比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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秋の信州・松本城を訪ねる(終)・・・内堀に浮かぶ・・・松本城の風景

2020-10-14 | 古城・城址・陣屋・館跡
・・・彩風人の写真帳・・・

9月3日朝・・・松本城散歩・・・
松本城の内堀から・・・松本城の風景・・・

南の方角から・・・大天守(5層6階)、辰巳付櫓(2層2階)、月見櫓(1層1階、地下1階、修理中)・・・
月見櫓と辰巳付櫓・・・江戸時代の初期、太平の世になった1634年将軍徳川家光が上洛の帰途、立ち寄ることになり接待用に造られたもの。月見櫓の赤い欄干のバルコニーは風流です。ちなみに将軍家光は東海道で江戸に帰ったため立ち寄ることはなかった。

南西の方角から・・・乾小天守、大天守、辰巳付櫓、月見櫓・・・
・・・戌と亥の方角の間、西北の方角の意。辰巳・・・辰と巳の方角の間、東南の方角の意。

西の方角から・・・乾小天守(3層四階)、大天守・・・

西北の方角から・・・埋橋。乾小天守、大天守・・・
※撮影日は9月3日。

松本城・・・甲州小笠原郷(現南アルプス市)から発する清和源氏の一族が室町時代から戦国時代に守護大名として深瀬の荘を支配し支城として築いたのが深志城、変遷あって江戸時代に入り再び小笠原氏が大名として入府し松本城に改名、そのご小笠原家は九州小倉藩主に。松本藩は譜代大名が藩主に。
ちなみに礼法小笠原流は小笠原氏系から出たもの。東京都小笠原諸島は小笠原氏系を名乗るものが江戸時代に探検したのといわれますが定かでありません。
戦乱、天災、大火、あの戦争の戦災、に見舞われず、今日にいたったため。建造時の姿を今に伝えています。
江戸時代を迎え、戦国の世が収まったときに建造されたせいか、静かで平和な佇まいです。実際の戦いには防御の役に立たなかったと思います・・・藩庁の仕事は二の丸御殿で行われていたといいますから事務的建物としても無用の長物だったようです。藩主はコロコロ変わるから権威の象徴でもない。なんだったのでしょうね。
それでもいま見ると美しいです。

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秋の信州・松本城を訪ねる②・・・松本城に登城して・・・松本平を俯瞰する

2020-10-13 | 古城・城址・陣屋・館跡
・・・彩風人の写真帳・・・

9月3日朝・・・松本城散歩・・・
松本城の天守閣に登城して・・・松本平を俯瞰しました・・・

黒門から本丸に入城・・・本丸御殿跡の芝生広場を直進します。大天守をはさんで左に辰巳櫓、月見櫓、右に乾小天守

大天守乾小天守の間の渡櫓の下にに大手口

東の方向・・・正面に松本市役所・・・美ヶ原・・・王ヶ頭が雲の合間に・・・
本丸御殿跡芝生広場・・・1727年本丸御殿焼失、以来再建することなく二の丸御殿にて藩政を行った。

南の方・・・市内中心・・・
松本の地名由来・・・古くは深瀬の郷と呼ばれた・・・女鳥羽川扇状地末端の深い瀬の畔、変じて深志に、戦国時代の守護大名小笠原氏が居城深志城を武田氏に追われ、武田氏の滅亡後、旧領に戻ったとき深志城松本城と改名したという。よくある瑞祥名。松はめでたい・・・全国によくある地名。
松本藩・・・江戸幕府になり松本藩として、小笠原、石川、松平、堀田、水野、松平と10万石~6万石。石川氏を除けば譜代。
松本市・・・1889年明治の大合併で松本町、1907年松本市、2010年平成の大合併で槍・穂高の頂上まで、面積978.77k㎡(全国で33位、ただし森林率81%)、人口240000人。長野県のほぼ中央に位置し県庁でない町、県庁でもないのに日本銀行支店、国立信州大学の本部がある。戦災にあわなかった町。古くから交通の要衝(糸魚川からの塩の道、飛騨高山からの鰤の道、古東山道上田への道、善光寺への信仰の道、中山道から都への道などなど人流、物流の道)で市場町が栄えた町。
※「学都、岳都、樂都」・・・日本でも指折りの古い小学校「開智学校」、日本で9番目にできた旧制高等学校「松高」のあった町、北アルプスの高峰の槍・穂高岳の位置する市、世界的に有名な音楽の英才教育「鈴木メソード」発祥の地。

