比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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台湾・・・駅鉄の旅・・・阿里山森林鐵路の始発駅・・・嘉義車站で

2020-06-08 | 鉄道と駅 海外
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍戒厳令前の台湾へ・・・乗り鉄旅・・・
台湾高速鐵路に乗っての台北市から台南市まで。そして台湾鐵路台南市から嘉義市へ。
阿里山森林鐵路に乗って阿里山観光玉山(日本統治時代の新高山、3952m)の日の出を見に行ってきます。

阿里山森林鐵路・・・阿里山線・・・嘉義車站・・・台鐡嘉義駅の端、1面1線。
終点の沼平駅まで72.7㎞、高低差2274m、軌間幅762mm(ナローゲージ、特殊狭軌)・・・日本では黒部渓谷鉄道などが。

1953年導入のディーゼル機関車、第7世代2006年導入のDL47(日本車両製)。

ディーゼル機関車に牽引される客車「阿里山號」・・・1984年導入の冷房付き、全席指定。写真は2000年導入の第3世代。

姉妹鉄道の「日の丸」と大井川鐵道の社章。

座席は軌間幅762mm(ナローゲージ、特殊狭軌)のため1列+2列、全席指定、24席(トイレ付き)、25隻(トイレ無し)。
※撮影日は2月23日。
阿里山森林鉄路・・・日本統治時代、木材積み出し鉄道として計画され、1906年工事開始、1914年開業,そのご支線敷設。1920年旅客業も。4路線。22駅。標高800mまでは熱帯、1600mまでは亜熱帯、1600m以上は温帯の植物垂直分布の見られる観光路線。旧日本帝国の残したインフラ遺産です。


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台湾・・・駅鉄の旅は・・・「嘉義車站」と・・・嘉義郊外に神様として祀られた日本人警察官の話

2020-06-08 | 鉄道と駅 海外
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍戒厳令前の台湾へ・・・乗り鉄旅・・・
台湾高速鐵路に乗っての台北市から台南市まで。そして台湾鐵路台南市から嘉義市へ。

台湾鐵路嘉義車站・・・駅名標です。
台湾鐵路、阿里山森林鐵路、嘉義BRT(Bus Rapid Trennsit) の駅です。
1902年開業、現在の駅舎は1933年建築(昭和8年)。
どこか懐かしい昭和の匂いのする駅の風景です。

※撮影日は2月22日。

嘉義市・・・台湾南西部の中核都市、人口267800人(2019年)、林業、製糖業の町として発展。亜熱帯、熱帯の境界。北緯23度26分22秒、北回帰線通過の町。林業、玉山観光の阿里山鉄路の始発駅。阿里山鉄路は東に72㎞、高低差2250m(後述)。日本統治時代の旧制嘉義農林学校を前身とする国立嘉義大学。嘉義農林学校は2014年公開の台湾映画「KANO1931海の向こうの甲子園」のモデル校(後述)。

ここでは嘉義駅から西に20数㎞、小さな漁村の福瀬村の「富安宮」に・・・
住民に神様として祀られた日本人警察官・・・森川清治郎」の物語り・・・

森川清治郎(1861~1902年)。日本が台湾を統治した時代の警察官。1897年台湾の嘉義県東石郷副瀬村に赴任。自費を投じて日本の教科書を取り寄せ住民に文字を教えたり、公衆衛生の改善のため排水溝を施工するなど、住民のために尽くした心優しいお巡りさん。当時の日本の台湾総督府の徴税は警察官の仕事であり、貧しい農漁村の福瀬村の住民は減免を森川巡査に懇願、聞き入れた森川巡査は上長に上申したが、厳しく叱責され訓戒処分に、1902年巡回のあと村田銃で自決。心優しきゆえに心を病んだのであろうか。
ときが過ぎ1923年嘉義地方に疫病が蔓延、村民は森川巡査が公衆衛生に注意したことを思い出し、これを守って疫病の蔓延を免れたという。
村民は森川巡査の「義と愛」に感謝して「義愛公」(別称「日本王爺)と名付け富安宮に祀った。
   ★日本統治時代の日本人のことを書きました。わたし的には日本帝国時代の植民地政策を肯定するものでも否定するものでもありません。人と人との出逢いについて語りたかった。それだけです。


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台湾・・・乗り鉄の旅は・・・台南車站から・・・「自強號」に乗って台鐵「嘉義車站」へ・・・

2020-06-07 | 鉄道と駅 海外
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍戒厳令前の台湾へ・・・乗り鉄旅・・・
台湾高速鐵路に乗っての台北市から台南市まで。そして台湾鐵路台南市から嘉義市へ。

台湾鐵路嘉義車站・・・のホーム・・・「自強號」E1000型電車・・・先頭車両と後尾車両が動力車₍プッシュプル方式)。
自強號」・・・1971年に台湾が国連脱退のときのスローガン「莊敬自強 處變不驚」に因み、1978年の初運行前に投票を経て選ばれた。

