なにもかも 捨てておのれに かへりゆく 人は見いだす 自由の翼
*相変わらず歌がうまく詠めません。これなどもここに来るまで苦労しました。何回も推敲してようやくたどり着いたという感じです。スランプはつらいですね。でも何とかがんばっていきましょう。
何もかもを捨てて本当の自分に帰ってゆく人は、自分に自由の翼があることを見いだす。これはその通りです。人間は今嘘にまみれた暮らしをしていますが、その嘘にまみれた自分の一切を捨てて、本当の自分に目覚めれば、自分に恐ろしく美しい自由があることに気づくのです。
自分はこの自分を使い、なんでもすることができる。愛の空を、自由に飛ぶことができる。愛のために、美しいことをなんでもやっていきたいと考えている、美しい自分がいる。自分とはそういうものだったのだ。神はそういう風に自分を創ってくださっていたのだ。そういう真実がいっぺんにわかって、そのあまりのすばらしさに泣きたいほど感動するのです。
そこから振り返れば、あれほど大事だと思っていた嘘の幸福など、まるで馬鹿なものに思える。あんなものにこだわっていたのかと思うと、昔の自分が自分ではないようにさえ思える。
本当の自分とは、まことにすばらしいものなのです。
そこに行きつくためには、嘘の自分をすべて捨てねばなりません。蝶がさなぎの皮を脱ぐように、自分を丸ごと捨てねばなりません。それができて初めて、美しい自分の自由の翼が見つかる。
蝶という生き物は、魂の進化の道筋を表す神の隠喩です。神は蝶という生き物を創って、遠い遠い昔から、人間にメッセージを送り続けていたのです。おまえたちもいつか、この生き物のように、魂に自由の翼が生えてくるのだと。
なんと美しい愛なのか。神はわたしたちのために、すばらしいことをなんでもしてくださる。
だから自由の翼の生えた人間は、神が創ってくださった自分を使って、愛のために何でもしていきたいと思うのです。