をとめごの こころがまへは 槻の櫛 夢詩香
*「槻(つき)」はケヤキの古名です。「月」の意もかけてあります。なのでケヤキの写真を選ぶべきですが、ないのでこれで我慢してください。
櫛といえば 花櫛や黄楊や鼈甲の櫛を思い出すものですね。ケヤキの木を櫛の材料にするということは、聞いたことはありません。
建材とか、盆や漆器の器材として使われるほか、庭木や街路樹としてもよくつかわれるそうです。
その姿は端正ですがすがしく、青年を思わせる風がある。花は咲きますが目立たず、夏は青々として、秋は紅葉する。冬の裸枝の姿も美しい。
どの季節にも強い個性を見せるが、あまり目立たない。
そのような木で櫛を作って、髪に飾れとはどういう意味になるでしょうね。
ユーラシア大陸の女性たちは、なよやかで美しい女性が多いが、古い時代の北アメリカ大陸の女性は、男性と比べるとほっそりはしているものの、見栄えにおいてはそれほど男性と強く変わりはしませんでした。
それなりに魅力的だが、激しく男を悩ますほど、暴力的な美貌ではなかった。どことなく、まだ髭の生えない青年の風があったのです。それが美しかった。
なぜなら、今はネイティヴアメリカンと呼ばれている、古い北アメリカに住んでいた人々は、あまり女性を虐げなかったからです。それなりによいものと認め、馬鹿にしなかった。ゆえに女性は、男を馬鹿にできるほど美しくなる必要がなかったのです。
だから男性も、女性に激しく恋をして悩み苦しむということも、なかったのです。
神が創られた自然の姿の人間は、本当はそういうものだったのです。男も女も今よりはずっと似通っていた。あたたかく愛し合うのにちょうどよい、ほどほどに魅力的な姿をしていたのです。
槻の櫛を飾れとは、そういう自然の女性の姿に学べということです。花や玉で極端に装い、色で迷わして男を利用しようなどと考えてはいけません。女性の本来の姿を知り、着飾らず、化粧もほどほどにし、身なりを清潔にし、品のよい態度を学び、青年のように清らかに生きよということです。
難しいことではない。本当はそっちのほうが楽なのですよ。男が、男におもねる生き方を強いるので、今は女性の生き方が歪みすぎているだけです。