動力車は南アフリカ製、客車は韓国製。

1番線ホーム・・・なぜか軽トラがいる。
 
台湾鐵路では特急とか快速とかの呼称はなく列車名で分けています。特急にあたるのが自強號、快速が莒光號、区間快速、各駅が復興號
※撮影日は2月22日。
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台湾・・・乗り鉄、駅鉄の旅・・・台南車站に降り立つ…台湾農業の父「八田與一」のこと

2020-06-03 | 鉄道と駅 海外
・・・彩風人の~写真帳・・・

コロナ禍戒厳令前の台湾へ・・・
台北市から台南市まで台湾高速鉄路に乗っての乗り鉄旅。

台湾鐵路台南車站・・・のホーム・・・
高鐵台南車站の連絡駅沙崙線沙崙(さろん)車站から到着したEMU600型電車。

一番ホームから改札口・・出口に・・・

1900年開業台南車站・・・1936年完成の2代目駅舎。国定古蹟。現在、改装中。
※撮影日は2月21日。

台湾農業の恩人、ダムの父…八田與一のこと
☆台南市から北東に約30km・・・日本の統治時代の1930年に竣工した烏山頭ダム・・・そのダムサイトに八田與一記念公園、八田與一と夫人の銅像が。
八田與一(1886~1942年)…台湾総督府の水利技術者、嘉南地方を台湾の穀倉に育て上げた烏山頭ダムを計画、推進して、竣工にこぎつけた人。完成の1年後。住民の民意により銅像が建立。八田はその後フィリピンの水利のため長崎から任地に赴く途中、米軍潜水艦によって輸送船が沈められ殉職。夫人は敗戦後の1945年烏山頭ダムの放水路に身を投げて夫の後を追った。
八田與一の銅像・・・日本の植民地政策の示威のために造られたものではない。地元民の浄財によって建立されたもの。あの戦争の末期、金属回収されそうになるのを地元民は隠匿、戦後、中華民国政府の上陸により取り壊しの命令を受けたが地元民が隠匿。ようやく元の位置に戻ったのは1990年代の台湾の民主化後のこと。その後、心なき人に損壊されたが復元されている。
烏山頭水庫(ダム)・・・堰堤高さ66.66m、堰堤長さ1273m、堰堤の左右の幅が長い。石と粘土を積み上げたロックフィル・ダム。

★植民地を支配する側の一技術者が支配される側の人にリスペクトされ、銅像が造られ、記念公園が建設され、教科書に載せられ、命日の5月8日に慰霊祭が今も行われている。記憶にとどめたい。
★日本統治時代の日本人のことを書きました。わたし的には日本帝国時代の植民地政策を肯定するものでも否定するものでもありません。人と人との出逢いについて語りたかった。それだけです。



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台湾・・・乗り鉄の旅・・・高鐵台南站に高鐵700T型で到着

2020-06-02 | 鉄道と駅 海外
・・・彩風人の~写真帳・・・

コロナ禍戒厳令前の台湾へ・・・
台北市から台南市まで台湾高速鐵路に乗っての鉄旅。

高鐵台南站(高哲台南駅)・・・のホーム。高鐵700T型に乗ってやってきました。。

台鐡台南駅とは別駅です。

2階通路で台鐡沙崙線沙崙(さろん)駅に接続していて乗換えて台鐵台南駅へ。
※撮影日は2月21日。


台湾のこと・・・》2002年調べ、人口2300万人。先住民1.7%、本省人73.3%,客家人12.0%、外省人13.0%(wikipedia)。
先住民・・・ミクロネシア、ポリネシア、東南アジアから来た16民族、どこから、いつの時代には不明、言語もそれぞれ違う。
本省人(閩南人や福佬人とも)・・・主に対岸の福建省、広東州から17世紀オランダ統治時代に移住、言語はビン南語。
客家系本省人・・17世紀に福建、広東に住む客家人が移住、言語は客家語。
外省人・・・第二次大戦後、台湾の接収のため上陸した中華民国軍隊と役人、その後、大陸にて中共軍との戦いに敗れた中華民国、国民党、その家族、一族が集団移動して1990年代までこの国を強権支配した。

台湾・・・ポルトガル人がフォルモッサ(麗しの国)と呼んだ。16世紀まではそうだったのだろう。17世紀になってオランダが支配、鄭成功(歌舞伎国姓爺合戦のモデル、母は平戸の日本人)がオランダを駆逐して支配するが、清が滅ぼして支配、やがて日本の植民地に。第二次世界大戦後に中華民国に帰属。中国国民党が実質支配して独立国家になったが台湾にとって自主国家ではなかった。ようやく自主国家と呼べるようになったのは1990年代になってのこと。これからどう進むのであろうか。

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台湾・・・駅鉄、乗り鉄の旅は・・・台北駅から台湾高速鐵路・・・700T型に乗ってはじまる

2020-06-01 | 鉄道と駅 海外
・・・彩風人の~写真帳・・・

コロナ禍戒厳令前の台湾へ・・・
台北市から台南市まで台湾高速鉄路(高鐵)に乗っての鉄旅。

台北車站(台北駅)・・・
台湾高速鐵路(高鐵、THSR)・台湾鐵路(台鐵、TRA)、台北捷運(MRT)の駅。

1891年開業、現在の駅舎は1989年完成の4代目。

緑の窓口」・・・みたいのかな?


