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次は葛根湯です。
これは非常に大事な薬です。昔は町医者だったらほとんど
葛根湯だけでかなりの医業が出来たのかも知れないですね。
本当のお金持ち相手の御殿医等は
百味箪笥みたいなものを持っていたのですが、
落語に出てくる葛根湯医者というのは葛根湯の成分と大黄、
その他の合計10ぐらいの薬味でやっていたのです。
薬箱に絵が描いてあるのです。
大黄なら大王がふんぞり帰つている絵が描いてあるのです。
麻黄は本当に悪魔の王様の絵が描いてあるのです。
他の薬は何が描いてあったかよく覚えていないのですが、
全部絵で描いてあったのです。それでも感覚で
これはどういう薬だというのを何年も使っているうちに
きっと左脳が覚えてしまっていたのでしょうね。
それだけで加減法をやっていたのです。
葛根、麻黄、桂枝、芍薬、生姜、大森、甘草のほか、
大黄、杏仁、石膏ぐらいでやっていたのです。
当然、柴胡の様な高い薬は使えないので、そういう時は
もっと偉い先生のところに行ってもらったのです。
でも、10味ぐらいでかなりの治療が出来たのです。
例えば葛根、麻黄の量を減らせば桂枝湯になります。
それでもあまり薬を飲んでない人だったら充分効いたと思います。
昔は薬と言ったらすごく高いものでしたからね。
どれかを増やし、どれかを減らし、ちょっと何かを加えたら
いろいろな治療が出来たのです。
昔は庶民は貧乏でした。
常時薬を飲んでいる訳には行かないのです。
咳が出た、下痢した、お腹が痛いというその時だけ
治療してもらえば良いのです。
それで治らなかったら天命だと諦めたのでしょうね。
江戸っ子は宵越しのお金は持たない等と言うのですから
お金はなかったのでしょう。
今だったら箪笥の奥から何かを出してそれをお金に変えるとか、
宝石を売って何とかする事が出来るかも知れません。
でもその頃、町医者というのはこの10味ぐらいの薬で処方して
1回か2回飲ませれば何とかなったのでしょう。
日常出会う病気だったらそれで足りたのでしょう。
そして葛根湯はこれだけたくさんの薬味で構成されていても
葛根湯と命名されているのは、葛根が主薬だからです。
陽明の主薬なのです。陽明というものは
外から入って来るものを取捨選択するものです。
悪いものは出来るだけ入れないのですが、
入ってしまったら口から吐くか大腸から出すのです。
そうしないと太陰である脾や肺がやられてしまいます。
そうならない為に取捨選択をするのが陽明です。
大腸に至る前にまず胃で反応します。
「陽明の病たる胃家実これなり」と言いますが
胃で戦っている状態です。
この状態に使うのが本来は葛根湯です。
葛根湯の中の麻黄の量を減らすと桂枝加葛根湯になります。
この場合も胃の症状があります。
葛根湯の人というのは、当初は言わない事が多いのですが、
後で聞くと急性疾患で葛根湯証になっているときは
潜伏期として必ず胃の症状があります。
その何日か前から全然食欲が無かったとか、
食べたあとにお腹が張ったとか、そういう症状があります。
昔は、陽明病あるいは太陽と陽明の合病の状態では、
あまり医療機関にかかっていないのです。
やはり古方の人達の使っているのを見ると
麻黄湯や桂麻各半湯が多いのです。
太陽病の状態になって初めて医療機関に来る事が多かったのです。
人間の反応自体が変ったのかどうかわからないのですが、
私のところでは大人はインフルエンザの時以外は圧倒的に葛根湯が多いです。
この前、私は麻黄湯証になってビックリしたのですが、
こういうことは滅多に無いですね。麻黄湯は小さい子供場合はあります。
赤ちゃん等はほとんど麻黄湯です。
葛根湯を投与するときは、
必ずどこかに陽明の症状があると言う事を念頭に置いてください。
この前、私が勘違いしたのは下の症状(下痢)を陽明としたのですが、
後で考えると小腸性下痢だったのです。
あれは小腸性ですから太陽病だったのです。
陽明の下痢は胃がバンと張るとか、すっきりしない下痢等があるのです。
エキス剤で使うときはこれで決まりなのですが、煎剤で作るときは、
好きな分量で処方すれば、葛根湯という名前でいろいろなことが出来るのです。
もうちょっと贅沢な医者だったら、10ケの薬味の他に桔梗も使って
葛根湯加桔梗石膏とかという処方も作れるのです。
更に黄芩を使うと芍薬では足りない少陽病の処方も作れます。
この附近まではあまり高価な薬ではなかったと思います。
