いまから68年前の1945年、太平洋戦争最後の地上戦が行われた沖縄・・・6月23日、陸軍最高司令官牛島中将の自決でこの戦いは終わります。
その3日後の6月26日夜から姿を消した日本国の官僚がいました・・・沖縄県知事島田叡・・・遺体は確認されていません。
この人の残した軌跡が今夜テレビで放映されます(内容は知りませんので番宣ではありません)。
テレビ未来遺産〝終戦”特別企画 報道ドラマ
生きろ ~戦場に残した伝言~
8月7日 21:00~23:09 TBS(関東エリア)
沖縄南部、摩文仁の丘・・・「平和の礎」と50を超える慰霊塔が建てられていますが、その入口あたりに「島守之塔」という石碑、その後ろに「戦歿 沖縄県知事島田叡、沖縄県庁職員(458柱)慰霊塔」、さらにその奥に「沖縄県知事島田叡、沖縄県警察部長荒井退造 終焉之地」という石碑が建っています。
※摩文仁の丘より太平洋、具志頭、玉城を望む、2004年撮影。
島田叡(1901~1945年)・・・沖縄県最後の官選知事。兵庫県須磨村(現神戸市)の生れ、旧制神戸二中、旧制三高、旧東京帝大、旧内務省に入省、警察畑を歩く。学生時代は野球選手として鳴らし花形選手であったという。
1945年1月31日・・・大阪府内政部長から沖縄県知事に赴任。
3月・・・県庁機能を首里に移動。さらに軍とともに南部に移動。軍司令部の南部転進に際しては、「軍が武器弾薬もあり装備も整った首里で玉砕せずに摩文仁に撤退し、住民を道連れにするのは愚策である」と述べたという。
6月9日・・・島田に同行した県職員・警察官に対し、「どうか命を永らえてほしい」と訓示し、県庁組織および警察組織の解散を命じた。
6月26日夜・・・を最後に島田の姿が消えます。島田の最後は諸説あるが遺体は確認されていない。
敗戦以前の県知事は現行のように選挙で選ばれた知事ではありません。中央からの官選知事です。主に内務官僚がなりました。地方自治の時代ではありません。
島田知事の在職期間は5ヶ月です。台湾からの食糧調達や住民や学徒の疎開に尽力。学童疎開に関しては前年度から始まっていて制海権を完全に失う3月まで続いていました。
非戦闘員のウチナンチュウを巻き込んだ過酷な地上戦を強いたヤマトンチュウの軍・官を憎んでいるはずのウチナンチュウが日本の中央から派遣された内務官僚の・・・しかもたった5ヶ月の在職期間の人の慰霊塔を浄財を集めて建てた・・・どうしてだろう。
そんな疑問をドキュメンタリードラマ「生きろ」がどう解き明かしてくれるだろうか。
島田叡知事について・・・6月23日仁こんなブログを起こしました・・・クリック→・・・沖縄慰霊の日に・・・沖縄最後の県知事島田叡のこと
その3日後の6月26日夜から姿を消した日本国の官僚がいました・・・沖縄県知事島田叡・・・遺体は確認されていません。
この人の残した軌跡が今夜テレビで放映されます(内容は知りませんので番宣ではありません)。
テレビ未来遺産〝終戦”特別企画 報道ドラマ
生きろ ~戦場に残した伝言~
8月7日 21:00~23:09 TBS(関東エリア)
沖縄南部、摩文仁の丘・・・「平和の礎」と50を超える慰霊塔が建てられていますが、その入口あたりに「島守之塔」という石碑、その後ろに「戦歿 沖縄県知事島田叡、沖縄県庁職員(458柱)慰霊塔」、さらにその奥に「沖縄県知事島田叡、沖縄県警察部長荒井退造 終焉之地」という石碑が建っています。
※摩文仁の丘より太平洋、具志頭、玉城を望む、2004年撮影。
島田叡(1901~1945年)・・・沖縄県最後の官選知事。兵庫県須磨村(現神戸市)の生れ、旧制神戸二中、旧制三高、旧東京帝大、旧内務省に入省、警察畑を歩く。学生時代は野球選手として鳴らし花形選手であったという。
1945年1月31日・・・大阪府内政部長から沖縄県知事に赴任。
3月・・・県庁機能を首里に移動。さらに軍とともに南部に移動。軍司令部の南部転進に際しては、「軍が武器弾薬もあり装備も整った首里で玉砕せずに摩文仁に撤退し、住民を道連れにするのは愚策である」と述べたという。
6月9日・・・島田に同行した県職員・警察官に対し、「どうか命を永らえてほしい」と訓示し、県庁組織および警察組織の解散を命じた。
6月26日夜・・・を最後に島田の姿が消えます。島田の最後は諸説あるが遺体は確認されていない。
敗戦以前の県知事は現行のように選挙で選ばれた知事ではありません。中央からの官選知事です。主に内務官僚がなりました。地方自治の時代ではありません。
島田知事の在職期間は5ヶ月です。台湾からの食糧調達や住民や学徒の疎開に尽力。学童疎開に関しては前年度から始まっていて制海権を完全に失う3月まで続いていました。
非戦闘員のウチナンチュウを巻き込んだ過酷な地上戦を強いたヤマトンチュウの軍・官を憎んでいるはずのウチナンチュウが日本の中央から派遣された内務官僚の・・・しかもたった5ヶ月の在職期間の人の慰霊塔を浄財を集めて建てた・・・どうしてだろう。
そんな疑問をドキュメンタリードラマ「生きろ」がどう解き明かしてくれるだろうか。
島田叡知事について・・・6月23日仁こんなブログを起こしました・・・クリック→・・・沖縄慰霊の日に・・・沖縄最後の県知事島田叡のこと
※コメント欄オープン。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます