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たかどのの 人をおもひて 月影を 汲むごときにぞ むなしかりける
*「ぞ」~連体形の係り結びです。もうこういうのは自然にできるようになりますね。繰り返し練習していくと、特に気をつけなくてもすっと語尾が連体形になるでしょう。
たかどのに住む人に恋をして、それは月の光を器に酌むように、むなしいことですよ。
高殿の人というのは、特に高殿に住んでいるひとのことではなく、思うても届かない人のたとえです。この場合はかのじょのことを意味しますね。あの人に恋をしていた男は多いが、誰も届かなかった。
田舎に住んでいる普通の主婦で、少し乱暴なことをすれば手に入れられそうな気もして、様々なことをやってみたが、結局誰も何もできなかった。
見えない徳分というものが、どんな力を持っているかということを、人間は何も知らなかったのです。
かのじょは人類を救うために、これまであらゆるよいことをしてきてくれたので、かのじょを助けてくれる存在がそれはたくさんいたのです。見える世界にはほとんどいなくても、見えない世界にはそれはたくさんいた。だからそういう加護が働き、かのじょに手を出そうとしていた男をことごとく邪魔していたのです。
そのように、良いことを積み重ねていけば、いずれ不幸になりたくてもなれないという段階が来るのです。それを幸福の絶対安定状態というのだが、人間はこれを何も知らなかった。世界が愛のみでできていることすら知らず、悪の優位性を信じてあらゆる馬鹿をやりまくった。
たかどのに住む人というのは、そういう法則上の高みに登った人のこともいいます。愛の世界では、霊魂が幼いうちは悪と不幸の風にさいなまれる日々があるのだが、様々な良いことを積み重ね、進化していくうちに、存在として善の絶対安定の状態になっていくのです。それゆえにこそ、この世界は絶妙なバランスで存在することができるのです。
地球は、ちょっとやそっとのことで滅びるほどなまっちょろいところではない。絶対安定のすばらしい存在である神が、すばらしく大勢で支えている世界なのです。
人間の浅はかな悪で、そんな美しいものを崩せるはずがないのです。