黄芩はこがね花ですから多分簡単に使えたと思います。
後世方の人達はこれらに朮や附子ぐらいまで使ったと思います。
ただ附子になるとかなり高度な医術がないと使えなかったのでしょう。
というのは、加工附子や修治附子なら殆んど毒性は無いのですし、
今は煎じ用の附子でもかなりキチンと修治してあるので、
注意して使えばそんなに危険なことは無いのです。
でも昔の医師が附子を使うとしたら、できあいのものがないのですから、
自分で焙ずるしかなかったのです。焙じすぎれば薬効がなくなるし、
焙じ足りないと毒性があるので危険です。加工附子や修治附子を
作っている工場に行って見学させてもらった事があるのですが、
その工場に入っただけ具合が悪くなります。
因みに言えば、現在の医師や薬剤師といえども、
自分で焙じて患者さんに出したら 薬事法違反になります。
自分で焙ずるだけでその臭いを嗅いだだけで中毒する事にもなります。
私は今だったらそうでは無いのかも知れませんが
若い頃はまだ体力がある頃ですから、
工場で焙ずる臭いを嗅いだだけで具合が悪くなりました。
工場を出て来たらボーっと上気してしまいました。
それぐらい大変なことになります。
だから町医者は、多分附子は使っていなかったのではないでしょうか。
朮と石膏があれば、越婢加朮湯等が作れますので、
越婢加朮湯も使っていたかもしれません。
肝を押さえるとときは芍薬を増量し、
気の上衝がある時は桂枝を増やしたりしていました。
前にも言いましたが、
葛根湯の一番の特徴は、布団をがけても寒いし、汗が出ないのです。
30分でも一時間でも布団にくるまっています。
更に葛根湯を飲めば汗をかいて治ります。
無汗といいながら丁寧に触れば皮下に水気を感じます。
麻黄湯の場合は汗を感じないのです。
うつ伏せで水に浮かんだとき、水面に出る部位に症状を出すのは、
葛根湯も麻黄湯もあまり変りは無いのですが、
桂枝加葛根湯の場合は、にも拘らず無汗でないと傷寒論は表現しています。
而(にも拘らず)という字で書いてあります。
桂枝加葛根湯は葛根湯と同じ項強等の症状がありますが、
その上に自汗があるのです。
そして葛根湯の正証ならば意外に咳をしていないのです。
むしろ麻黄湯や桂麻各半湯の場合の方が咳をすることが多いのです。
葛根湯の風邪をひくと陽明でくい止めているのです。
陽明が実するということは邪を陽明で頑張って肺や脾に入れないためですので、
意外に肺の症状は出ないのです。
桂枝加葛根湯は麻黄が入っていません。これは自汗があるからです。
麻黄による鎮咳作用は考えに入れていないのです。
ところが太陽病として発症してしまう人は
陽明を通り過ぎてしまっていますので、
逆に陽明のガードはなくなってしまうのです。
太陽病では陽明の実は消えているのです。
だから場合によっては肺の症状を出しやすいのです。
ところが陽明病で発症し、太陽病にならずに
陽明のガードが外れ咳をし始めたら麻杏甘石湯になります。
これだけの治療が出来るのです。
だから昔の町医者は10種類ぐらいの生薬で治療出来たのです。
今、どうしたら良いか胃の痛い思いをして医者をやっていますが、
昔の医者は幸せだっただろうなーと思いますね。
大王や魔王の絵の描いた薬味ダンスを引っ張り出しながら、
何が来ても葛根湯を出していたというほうが良かったのかも知れませんね。
葛根湯の水を動かす部分については茵蔯五苓散のところで言ったとおりです。
今日はこれで終わります。
質 問
寒気が無いのに熱がある場合は?
答 え
それは大抵は陽明の時期を過ぎているので桂麻各半湯になります。
一番基本です。ごく稀に香蘇散の場合もあります。
香蘇散や参蘇飲の人は風邪でないときも似た症状を出します。
要するに風邪症状があって、寒気がないのに熱がある場合は桂麻各半湯になります。
太陽のところにちょっとかかって、そこで止まっている状態です。
質 問
鼻水とかくしやみをして いるのは?
答 え
鼻水というのは肺の入口で肺を一番ガードしているところです。
陽明の入口ですので葛根湯です。
水鼻の場合は小青竜湯のこともありますから、ちょっと考え方が違ってきますが、
一番多いのは葛根湯です。よろしいですか。ではこれで終わります。
第12回「さっぽろ下田塾」講義録
http://potato.hokkai.net/~acorn/sa_shimoda12.htm
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http://mumon.org/ryakkai014.html