天つ日の ごとき衣を 退けて 君の選びし 月の岩屋戸
*昨日が厳しすぎる歌だったので、今日は少しやさしいものにしましょう。俳句はちょっと待ってください。毎日、友達がおもしろい歌を詠ってくれるものですから、取り上げないわけにはいきません。
「月の岩屋戸(つきのいわやど)」は、「天の岩屋戸」という言葉があるので、それをもじりました。天の岩戸伝説は、日本では常識の教養ですね。日本神話の太陽神アマテラスが、スサノヲの乱暴狼藉に怒って天の岩戸に閉じこもってしまった。それで世界が真っ暗になってしまい、困った神々がいろいろ何とかしてアマテラスを岩戸から引きずり出した。
昔から、こんなことはよくあったのですよ。男というものは、女を馬鹿にしてしまい、女に逃げられるのだが、そうなると、まるで太陽がなくなったかのように人生が真っ暗になって、あわてて女を呼び戻すのです。
わかりますね。今でも時々こういうことはあります。天の岩戸伝説は、古くからあるこういう人間模様が、神話となってできたものでしょう。
「月の岩戸」とは、かのじょの魂が眠っているところのことを言いますが、実はこの言葉ができるのには、曲折がありました。最初、試練の天使がかのじょが退いて眠ることを宣言したとき、「天の岩戸に閉じこもる」と言おうとしたのですが、それにかのじょが影響して、「月の岩戸に閉じこもる」と言い換えたのです。
試練の天使は、かのじょのことを、太陽のように大切な尊いものなのだと言いたかったのですが、かのじょはそれは恐れ多いと思い、「天」を「月」に言い変えたのです。そこから、かのじょのもう一つの名が、ルナになったのです。
奥ゆかしいかのじょのやりそうなことではあります。みなが集まって、あの人を一番きれいなものにしてあげようとしているのに、遠慮して、もっと小さくしてくれという。なんとなく、大きなつづらより小さなつづらを選んだ正直爺さんという感じがしますね。
まあ、本当に美しい女性とはこういうものだ。一番上の目立つところには行きたくない。できるだけ目立たないところに引いていたい。皆の方を立ててあげたい。
ところが、そうはいかないのだ。目立たない方にいこうとすればするほど、その美しい人を見たい人が、その人を一番目立つところに引っ張り出すのです。自分を引こうとする人ほど美しいものですから、どうしても人はその美しさを見たがる。田舎の隅っこに住んでいたあの人を見るために、たくさんの人が努力してしまい、結果あの人は、生半可な芸能人よりも有名な、目立つ人になってしまいました。
本当に美しい人とは、どうしてもそうなるのですよ。
だが、アマテラスは何とか出てきてくれたが、かのじょは出てこない。アマテラスの時は、オモヒカネやタヂカラヲやウズメが協力し合って、何とか出すことに成功したが、このたびは、誰もそんなことをしてくれないのです。阿呆には二度と見せまいと、しっかり岩戸に鍵をかける。痛いものを見張りにつけて、誰も近寄れないようにする。
天の岩戸は開けども 月の岩戸は開かぬぞ
女に乱暴狼藉を働きすぎた男は、どんなにがんばっても、もう戻って来てはもらえない。そういう限界というものは必ずあるのです。
天の岩戸なら、開いたかもしれない。それは一番麗しいものだから。だがかのじょは、月の岩戸を選んでしまった。天の岩戸より、それは小さくて弱いものにみえるが、決して開きはしないのだ。なぜだかわかりますか。
答えを言うのは簡単だが、ここは控えておきましょう。みなさんで考えてみてください。