もう、40数余年前になるだろうか、銀座の並木通りで、未だ、任侠映画が盛んだった頃、学校の帰りに、新宿の場末の映画館で、フランス映画を、(影の軍隊)と(鷲は、舞い降りた)の2本立てで、前者は、ナチに対するレジスタンス運動、後者は、フォーサイスの小説の映画化で、ドゴール大統領の暗殺未遂事件をヒントにした、今でいうところのテロリストの話だったが、友人と観賞した。たまたま、BSで、(影の軍隊)を放映していたので、再び、観る機会を得た。未だ、二十歳前後の自分が、観た当時に、タイム・スリップした感が、あった。もうその頃に、出演していた著名な俳優も、シャンソン歌手も、みんな、鬼籍に入ってしまった。その出演者全員が、ナチに、拷問で、殺されたり、処刑されたり、レジスタンス仲間に、殺されたり、更には、命を助けて貰った仲間をも、殺害しなければならない等々、ことごとく、みんな死んでいっ手しまうのである。特に、映画の冒頭で、仲間を売った若いレジスタンスの青年を、声を出させないで、太い紐で、声を立てないように、静かに、絞め殺すシーンは、殺す側も、又、納得して殺される側も、結局、その時に、殺した側も、最終的には、ナチに、殺されてしまうのだが、非常に、息が詰まる、胸裂かれるシーンであったことが、又、思い起こされた。殺される最後の瞬間の、その若者の涙は、何だったのだろうかと、又、ナチの拷問途中で、名前を言わないと、一生、偽名のままで、歴史の闇の中に、埋もれることになるゾという恫喝も、その(無名性)の闇の恐ろしさ、不気味さを、若い自分は、当時、何か、ひどく、恐ろしいものとして感じられた。40数余年の時間を経て、再び、同じ映画を観たとき、一人で、無茶をやってた自分と、初老を迎えようとしている(今の自分)は、いかばかりのものがあるであろうか?折しも、沖縄戦の終結特集で、勝者となった日本人をやむなく殺した若い米軍兵士も、同じく、友人家族を殺されても、生き延びた沖縄の少年兵も、(共通する何か)を、共有していたのかかも、知れないと感じた。レジスタンスの同じ仲間を組織防衛の目的のために、抹殺したもの達も、結局、又、同じように、歴史の中で、殺されていったが、それが、歴史の一コマなのかも知れない。そういう(草莽の人々の魂)を、その(無名性)の中に、再び、感じられたことは、自分に、とって、40数余年前の自分に、又、出会えたようで、嬉しく感じた。その時に、一緒に、映画を観た友達も、若くして、自ら、その思想に殉じてから、早、40数余年が、経過した。そんな中、(マイ・バック・ページ)という映画のタイトルが、目に飛び込んできた。