おほかたは 鳥のためかな ぴらかんさ 夢詩香
*久しぶりに俳句です。今週は歌が詠めなかったので、日ごろ温めていた一句を出しました。
うちの庭には小さなピラカンサの木が生えています。初夏のころには小さな白い花を咲かせ、秋にはたくさんの赤い実が生って、楽しませてくれる。その赤い実をついばみに、小鳥が庭を訪れてくれるのも、楽しみだ。
そんなピラカンサの木を眺めながら、表題のようなのが思い浮かびました。ピラカンサはたくさんの実をつくるけれど、それは大方鳥のためではないかと。もちろん、自分の子孫を残すという戦略もありますがね、あれは小さな鳥たちを養うためでもあるのだ。そう考えると、とてもあたたかな愛を感じる。
以前、テレビで、サンゴの産卵の風景を見たことがありますが、それは見事に美しかったですね。サンゴが、無数の薄紅の卵を海中に放出すると、それを大喜びで、小さな魚たちが食べていた。あれは愛なのだ。サンゴは、小さな魚たちに愛を送っているのだ。大切な卵を食べられるのは痛いだろう。でも、この世界を形作っている、大きな愛に資するために、サンゴは無数の卵を産むのだと考えれば、サンゴが実に美しいものに思える。
赤いピラカンサの実も、薄紅のサンゴの卵も、実に美しい。それは、自分のための戦略だけではないからだ。美しい愛のために、自分をささげているからこそ美しい。
海に生きるイワシの群れが、輝くばかりに美しいのは、それが愛のひとつの姿であるからではないか。イワシは食べられるのは痛いだろう。でもイワシを食べたら、鳥や大きな魚たちや、人間が、ひと時幸せになれる。そのために自分をささげている。それが、この世界の愛の一面ではないか。
弱肉強食などと言いますが、愛でこの世界を見れば、それは美しい真実が見えるような気がします。食べられるものは、最も尊い愛を行い、それで魂の富を積んでいるのではないかと。
この世界は、美しい愛に満ちている。