枝豆を夏場には、それこそ、毎日、枝付きで、緑色の豆を、蒸して、その青草っぽい香りとともに、食べたが、冬に、立ち枯れした大豆のさや割りをするとは、思ってもみなかった。都会人は、面の皮は、存外、分厚く出来ているものの、その手指の皮は、何とも、心許ないモノである。分厚い手袋でもしてなければ、手の平も、指先も、全く、傷だらけになってしまいそうである。昔の人は、大豆の豆出しは、竹で出来た「めぐり棒」で、乾燥させた大豆の殻を叩いて、落として、「とおみ」という風を利用した機械で、夾雑物と大豆を選別したそうである。もっとも、夜、囲炉裏で、日本酒を酌み交わしながら、手の方は、大豆の丸い粒を、さやを剥いて、出していたそうである。確かに、冬場の夜なべの仕事には、打って付けかもしれない。取り出した黄金色の大豆の粒は、麹いらずの味噌作りではないが、今流行の無農薬、御手製のマイ味噌には、もってこいかも知れません。昔、タイのチェンライで、枝豆の栽培を試みたが、熱帯特有のひどいスコールで、雨期には、苗が、全て流され、大失敗したことを今でも、枝豆を食べる度に想い出さずにはいられない。ブランチ替わりと、メンバーの一人の誕生日祝いを兼ねた私的なサプライズで、御牧ヶ原にある茶房「読書の森」に、お邪魔した。場所や活動は、昔から、知っていたが、初めて、訪問させてもらった。「茨海小学校跡地」という字がかすかに判読できる樹の標榜が、宮沢賢治の狐の学校の参観の童話に、関係して、建てられていたとは、メンバーに教えられるまで、分からなかった。成る程、宮沢賢治のこの童話を知らないと、実際に、廃校になった小学校の跡地と錯覚しても、分からない位である。又、今では死語になってしまったというエジプト象形文字に関する分厚い翻訳辞書や、様々な絵画の作品、染織工房の作品や、子供図書館や、数多くの古本が、所狭しと、古びた本棚に並べられていて、里山の雰囲気の中、お茶を飲みながら、薪ストーブにあたりながら、好きなだけ読書が出来る茶房である。ガンを患っている愛犬(のんちゃん)の展覧会が、開設もされていた。未だ、雪の残る広場には、ロバや山羊が飼われていて、パオの大きなテントとともに、宮沢賢治のメルヘンを具現したような世界が、御牧ヶ原の里山の中に、童心を持った大きな大人達や小さな子供達の訪問を待ち受けている。又、暖かくなってから、落ち着いて、ゆっくり、再訪したいものである。外に出ると、雄大な浅間山が、御牧ヶ原から、眺望できる。夏の蛍観賞が、楽しみである。
茶房 読書の森HP:
http://www.ne.jp/asahi/dokusyonomori/shinsyu/
茶房 読書の森HP:
http://www.ne.jp/asahi/dokusyonomori/shinsyu/