桓魋の 悔いは涙を 魚にする 夢詩香
*「魚」は「うを」と読みましょう。二文字の言葉は、短歌や俳句にとっては珠玉です。いろいろと収集しておくことをお勧めします。
カワセミのことを「鴗(そび)」と言い、カイツブリのことは「鳰(にほ)」という。ガマガエルは「蟇(ひき)」です。屋根をふくのに使う草を「萱(かや)」といい、キジとウサギで「雉兎(ちと)」という。「疾し(とし)」は速いという意味で、「睨む(ねむ)」はにらむという意味です。榾(ほた)、愛し(はし)、鶴(たづ)、避く(よく)…。当節流行りの「ゲス」は、もとは「下衆、下種」で、素性の賤しい者とか、使用人という意味です。
活用すると、少ない文字でおもしろいことができますよ。
ところで、桓魋(かんたい)は、論語に出てくる悪人の一人です。陽虎(ようこ)と並び称される。諸国を遍歴していた孔子が、宋の国に入ったとき、宋の司馬(軍務大臣)桓魋が、孔子を殺そうとしたのです。この言葉が有名ですね。
天、徳をわれに生ぜり。桓魋それわれをいかん。
天はわたしに重大な使命を課したのだ。桓魋ごときがこのわたしをどうすることができよう。
確かな自分に自信を持っている人でなければ言えない言葉です。
本当は陽虎を使いたかったが、字数が足りないので桓魋にしました。文字数は重要です。形に合わせて言葉を選ぶと、それに合わせて微妙に意味が違ってくるのが面白い。
論語の中では、陽虎や桓魋は悪人扱いですが、霊魂としては、顔回よりはずっとましですよ。なぜなら彼らは、この人生で孔子をいじめたことを強く後悔し、次の人生でそれを改めようと努力しているからです。本当です。特に陽虎はがんばっている。かなり何とかしましたよ。
涙を魚にするとは、後悔して泣いたことを、そのままにしておかず、できることをして、自分をなんとかしたということです。魚のように動いて、働いて、自分のやったことを償おうとしたのです。彼らは、孔子の心を見抜けなかった自分の不徳が恥ずかしいあまりに、やらずにいられなかったのです。
人間というものは、初めから賢いわけではありませんから、誰でも馬鹿なことをしたことがある。それを後悔してやり直せる人が、伸びていくのです。
陽虎は今もがんばっていますよ。桓魋もだいぶなんとかしています。よい人間として、見事に立ち直っています。
過ちて改めざる、これを過ちという。
孔子のこの言葉を、誰よりも守っているのはこの二人かもしれない。
過ちをしたら、自分を嫌なものにして何もせずに馬鹿になっているよりも、後悔の涙を魚のように振り動かし、できることは何でもやっていきなさい。それが、握り飯を作って、あの人に差し上げるということくらいでも構わない。自分にできる、正真正銘の真実を、その人のためにやるということが大事なのです。
まことこそが、人間を救うのです。