「私が教えている事が真実かどうか、自分でも確信が持てない」この言葉は、私のその後の「事実を多面的に見る」という、人生観へ大きな影響を与えた高校時代の恩師谷岡健治先生の一言でした。
先生の父親は、戦前北海道特高刑事部長であったことは聞いていましたが、先日お会いしたときに、父親が1933年4月に相沢良・唐澤とし子さんを逮捕した「突撃隊」であったことを初めて知りました。
そのことを、「治安維持法と現代」2016夏季号の特別取材に答えています。
一方、「相沢良の青春」山岸一章著では、相沢良が医者になりたかったこと、獄中からトルストイの「戦争と平和」ウエルズの「生命の科学」の差し入れを求めるなど知的な女性であったことや、激しい拷問により、肺壊疽を発病出獄後7日目に亡くなったと書いています。
谷岡先生の父親は、貧乏な小作農で、日本共産党弾圧の経験をかわれて、特高警察になっていく経過や戦後は反省の気持ちから警察との関係はいっさいもたず、「共産党の人は筋道の通った道理のあることを言う人たち」と語っていたと、答えています。
谷岡先生は、特高警察の息子ということで逆にいやな思いをしたと私に答えてくれました。そして戦後反省なく戦犯たちが政治の中枢に君臨してきたこと。「あの時代を2度と繰り返してはならない」と答えています。