語では」「LY」(リー)という

よく女性の名前に使われる。

弊社にも1名「LY(リー)」さんがいる。

ベトナムの女性の名前は

・花の名前

・自然(風、川、など)

・感情(優しい)

などが多い

考えてみれば日本もそうだった。

しかし今は「どりらかというと【音】重視のようだ」

(*トイレットペーパーが場違いだが、ベトナムでは「よほどの場所でない限り

社内で使う形式はこのトイレットペーパーを使っている。中には中心まで

全部ペーパーがまかれていて、もともとトイレのホルダーに取り付けるように

なっていないものもある。:ベトナム情報)

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ベトナムハノイの「プロパガンダポスター」

2021-07-05 15:08:56 | ベトナム・ハノイ

 

 ほぼ「社会体制」「経済体制」は資本主義化しているとはいえ

ベトナムはまぎれもなく「社会主義」なのだ

 情報統制やインフラの自由度などはほぼ日本と変わりない。

そんな中で、町のいろんな場所に見られる「プロパガンダの絵」は

社会主義を感じさせる1つかもしれない。

 今やこれは「芸術の域に達し、お土産物屋さんでもポスターとして売っているくらいだ」

もちろん作者などはわからないが?

 先日、住んでいるアパートの「掲示板」にも同種のポスターが張られていた。

「これは国会議員の選挙、投票を促す」ポスターだ。

独特の雰囲気がある。

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ベトナムハノイの「歴史遺産」

2021-07-05 13:38:14 | ベトナム・ハノイ

 

 ガイドブックを見れば「観光名所はたくさん載っている」

しかし、本当に「ハノイを感じられる場所は、別にあると思う」

 ここは「先のブログで紹介したPhan Dinh Phung 通りだがその道すがらに

見ることのできる「ベトナムらしい場所である」

・この写真は大きな協会(クアバック教会:クアバックは北門の意味である)

ベトナムの「博物館」や「美術館」「政府建物」など

多くがこの「黄色い外壁である」日本では到底考えられない色だが?

実はこれは「フランスの影響が色濃く残っている」建築様式も

妙なところに「細かい彫刻風の細工がされている」これは最近の

高級マンションなどでもみられる。すでに「フランス文化、建築様式、などは」

ベトナム文化として「取り入れられている」しかし間違いなく

ベトナム風にアレンジはされているが?

・比較的新しい「この教会」と対比をなすのが「タンロン王国の外壁に残された北門」である。

ベトナム文化が色濃く残る建築様式だ。

 このようにベトナム文化は「支配したフランスの様式を色濃く残し、不自然ではない形で

調和している。あまり「観光」では訪れない場所である。

これが「クワバック教会」きれいな黄色の外壁

これが対峙する「タンロンの北門」

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ベトナムハノイの「ハノイらしい道」

2021-07-05 13:14:25 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイの「ハノイらしい道」

 在住11年目、ハノイの道は数多く走ってきた。

その中で「自分が、一番ベトナムらしい、ハノイらしい道」というのがある。

名前はPhan Dinh Phungという道だ。Hoang Hoa thamからそのまま続いているので

どこで「Phan Dinh Phung」になったかはわからないかもしれないが?

ここは、ハノイの政府の中心である「ホーチミン廟」の北側を通り、「ホン川」まで行っている

道である。とにかく「街路樹が多く、大きく、暑い夏でもこの道に来るとホッとするほどの

木々が生い茂っている。そして道すがら「右側がタンロン王国だった、遺跡群がある」

(知られていないが、ここは世界遺産に指定されている」そしてこの都を囲っていた

外壁やその門が存在する。(一般の家はほとんどなく、政府施設、大使館、お役人のための

住宅、教会、公園」などが集まっている。左側は少し行くと「タイ湖」である。

そしてこの道の終点は「あのロンビエン橋に続くYen Phu」に突き当たる。

朝早くこの道を走ると、「あーここがベトナムハノイなんだな?」と強く感じる。

喧騒さや空気汚染をしばし忘れれる場所である。

左側が「タイ湖」「右側が旧タンロン王国の都後、現在は政府機関や世界遺産がある」

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