かもしかの 産みしむすめを ひろひきて 玉を食はせて やしなはむとす
*今日はおもしろいものを取り上げてみました。不思議な歌ですね。歌全体が、一つの隠喩になっているからです。
大意をそのままいえば、自然の神の心を拾ってきて、それに玉のように美しく大切なものを与えて育てて生きなさいということなのだが、それをファンタジックな物語風に言い換えてみたというものです。
かもしかというものは、不思議に美しい動物だ。森の中でまれに出会うことができるが、そのとき人間は不思議な感動に打たれる。何かとても尊いものに出会えたような気がするのです。
かもしかが、自然の神の愛に包まれて生きているからです。阿呆は、神の心から随分と離れて、ねじ曲がった生き方をしていますから、自然の神の中で生きているかもしかのようなものに出会うと、神に出会ったのではないかとさえ思うことがある。
実際、それと同じくらい美しいことなのですよ。瑠璃の籠の詩の中に、二人のヴァイオリン奏者がカモシカの目の中で出会うというくだりがありましたが、それは嘘と本当が、自然の神の心の中で、和解するときが来るだろうという意味です。
こんな歌を詠んだら、本当に一つの幻想物語ができそうだ。森の中で、ある青年が青いかもしかに出会う。阿呆ばかりやっていたその青年は、かもしかの美しさに打たれて激しく心を惹かれる。そのあまりに美しいものの正体を見極めようと追いかけていく。そしてそのかもしかが実は、美しい森の神の娘だったりする。
なんだか書いてみたくなりました。
森の神の娘の美しい正体に気付いた青年はどうするでしょうね。その人を妻に迎えたいと願えば、森の神の試練に挑戦せねばならないでしょう。その試練とは何か。そうですね。こういうのはどうでしょう。森の木を伐る男たちの斧をすべて海に沈めて来い。あるいは、人間が森から盗んでいった木の代価を、人間の髪で支払え。
おもしろいことになりそうだ。
ファンタジーというものは、痛いことができる。現実世界から遊離した魂を、不思議な規則の杖にからめとり、不思議な世界を織ることができる。
かのじょの物語もすばらしかったが、わたしが書けば、また美しいものができますよ。いずれお見せしましょう。