小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

止まるところを知らぬIT端末の進化

2012年02月19日 | 社会戯評
まだ、子供の頃、国鉄の改札口で、駅員が、切符1枚、1枚に、鋏を入れて、入場したり、或いは、差し出された切符を受け取ったり、検札したりして、キセルを防止したり、出場をしたものである。当時、オムロンの自動改札装置導入に対して、労働組合は、労働者の仕事を奪うモノであると、強く反対し、郵便局でも、いつ頃だったか、忘れたが、〒番号装置の導入を巡って、人手による宛先の仕分けに、同じく、組合は、同様の趣旨で、反対したモノである。今では、そんな不毛な議論を良くしていたものだと、驚かざるを得ない。それ程、今日では、IT端末が、普及して、便利さと生産性の向上に、大きく、貢献していることは、万人の認めざるを得ないところである。製造業の危機が、改めて、叫ばれているが、果たして、製造業の雇用が、本当に、経済の発展とともに、サービス産業に、吸収されているのであろうか?米国では、月額100ドル程度で、レストランに、PRESTO(音楽で使われるアレグロよりも、一段、早いという意味)というIT端末が、導入され始め、注文・出来上がりまでの時間・会計なども、自動的に、端末が、ウェイトレスやウェイターに替わって、仕事をこなしてしまうそうである。確かに、今や、回転寿司に行けば、注文も、IT端末で、しかも、出来上がって、ベルト・コンベアーの上に乗せられて、席に近づいてくると、自動的に、知らせてくれたりもする。ファミレスでも、注文は、今や、無線端末による厨房への即時注文である。「クリエイティブな仕事」とか、「より豊かな人間らしい仕事」を、とか、「より付加価値の伴う仕事」を、その代わり、我々はしてゆかなければならない、と言われてきたが、本当に、そうした方向へ、向かっているのであろうか?単純作業の労働形態が、人間性を貶め、機械的な作業化が、人間性を奪うという図式は、今日、又、別の意味合いで、問われ始めているように感じられてならない。科学技術とは、そういう、無駄や無理は、冷徹な科学的な競争原理の中で排除され、無駄のないフォルム、無理のない合理的な動きを目指す、まるで、能楽の動きのように、完璧な合理性を、寸分の狂いもなく、目指すモノなのであろうことは、理解出来るが、、、、、。「無用の用」とかは、今や、「ムダ取り」の前では、為す術もなく、一文の役にも立たない代物になり果ててしまったのだろうか。便利さとともに、何かを失わなければならないというのも、皮肉なことである。