・・・彩風人の写真帳・・・
9月3日朝・・・松本城散歩・・・
松本城の内堀から・・・松本城の風景・・・
南の方角から・・・大天守(5層6階)、辰巳付櫓(2層2階)、月見櫓(1層1階、地下1階、修理中)・・・
★月見櫓と辰巳付櫓・・・江戸時代の初期、太平の世になった1634年将軍徳川家光が上洛の帰途、立ち寄ることになり接待用に造られたもの。月見櫓の赤い欄干のバルコニーは風流です。ちなみに将軍家光は東海道で江戸に帰ったため立ち寄ることはなかった。
南西の方角から・・・乾小天守、大天守、辰巳付櫓、月見櫓・・・
★乾・・・戌と亥の方角の間、西北の方角の意。辰巳・・・辰と巳の方角の間、東南の方角の意。
西の方角から・・・乾小天守(3層四階)、大天守・・・
西北の方角から・・・埋橋。乾小天守、大天守・・・
※撮影日は9月3日。
★松本城・・・甲州小笠原郷(現南アルプス市)から発する清和源氏の一族が室町時代から戦国時代に守護大名として深瀬の荘を支配し支城として築いたのが深志城、変遷あって江戸時代に入り再び小笠原氏が大名として入府し松本城に改名、そのご小笠原家は九州小倉藩主に。松本藩は譜代大名が藩主に。
ちなみに礼法小笠原流は小笠原氏系から出たもの。東京都小笠原諸島は小笠原氏系を名乗るものが江戸時代に探検したのといわれますが定かでありません。
戦乱、天災、大火、あの戦争の戦災、に見舞われず、今日にいたったため。建造時の姿を今に伝えています。
江戸時代を迎え、戦国の世が収まったときに建造されたせいか、静かで平和な佇まいです。実際の戦いには防御の役に立たなかったと思います・・・藩庁の仕事は二の丸御殿で行われていたといいますから事務的建物としても無用の長物だったようです。藩主はコロコロ変わるから権威の象徴でもない。なんだったのでしょうね。
それでもいま見ると美しいです。
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