あだしのに ましろなるもの くだりきぬ ちよろずにわく わたつみのいを
*古い作品が続きますね。これは2008年のかのじょの作品です。少々特殊な歌なので、取り上げたのです。
「あだしの(化野)」は山城国の地名ですが、その語感からでしょう、無常の世の中をたとえる言葉によく使われました。「いを」は「魚」、「わたつみ」は海のことですね。
この無常の風が吹きすさぶ野に、真っ白なものが降りてくる。千万もの数に湧く、海の魚のように。
おもしろいイメージでしょう。これは深い意味を蔵しているというよりも、かのじょが実際に見たものをそのまま描写しているのです。あの人は、この歌を詠んだ頃、こういう印象的な風景を見たのです。
空から何かが無数に降りてくるのです。いやになるほどそれがたくさんいる。あれは確か、かのじょが子供を連れて少し遠いところにドライブして行った時でしたね。まだ稲を刈っていない田んぼがありました。その美しい風景に惹かれて、車を降りて行った、そのときに見たのです。
見たというのは正しくないかもしれない。それは、何かの霊的現象がかのじょの感覚に飛び込んできて、それがかのじょの中にくっきりとそういうイメージを描いたというものです。
空から、何かが無数に降りてくる。それは人のように見える。まるで、千万もの軍隊が空から地上に降って来るかのように。あれが何だったのかを、わたしは説明することができますが、言いません。実に、難しいことだからです。あなたがたは知らないほうがいい。
しかしこの時の経験を、かのじょは後に物語に生かしました。月の世の物語に、こういう風景が描かれていたのを思い出しませんか。確か、ドラゴン・スナイダーが出てくるお話でしたね。「時」編です。興味を持った人は読み返してみてください。
わたしたちはよくこういう経験をする。あなたがたより感覚がずっと進化しているからです。人間の常識ではつかめないものを感じ、それを自分の想像力がほぼ正確に再生するのだ。
ほとんど、「見た」と同じことを経験する。
こんなことを馬鹿にしてしまえば、後が大変なことになるのですよ。あなたがたはまだ何も知らない。自分にはわからないことを天使が表現している時は、黙っていたほうがいい。でなければ時に、恐れ多いものを馬鹿にしてしまうことがある。
あなたがたは実際、かのじょの活動をことごとく馬鹿にしていましたが、それによって、実に大変なものも馬鹿にしているのです。何も知らないということは恐ろしい。子供が、核ミサイルのボタンをいじるようなことを、あなたがたはしたのですよ。