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月去りぬ 道の紅をぞ 幸といふ をとめごころも 定まらなくに
*先日、和泉式部の歌など紹介したので、今日はのっけから何ですが、紫式部のこの歌を紹介しましょう。
ふればかく うきのみまさる 世をしらで あれたる庭に つもるはつ雪 紫式部
生きているといやなことばかりがあるこの世のことなど知らないで、荒れた庭に降り積もって来る初雪であることよ。
なかなか上手な歌だが、残念ながら偽物です。歌詠みとしては和泉式部のほうが高いですね。源氏物語は充分に読み応えがあるが、彼女は光源氏の不倫を美しく書いておきながら、和泉式部の不品行には苦言を呈したりしています。そこらへんに少し痛いものを感じないわけでもない。
紫が同時代の才媛、清少納言に嫉妬して辛辣な批評をしていたことも有名です。
清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人、さばかりさかしだち 、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。
紫式部日記
清少納言てなんて偉そうなんでしょう。かしこぶって漢文なんて書き散らしているけど、よくみればそんなにたいしたことないのよ。
これはどう考えても、ねたみそねみの感をぬぐえませんね。一方紫が和泉にはそれなりの評価をしているのは、和泉の素行に問題があるので、そんな感じで何となく自分が優位に立てるからでしょう。
紫は、少納言には、自分が負けそうな何かを感じていたに違いないのです。ここで少納言の歌も一つあげておきましょうか。
つめどなを みゝな草こそ つれなけれ あまたしあれば 菊もまじれり 清少納言
百人一首にとられた「鳥のそら音ははかるとも」の歌が有名ですが、こっちをとってみました。枕草子の中にある歌らしい。
花を摘むのなら、ミミナグサなどはさりげなくてよい。たくさんあったら、菊なんかも混じっていたり。
こういう感覚は少納言ですね。紫はたぶん、少納言のこういう飄然とした感覚に、何か自分にない、いいものを感じて、嫉妬を抑えることができなかったのでしょう。
他人への嫉みを抑えられぬ人格というものはきついものだ。だが、それを何とか、良い方に導き、女性の心というものを高くしていかねばならない。
表題の歌はそういう心を詠んだものです。「~なくに」は「~ないのに」と訳します。「道の紅(みちのべに)」の道とは、人としての高い道ということだ。神の教え、正しい道という意味もある。
月が去ってしまった。人としての正しい道を、紅のようにして唇に引いて美しくなることが、幸せなのだという、女性たちの心も、十分に定まっていないというのに。
「幸」は「さき」と読みましょう。もちろん幸せのことですね。
女性の心を高い道に導くのが、かのじょのこの人生での使命でした。だがそれが十分にできないままで、かのじょは去らざるを得なかった。これはきっと、女性たちにはつらいことになるでしょう。
少納言や和泉のような女性なら、ひたに惜しむことでしょうね。