比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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信州上田・・・真田六文銭発祥の地を巡る②・・・真田の郷の・・・山家神社(やまがじんじゃ)

2017-06-15 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
NHK大河ドラマ「真田丸」で湧いた2016年上田市・・・真田氏ゆかりの地を歩いています。
上田市街地から北に国道144号線で菅平方面に・・・上田市に合併する前の真田町(その前は長村、その前のその前は真田村)。
戦国時代の雄・・・真田氏発祥の地・・・信濃国の豪族滋野氏、海野氏の血を引く真田氏初代幸隆がここに居を構え真田氏を名乗ったといわれています。
真田町長(おさ)の山家神社です・・・
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・

山家神社(やまがじんじゃ)・・・上田市真田町長(おさ)。一の鳥居、二の鳥居、拝殿、本殿で続きます。
このあたりむかしは信濃国小県郡真田村・・・真田郷(山家郷とも)。山家神社の創建は不詳ですが養老年間(8世紀初め)とも。四阿山(2345m)の水分神(産土神)を祀り、加賀国の白山信仰(白山大権現)も混じり四阿山を源とする川を加賀川(白山様の御神川・・・いまの神川)と呼び崇拝したといいます。奥宮は四阿山の頂上に、祭神は大国主命(出雲の神様)、伊邪那美神(国生みの神様)、菊理媛神(くくりひめ・・・白山の神)、日本武尊神(天津神)・・・と多様。よくワカリマセン。戦国時代に真田郷に居をかまえた真田一族は氏神様として崇拝しました。


鬱蒼たる社叢・・・上田市指定天然記念物社叢です。明治時代に大火で焼けて大正時代に植樹したものだそうです。
日本の神域の美しさは社叢です。

山家神社・・・拝殿
真田氏の旗印・・・「六文銭」・・・三途の川の船賃といわれます。紋所というより有事のときの旗印。平時のときの紋所は「結び雁がね


山家神社の境内にある「眞田神社」・・・もとは山家神社の神護寺の「白山寺」。
明治時代に神仏分離令で廃寺に。1886年(明治21年)旧真田郷の有志が真田家に請願して創建、祭神は真田幸隆、昌幸、信幸(信之)、信繁(幸村)ら。1919年現在の地に。1950年戦没者合祀。真田郷の領主とし居を構えたのは数十年、上田城主としても数十年の治世の真田家ですが300年経って旧領民の祭神となる・・・領主時代の良政が伝説になったのでしょうね。

※撮影は2016年10月16日 Panasonic LUMIX DMC-FZ100。
真田町・・・1874年上原村、中原村。下原村が本原村に、1874年上洗馬村、軽井沢村、曲尾村が傍陽村に。1876年真田村、横尾村、横沢村、大日向村が長村に、1958年長村、本原村、傍陽村が真田町に。2006年上田市に。
真田幸隆(1513~1574年)・・・幸綱とも。北信濃の海野郷(現東御市)の豪族海野氏の子とも娘婿ともいわれ定かではありません。関東管領上杉氏がたに与したり甲斐国守護武田氏がたに与したり戦国時代の生き残りに腐心します。武田氏に臣従。幸隆の長男信綱、次男昌輝は武田・織田の長篠の戦いで討死、幸隆の三男昌幸が眞田家を相続。武田家滅亡のあとは上杉、北条、織田、豊臣、德川などに臣従し生き残りを図ります。むかし「忠臣二君に仕えず」・・・と教わりましたが為政者に都合の良いようにするウソでした。むかしもいまも旗色のイイ方につくのが常道のようです。





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