こもなみ倶楽部の野焼きと麦踏みに、参加するために、小諸へ、前日の昼頃に、入ったものの、部屋の温度計が、マイナス6度で、折角、不凍液を、各ドレインに、注いでおいたのに、蛇口など、凍り付いていた。以前、夜中に到着して、不自由な思いをした経験から、昼間に、冬場は、昼間に入ることにしていたが、それでも、この有様である。今年は、何とも、寒い!外の蛇口から、水を汲み、ガス・コンロに掛けて、お湯を沸かして、そろそろと、蛇口に掛けてから、頃合いを見計らって、水道の栓を開けたところ、どうも、様子がおかしい、変である。水が、チョロチョロとしか出てこない。少し間があり、出始めたので、良々と思っていたところ、蛇口の左手の温度調節部分が、ドスンという破裂音とともに、すっぽ抜けて、同時に、勢いよく、水しぶきが、もろに、出てきて、靴下から、ズボンの膝下部分が、したたか、びしょ濡れになり、慌てて、元栓を締めに、外へと飛び出した。脚が冷たいことと言ったら仕方がない。後で、聞いたところでは、他のメンバー達は、部屋の水洗トイレのレバーが凍結していたり、やはり、水が出なかったり、ドレインが凍っていたりと、同じく、散々だったらしい。翌日の野焼きは、今度は、なかなか、火が草につかず、燃える草と、燃えにくい草があり、おまけに、秋口に、一度、草刈りをして、枯れさせて、堆肥にしていたから、草自身が短く、これも、うまく、火が付かない原因だったらしい。そんなこんだで、まだら模様で、水も準備していたのに、チョロチョロと、たまに、風が吹くと、少し火勢が、良くなる程度だったが、隣の古タイヤに、土手の火が燃え移り、急に、火勢が大きくなり、急遽、これを、退避・避難させて、一応、事なきを得た。枯れ草をもう少し、効率よく、かき集めるべく、家へ戻り、金属製の熊手を、持ってくると、どうも、様子が、これまでと一変している。隣接する隣の畑付近から、もくもくと、勢いよく、白い煙を上げて、おまけに、チラチラと赤い炎が見え、成る程、これが、本格的な焼き畑農法だと、感心していたら、何やら、パチンコ屋の女店員らしき女性が、金切り声を上げて、「消防の応援を呼びましょうか」、と必死の形相で、炎の向側で、叫んでいる。そのうちに、サイレンの音がし出して、ポンプ車や、消防団も駆けつけ、結局、後から、数えてみたら、40-50人の動員体制だった。それにしても、火の勢いとは、すさまじいモノである。確かに、大規模な野焼きで、焼死者が出るのも、わかる。それも、毎年経験しているベテランですらである。こちらは、況んや、素人をやである。道を隔てたところには、民家が点在していたが、幸い、風向きの加減で、被害はなかったが、今にして思えば、ゾッとする。それにしても、雑草は、枯れ草になると、ほんとに、一寸した火種でも、風により、飛び散り、あっという間に、燎原の火の如く、燃え広がるモノである。ここでも、皮肉にも、耕作地の放棄の実態に遭遇することになった。もうひとつの隣接する土地の所有者の名前も消防・警察では、分からず、消失した土地の持ち主も、老夫婦で、滅多に、田んぼにも、来ないと、責任者が詫びに行ったときに、大きな屋敷で、説明があったそうである。関連する土地の区長や、消防・警察に、こちらの耕作放棄地の再生活動が、皮肉にも、伝わり、ご親切にも、消防関係者からは、最後に、「有毒ガスなど、吸いませんでしたか?」と暖かな言葉を掛けて戴き、恐縮した次第である。結局、麦踏みどころではなかったし、皮肉にも、当方の畑は、黒い斑で、隣の畑は、見事に、真っ黒に、一面丸焼けだった。何はともあれ、大きな事故と損害を出さずに済んだことは、教訓としなければならない。夏に、収穫した野菜を、地元の消防団にも、配らなければ、申し訳ないと思う。今後、野菜作り、田植え、夏の蛍観賞、秋の稲刈り、小麦のうどん作りなど、予定されている。禍転じて、福となることを、、、、、。