信州上田の・・・六文銭の写真帳
霧ヶ峰・・・八島湿原から湿原に沿って旧御射山社方面へ散歩です。
NPO法人霧ヶ峰基金「ヒュッテ御射山」です。白いズミの花が咲いてます。
旧御射山社です・・・白い二本の柱が見えます。「御柱」です。ここは諏訪大社下社の神の田です。
「御射山講武跡碑」と彫られた石碑です。鎌倉時代ここで武芸、馬術を競った競技場の跡だそうです。
旧御射山社あたりから流れ出した水源です。やがて観音沢となって、砥川となって下諏訪町で諏訪湖に流れ込みます。
クリンソウが咲いてます。
旧御射山社です・・・白い二本の柱が見えます。「御柱」です。ここは諏訪大社下社の神の田です。
「御射山講武跡碑」と彫られた石碑です。鎌倉時代ここで武芸、馬術を競った競技場の跡だそうです。
わが国最古の円形桟敷競技場跡です。長径350m、短径250m、三方が桟敷席、収容能力10万人と推定されています。右の斜面が競技場の現存する桟敷席跡です。よく見ると段々畑状に見えます・・・[土壇]。
この競技場は平安時代から鎌倉時代末期にかけて祭礼の場所として造成され拡げられていったもののようで、鎌倉時代、毎年旧暦の7月末ごろ日本中から武士が集まり、武術を競い鹿を狩り流鏑馬の競技を行ったそうです。見物人、物売り、芸能人、ギャンブルの元締め、予想屋、みたいなものも集まって来たでしょう。宿泊設備はススキを刈って作った簡易テント村「穂屋」だったそうです。この競技場の名前は不明です。
この競技場は平安時代から鎌倉時代末期にかけて祭礼の場所として造成され拡げられていったもののようで、鎌倉時代、毎年旧暦の7月末ごろ日本中から武士が集まり、武術を競い鹿を狩り流鏑馬の競技を行ったそうです。見物人、物売り、芸能人、ギャンブルの元締め、予想屋、みたいなものも集まって来たでしょう。宿泊設備はススキを刈って作った簡易テント村「穂屋」だったそうです。この競技場の名前は不明です。
旧御射山社あたりから流れ出した水源です。やがて観音沢となって、砥川となって下諏訪町で諏訪湖に流れ込みます。
クリンソウが咲いてます。
※撮影日は6月20日。
※コメント欄OPEN。
とても綺清楚で節間のある花です。
何処で見かけましたがちょいと忘れた、小高い丘を登り詰めると「クリンソウ」が見事に競い合うように咲いていた。
誰からとなく「アッツ……クリンソウと」叫んだ。
その人が、クリントは仏塔・五重の塔の最上段の天を突くような、アレが九輪ですと教えてくれた。
・ 九輪草咲くや頂競い合い (縄)
、
中高山にも咲いてます。秩父あたりでは咲いているかも。
好きな花です。