★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「ありがとう、お疲れ様」

2021-07-08 09:43:22 | ベトナム・ハノイ

ベトナムハノイの「ありがとう、お疲れ様」

本日午後「注文したバイクが納車される」

オプションパーツがタイからの輸入だったためなんと3週間もかかった。

 

 そして「10年付き合った今のバイクともお別れである」

複雑な心境だ、「長年親しんだものには魂が宿るような気がする」

 ベトナムに来て間もないころ、そのころは「未だ外国人のバイク所有が許されていなかった」

故に「お父様がベトナム軍人大学の要職」に就かれていた社員から、

「うちの父が所有者になってバイク購入しますよ」と申し出でくれて

そのお父様の名義のバイク「YAMAHA NOZZA」を購入した

 新車で16万円だった「ナンバーも手配済」で販売店に行って簡単にバイクが手に入った。

あれからもう10年、その社員は」日本の取引先の技術者と恋に落ち

今では三重県に住んでいる。お父様も退職されたようだ。

そしてこのバイクとは

・遠方のSON LA(ハノイから300km)往復をはじめ、ハノイ近郊をはじめ、いろんな場所を回った

もちろん通勤、買い物に大活躍だった。旅の途中で「故障」することもなく

私を失望させたり、困らせるようなことは皆無だった。

 日本人一人きり、のさみしい週末に「そこらじゅう周った、パートナーだった」

ベトナム進出、バイクと過ごしたベトナム生活が決して簡単だったわけではない。

同業他社の社長は「みんな、お抱え運転手付きのかっこいい社用車に乗っていた」

会合があると「私だけがバイクで出かけた」バイクに乗っているゆえ、ホテルのボーイに

じゃけんに扱われたことも1度や2度ではない。

社員からは「社長なんだから車に乗ってください」

と言われた。(そりゃ乗れればのりたいよとは言えずに、「バイクが好きなんだ」と答えた。

(今は、無借金経営、車も買える。でもバイクに乗っている。それはバイクが本当に好きだからである。)

 それでもそういう会社はすでに倒産したり、撤退したり、残っているのは社長がバイクに乗っている弊社だけである。

良いこともあった、どこに行くにも「社員と一緒に出掛けた」、社長と従業員という垣根を取り払ってくれた

一緒に会社を立ち上げた社員は今でも

どこにでも一緒にバイクで出かける。そんな関係を作ってくれた1つはこのバイクだった。

そして、

会社がつぶれそうになった時も、「活躍してくれた」

社員に給与を払うために「日本の家を抵当に入れたこともあった」サラ金3社から

給与を払うために借金したこともあった。そんなだったから

ベトナム関連会社に行くタクシー代を

節約するために、炎天下「社員を後ろに乗せ、50kmの道のりを何度も往復した」

そんな時を一緒に

過ごしてきた、支えてくれた「仲間だった」 

 そして10年55000kmを頑張って走ってくれた。

私の走り方は「社員から言わせると、アグレッシブ」だそうだ

バイクが可哀そうだと。

そんな私の運転を、故障もせずにささえてくれた。

感謝している。ただのバイクだが、「人生の一番苦しく、楽しかった時

を共有した思い出深いパートナーだった。」

 

 さてこれからは「社員の妹さんがオーナーである」

私も1度お会いした。やさしそうな24歳のお嬢さんである。

社員も「会社設立時から支えてくれている優しい社員である」

プライベートでも大変お世話になっている。

 そんな知っている人がこのバイクをかわいがっていただける事に

感謝する。「古いバイクですが、整備はばっちり」まだまだ走れます。

どうかかわいがってください。よろしくお願いします。

 そして「NOZZA 君」10年間どうもありがとうね。

(昨日は3歳友人の調子が悪く、その薬を調達しに夜の雨上がりの

澄んだ空気のハノイで最後ドライブができた。「もう少し乗りたかったから」

何かの縁なのかもしれない。楽しかった、ありがとう)

 そして、この写真は」今朝、朝食のバインミーを買いに行った時の

最後の雄姿だ。なんか今日は一層かっこいいね!

「元気でね」さようなら。ありがとう。

ありがとう、さようなら、元気でね!

 

 

コメント
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