小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

「東電」株主総会に、参加してみる

2011年06月28日 | 株主総会
株式投資は、自己責任である。と言われてしまえば、それまでであるが、その責任とは、東電にとっての責任とは、何であろうか?9282名もの株主が、5会場に、分散して、株主総会に、出席したと冒頭に、報告があった。例年の3倍とのことで、会場外に、あふれた株主から、中へ入れろと、怒号が渦巻いていた。1時間余りに、入場したが、既に、6割程度の着席率で、むろん、前列のブロックは、社内株主親衛隊と御用総会屋であることは、後からの拍手で、分かった。会社側の発言には、ほとんど、前のグループが、拍手し、後ろの席からは、ほとんど、反対意見への株主の拍手であった。議長選任からして、大銀行と生命保険会社であろう2大大株主の議決権が、圧倒的な力を有して、結局、議長不信任、議案への賛否の賛成・反対も、全く、挙手の数を数えることなく、基本的には、圧倒的な委任状の信任と大株主の信任を前提とした、開かれざる株主総会の様相を呈した。冒頭から、勝俣代表会長による原子力賠償法の第3条、第16条の解釈の仕方では、(史上稀にみる巨大な地震や津波の)影響によるもので、(免責)をも、視野に入れた、或いは、(電力の安定供給の社会的義務)と(それを満たすための事業・会社の継続)を前提とした国への金融支援により、被災者への賠償や、今後の再生エネルギーの検討などを、経過報告した。むろん、御用地震学者土木学者・政界・財界・地方自治体への補助金、等による(法令に遵守、適合)という錦の御旗という鎧には、役員報酬の過去へ遡った返上論・個人資産の返納や、或いは、情報の公開、都合の悪いデータの改竄への非難・追求は、余裕を持って、跳ね返されてしまった。責任と言う言葉は、(経営責任)、(賠償責任)、(社会的責任)、(道義的責任)、等々は、(法治国家)の厚い壁に、と言うよりも、(自分に、都合の良いように法律を解釈する)最終的な裁判所や、第三者事故原因調査委員会や、検証委員会によって、恐らく、唯一のチャンスを、逃すことになろう。福島や、新潟からも、被災者であり、株主でもある少数株主が、多く、来ていたようであるが、(将来の希望)も、結局、事故の賠償、債務超過の前では、今後の(開かれた株主総会)とは、かけ離れたものになってしまった。果たして、責任を取らないという(東電的な体質)の改善は、この嬲ぬ思想界の手法を見る限り、目途は着かないのではないのかと、今日の日本の現状の姿を、そこに見たような気がした。