法に「此れまで」「此れから」は無い。
道は、歩まぬ先にも歩んだ後にも無い。
我と大地有情と同時成道は、只今の事。
只今にもう一つの只今なく、前後際断。
一得一失の道中には、相対の際が無い。
右の景色を得る処に、左の景色を失い、
左の景色を得る処に、右の景色を失う。
見聞覚知する処の、主客の生死は一つ。
対象の認識未だ到らぬ処に、彼此なく、
彼の認識と同時に、認める此を分かつ。
認識の前も後も、自らの視座の上の事。
一切の彼此の、認識上の生死は等しい。
彼此の間には時空が無く、因果は一如。
文字は相対を離れず、事実は対を絶す。
只今の事実には、我の入る余地が無い。
文字は、意味を知る我を建前とする処。
事実は、対象を認識する我が未だ不生。
是非を分別する以前の処に、我は未在。
認める一つが無い処に、二つを生ぜず。
二つを認めての一つは、我の相対の念。
それ故、二元の間から一歩も離れない。
意味、解釈、見解は、認識後の我の懐。
分別は、右へ左へ相対の回廊を彷徨う。
生じ滅す事実に、相対の寄る辺は無い。
始め終りを知らぬ処に、二元の間なし。
向かわんとする処も、至る彼岸もない。
自らの念を追う処は、彼此の間に迷う。
達磨は、対を為す両足の草鞋を履かず。
彼岸なき故、最初の一歩が最後の一歩。
二見の無い処は、只今が只今で終わる。
法に二法は無く、対を絶して一期一会。
「水鳥の行くも帰るも跡絶えて、
されども路は忘れざりけり」道元
隻履達磨図(白隠)
今日の縁:「目は横に、鼻は縦に」
https://ameblo.jp/hosshinzendo/entry-12476267236.html