薄紅は 溶けて消えゆく 桜かな 夢詩香
*もう春がそこまで来ましたね。桜の枝にも花の芽に色が見え始めてきたころでしょうか。美しい花の季節がもうそこまで来ている。
ソメイヨシノという桜は、薄紅というよりも白に近い。だが真っ白でなく、かすかに甘い紅が、光るようにかすかに白の中に存在している。それがまるで、何かが消えていくという予感を教えているようだ。夢幻の中に酔うていると、本当に何かを失ってしまいそうだ。
桜ははかなさの象徴でもあります。いっぺんに咲き、いっぺんに散っていく。つかの間の夢幻を見せてくれたかと思うと、あっという間に風の中に消えていく。花の終わった後は、また日常の日々がやってくるが。それはいつものことであるし、また来年も咲いてくれるから、別に平気なことになってはいるのだが。
本当は、毎年桜が咲くたびに、何かを失っていることに、人間は気付かないのだ。
今年の桜は、去年の桜とは違う。今の自分は、去年の今頃この桜を見ていた自分とは違う。何が違うだろう。そうすると、年をとって、いたずらに月日を過ごして、失ってしまったものが何かが、おぼろに見えてくる。それを確かに見るのがいやで、人間は桜の下で、酒を飲むのです。
どんちゃん騒ぎをしていれば、自分の真実の姿に気付かずに済む。
花の時はつかの間なのだ。人生はつかの間なのだ。馬鹿なことばかりやっていると、何かをなくしますよ。
枝の下で、うまい料理をつつきながら、ビールを飲んで騒いでいる人間たちに、桜ははかない薄紅の色で、語り掛けているのです。
今は咲いているけれど、わたしは明日には消えていきますよ。いつまでも、この世にいるとも限らないのですよ。ソメイヨシノは難しい花だ。自分で実を結ぶことはできない。
まるで、あだしよに降りてきた天女のように、いつかは時の中に溶けて消えてゆくかもしれないのだ。
だが、そのかすかな声が聞こえる人間はほとんどいない。いつでも人間は、何かを失った後で、初めて気づくのだ。