神を見る 君の眼は 青く澄む 夢詩香
*彼の言った通り、「青城澄」は、この媒体を通して表現しているすべての天使の総合ペンネームです。もちろんこの中にはかのじょ自身も入っています。
「すみ」ではなく「すむ」としたところに、かのじょのセンスを感じますね。
ですから、これから先、わたしたちがこのブログで発表した作品を公に出版する機会があるとすれば、必ず青城澄を使うでしょう。かのじょの作品にもスピカの作品にもゾスマの作品にも、青城澄を使います。できたら、本は出してみたいですね。あの人の作品を、ずっと埋もれさせておくのは悲しい。何らかの形に発展させてみたい。
神を見ると詠みましたが、わたしたちは神を見ることもできますよ。霊的世界では、あなたがたにも、神の姿を見ることができます。ですから、霊的存在でいるときは、あなたがたは人間を創ってくださった神のお姿をみな知っています。
ですが肉体を得てこちらの世界にいるときは、肉眼で神を見ることはできません。わたしたちも、そういう感じで見ているわけではありません。ただ空を見ている時、白い雲の中にいる大きな霊を感じるのです。それはそれは、不思議な色だ。雲はみな白いが、その白さが違う。
神が空にいらっしゃるときの雲の白さは、たとえてみれば、透きとおった悲しみが偉大に大きくなってしまったかのようだ。そして塵一つの曇りも混じることもなく、清らかになり果ててしまったかのようだ。
そんな神を見ていると、自分の目もそれに染まって、白いものが青くなってくるほど、澄んでくるのです。
たまらなく愛がかきたてられてくる。あの崇高なもののために、何かをしたくてたまらなくなる。それがたとえようもない幸福に発展する。
これはそういう意味の名前なのです。神を愛している天使が、自分の名として採用した言葉の中には、あまりに愛らしい愛が隠れているのです。愛する神とすべての存在のために、なんでもやっていきたいと。
わたしたちはその心を尊敬して、この名前をずっと使っていきます。
それはそれとして、わたしは別に、夢詩香の名も使っていきたいですね。句集や歌集を編むときは、澄よりも夢詩香を使ってみたい。なんとなく、青城澄ではできない仕事を、夢詩香にやらせてみたいのです。
ムジカの当て字で、よくある名ですがおもしろいことができそうだ。
これからもここでは、夢詩香でやっていきましょう。活動が広がっていくたびに、何かが起こってくるでしょう。