西の方角・・・北アルプスは雲に隠れて・・・
★南から西に大きな内堀が、外堀は埋め立てられて一般住宅に、市が買い戻して・・・外堀開削計画があるが・・・

北の方角.・・・善光寺の方角です。
※撮影日は9月3日。


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秋の信州・松本城を訪ねる①・・・松本市役所展望室から・・・松本城俯瞰

2020-10-12 | 古城・城址・陣屋・館跡
・・・彩風人の写真帳・・・

9月3日朝・・・松本城散歩・・・
松本市役所6階の展望室から・・・アルプスのパノラマ・・・が見えるはずなんですが・・・今朝は雲に隠れて・・・

松本城の城郭が見渡せます。およそ40㌶・・(参考)江戸城外郭2000㌶、内郭424㌶、姫路城230㌶。

外堀から内堀の間(二の丸)に・・・高麗門、太鼓門がセットで。枡形門形式(二重ドア形式)になっています。1999年復元。
後方の内堀の向こうに屋根だけ見える建屋が本丸に通じる黒門です。

松本市役所から太鼓門を潜り二の丸に・・・二の丸から黒門へ・・・
内堀から本丸に入る・・・黒門です。ここも高麗門、黒門がセットになった枡形門形式です。1989年復元。
※撮影日は9月3日。


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秋の信州松本の夜は・・・ライトアップ松本城まで散歩

2020-10-11 | 古城・城址・陣屋・館跡
・・・彩風人の写真帳・・・


今日は朝から立山黒部アルペンルートブラブラ歩き・・・そして松本へ・・・。
ライトアップ・・・国宝・・・松本城・・・まで夜の散歩です。





※撮影日は9月2日。
松本城・・・戦国時代の1504年築城、江戸時代に入り現在の天守、城郭の整備に入ったのは1593年ころからか。天守の建造は1591~1615年まで諸説あり定かでない。明治維新になり廃城、1872年競売にかけられたが有志により買い戻される。1903~1913年明治の大改修、1950~1955年昭和の大解体復元工事、1952年国宝指定。現存木造天守12城の一つ、現存木造5層天守3城の一つ(姫路城、松江城)、国宝5天守の一つ(姫路、松江、犬山、彦根)。
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信州上田・・・上田城跡公園・・・長雨で・・・崩れた石垣

2020-08-24 | 古城・城址・陣屋・館跡
信州上田の・・・六文銭の写真帳

信州上田・・・上田城跡公園・・・
6月から7月に続いた梅雨・・・ことしは・・・寡雨地帯とされる長野県上田盆地も例年にない長雨・・・
上田城南側の千曲川に面した段丘端のの崖・・・南隅櫓下の一部が崩壊、修復工事を進めています。









※撮影は7月14日。


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信州上田・・・上田城跡公園・・・真田神社の夏越の大祓・・・茅輪(ちのわ)くぐり

2020-08-22 | 古城・城址・陣屋・館跡
信州上田の・・・六文銭の写真帳

信州上田・・・上田城跡公園・・・

真田神社・・・夏越の大祓「茅の輪くぐり・・・
6月下旬から7月上旬まで・・・無病息災を願うお祓いですが、ことしはヒッソリとしています。
※撮影は7月14日。


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青春18きっぷの旅・・・天下人徳川家康がつくりあげた・・・駿府城を歩く