台湾高速鐵路・・・台北地方の台北市(南港駅)と台南地方の高雄市(左営駅)の間の348㎞を最高300/h、約90分で結ぶ高速鉄路。
地下プラットホームの高鐵700T型・・・JR東海、JR西日本共同開発の700系の改良型。

No leaning ・・・寄りかからないで?

座席は3列2列・・・日本と同じです・・・

台南に向けて出発です。
※撮影日は2月21日。


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2019東インドの旅・・・世界遺産ダージリン・ヒマラヤ鉄道・・・グーム駅

2020-04-21 | 鉄道と駅 海外
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2019年11月・・・東インドの旅は・・・西ベンガル州から始まり・・・シッキム州・・・ふたたび西ベンガル州のダージリンへ・・・

世界遺産ダージリンヒマラヤ鉄道・・・1881年開通、英領インド帝国統治時代、茶葉の生産、輸送、イギリス人の避暑地としての利用のため建設。標高114mの低地から標高2258mグーム駅を経由してダージリン駅まで88㎞を時速10㎞強、約7時間半で登っていく。レール幅61㎝の狭軌・・・ナローゲージ。1999年世界遺産登録。
ここでは終点ダージリン駅から最高標高グーム駅までの往復2時間のジョイ・トレイン・ツアーを楽しむ。

ジョイ・トレイン観光ツアー・・・ダージリンの南へ5km、折り返しの駅・・・グーム駅・・・







この日は蒸気機関車・・・トイ・トレイン・・・は何らかのトラブルのため運行休止・・・残念!
※撮影日は2019年11月28日



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2019東インドの旅・・・世界遺産ダージリン・ヒマラヤ鉄道・・・バタシア・ループ駅

2020-04-20 | 鉄道と駅 海外
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2019年11月・・・東インドの旅は・・・西ベンガル州から始まり・・・シッキム州・・・ふたたび西ベンガル州のダージリンへ・・・

世界遺産ダージリンヒマラヤ鉄道・・・1881年開通、イギリス領インド帝国統治時代、茶葉の生産、輸送、イギリス人の避暑地としての利用のため建設。標高114mの低地から標高2258mグーム駅を経由してダージリン駅まで88㎞を時速10㎞強、約7時間半で登っていく。レール幅61㎝の狭軌・・・ナローゲージ。1999年世界遺産登録。
ここでは終点ダージリン駅から最高標高グーム駅までの往復2時間のジョイ・トレイン・ツアーを楽しむ。

バタシア・ループ駅・・・ダージリン駅とグーム駅の中間駅、名前のようにループ状(ほとんど球状)になっています。
晴れていれば世界第三位の高峰カンチェンジュンガが眼の前に広がります。

ツアー列車ですから、ここで20分ばかりフォトタイム・・・

ループの中は公園になっていますがループの外は線路ギリギリに露店が並んでいます。


※撮影日は2019年11月28日


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2019東インドの旅・・・世界遺産ダージリン・ヒマラヤ鉄道・・・ダージリン駅

2020-04-19 | 鉄道と駅 海外
・・・彩風人の写真帳・・・

2019年11月・・・東インドの旅は・・・西ベンガル州から始まり・・・シッキム州・・・ふたたび西ベンガル州のダージリンへ・・・

世界遺産ダージリンヒマラヤ鉄道・・・1881年開通、イギリス領インド帝国統治時代、茶葉の生産、輸送、イギリス人の避暑地としての利用のため建設。標高114mの低地から標高2258mグーム駅を経由してダージリン駅まで88㎞を時速10㎞強、約7時間半で登っていく。レール幅61㎝の狭軌・・・ナローゲージ。1999年世界遺産登録。
ここでは終点ダージリン駅から最高標高グーム駅までの往復2時間のジョイ・トレイン・ツアーを楽しむ。

ダージリン駅・・・標高2067m、

トイ・トレイン(オモチャの機関車)と呼ばれる蒸気機関車・・・故障した部品は手作りで補修。

いまは観光用でしか運行していない。

現在使用しているのはディーゼル機関車。

日本の鉄道マンならピカピカに磨いてると思うのですが・・・
※撮影日は2019年11月28日



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