馬鹿者は 神にたてつき 悪いこと ばかりしてきて ついにぼろ負け
*おわかりでしょうが、これは大火の作です。今週はわたしもいくつかおもしろいのを詠んでいるのですがね、大火のこの鮮やかな技に恐れをなして、ひっこめました。「ぼろ負け」なんて言葉、わたしには使えない。しかし大火は自在だ。使いにくい言葉も使って、言いたいことを言いぬく。
今、WBCの決勝戦が始まったところです。二刀流のスター選手が出ていて、それは盛り上がっている。でもわたしたちは、冷めた目で見つめています。国を代表している選手の中には、本物の人間はほとんどいない。みな、馬鹿が総出で偽りあげている、偽物の人間なのです。
とくにあの二刀流の選手には注目すべきですね。あまりにひどい嘘だからです。他人の徳分を盗みまくって、人間を超えたような選手になっている。それがあさましいなどというものではない。不正な霊的技術を駆使して、人並み優れた美貌と運動神経を偽り、完璧に近い好青年の性格を演じて、それはすごいスーパースターになっている。
あれの正体は、実に小さくて醜い男なのですよ。自分の勉強などほとんどしていない。神に逆らい、人間を馬鹿にして、いやなことばかりしてきた。そんな自分の心が表に現れると、こういう形になるのかという姿なのです。それが、他人の顔や姿を盗んで、実に感じのいい美丈夫になっている。
今は栄光の絶頂にいますがね、しかし目は矛盾に揺れている。本霊はとっくにあの人生から逃げたのです。なぜって、愛が何もないからです。すべては嘘だからです。悪いことばかりして、超越的に幸福な自分の人生を作ったつもりだったのに、実際それを生きてみれば、苦しいなどというものではなかった。
馬鹿者は、神に逆らって馬鹿なことばかりしてきたが、とうとうわかった。愛がなければ、人生には何もないのだと。
栄耀栄華と、名声と金と、馬鹿が思い描けるすばらしい幸福を、ふんだんに盛り込んだ、黄金の人生なのに、霊魂が苦しがって逃げる。結局馬鹿のすることは、大きな壁にぶつかり、ついには何にもなくなるのだ。
神に逆らい、悪の繁栄を信じて、すべてをやってきた結果、馬鹿は愛が一筋もない人生に絶望して、人生から逃げた。
あとに残された極上の人生は、馬鹿の霊たちが集団でやる、空っぽの馬鹿芝居になる。
ぼろ負けというのはこういうことだ。神にたてついて悪いことばかりしてきて、結局はすべてのことに何の責任もとらずに、鼠のように逃げる。馬鹿はそんな格好の悪い馬鹿にしかなれなかった。
悪というものは結局、エゴに敗れた、弱くて小さなものの、愚かなわがままにすぎないのです。