2020-07-08 | 古城・城址・陣屋・館跡
・・・彩風人の写真帳・・・
青春18きっぷ・・・乗り鉄、駅鉄の旅です。
青春18きっぷ・・・JR全国各社がが売り出している特別企画乗車券。JRの各駅列車、快速列車に1日乗り放題、5回使用可、12050円。
今回はJR東海道線からJR飯田線、JR中央線を・・・コロナ禍戒厳令の出る前の三日間の急ぎ旅・・・
現役の鉄道遺産・・・天竜浜名湖鉄道天竜二俣駅から掛川方面に引き返して・・・今晩の宿泊地静岡へ。JRは乗り放題ですから引き返してもOK

静岡市都市公園「駿府城公園」の散歩です。
駿府城・・・天下の大将軍徳川家康のつくりあげた城・・・1590年家康が江戸に転封された後は大名領となったが家康が天下を取った後は徳川家直轄領として明治まで続いた。1869年明治の廃藩置県で廃城になり破却され、水堀、塀の一部が残るのみ。城郭は1896年帝国陸軍歩兵第34連隊に。1949年国より静岡市に返還、公園として整備、復元が始まり1951年「駿府公園」、2014年「駿府城公園」に。

巽櫓(1989年復元)、東御門1996年復元)・・・巽とは・・・辰巳(東南)の方角のこと。

東御門高麗門1996年復元)・・・

東御門櫓門(1996年復元)・・・

坤櫓(ひつじさる櫓)の内側(2014年復元)・・・坤とは、未と申、南西の方角のこと。

本丸内にある.・・・家康公鷹狩の銅像・・・

静岡市発祥「わさび漬け」のモニュメント・・・
★江戸期のはじめ静岡県安倍郡大河内村有東木(現葵区)の百姓が自生の山葵の湧水栽培に成功、家康公に献上、以来門外不出の特産品に。伊豆天城に製法を許したのはのちのこと。ちなみに徳川家の葵の御紋は山葵の葉っぱである。
※撮影日は3月25日。
駿府城の家康と天守閣・・・1585年徳川家康は浜松城から駿府に国替え。1589年天守閣完成、1590年家康は江戸に転封。1607年市中大火のため天守閣消失。1608年家康は大御所として駿府城に。1610年天守閣再建。1616年家康死去。1635年天守閣市中大火により焼失、家康亡きあとは徳川家直轄の城代を置くのみの城となり1638年天守閣不要として再建しないことに。つまり天守閣がなくなっったのは今からほぼ380年前、図面も俯瞰図も何も残ってないので復元のしようもない。もしイメージで復元したら擬城、嘘城になる。静岡市のシンボル、ランドマークはほしいが残念です。。

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信州上田の三月・・・上田城跡公園・・・お濠の見える風景

2020-05-09 | 古城・城址・陣屋・館跡
信州上田の・・・六文銭の写真帳


信州・・・上田・・・上田城址公園・・・西隅櫓あたりから・・・場内・・・東虎口櫓門を潜り場外へ・・・の散歩です。
3月14日夜・・・雪が降りあたりの山を雪化粧しましたが・・・今日は・・・晴れ・・・です。

濠端から・・・南隅櫓、東虎口櫓門。北隅櫓・・・桜の花の蕾がだいぶ大きくなってきました。





※撮影日は3月17日。


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信州上田の三月・・・上田城跡公園・・・かつて千曲川本流の尼ヶ淵から・・・南隅櫓を仰ぎ見る

2020-05-08 | 古城・城址・陣屋・館跡
信州上田の・・・六文銭の写真帳


信州・・・上田・・・上田城址公園・・・西隅櫓あたり・・・場内の散歩です。
3月14日夜・・・雪が降りあたりの山を雪化粧しましたが・・・今日は・・・晴れ・・・です。

上田城跡公園芝生広場・・・南隅櫓を下から見上げています。
ここはかつて千曲川の本流・・・尼ヶ淵・・・泥岩層を主とする脆い河岸段丘はしばしば洪水に削られました。


※撮影日は3月17日。


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