ミャンマーという国で考える:その1
この鎖国に等しかったこの国は、未だに、入国ビザの申請許可がなければ入国は出来ない。何とも、年寄りには、億劫な国である。しかも、ベトナムやタイよりも更に、1時間余り西に、飛ばなければならない。7時間余りの空の旅は、何とも、腰の悪い老人には、結構、長旅である。圧倒的に、入国手続きは、自国民よりも外人が多く、飛行機が、重なり合ったら、どうなるのかと思われるほど、列が長い。しかも、特権階級は、訳の分からぬスタッフが、お出迎えで、簡単に、イミグレは、通過できるのも何とも、この国の現状を暗示しているようでいて、興味深いものがある。それにしても、8年ぶりの割には、車の混雑は、ターミナルでも相変わらずのものである。街中は、バイクが通行禁止のようで、車社会である。電力事情の逼迫で、町全体が街路灯も含めて、そんな余裕はないので、全体的に、暗いので、こちらの眼もそれに連られてか、目がよく見えないなる錯覚に落ちることになる。交通信号の仕組みもよく分からない。やたらと、ある箇所では、猛烈な渋滞に陥るかと思えば、スムースに、スイスイ走り出す道路といい、なかなか、事情が飲み込めない町である。イギリスの植民地主義の趣を残した住宅や、庭園は、歴史の重みを感じられる。ロンジという腰巻きを巻き付けて、男性もゴム・スリッパで、民族文化と上は、ワイシャツというなかなかのアンバランスでも、結構、身分の高い人でも、そんな出で立ちで、現れるのには、少々こちらの方が、面食らってしまう。まるで、ちょんまげ姿で、背広をきているような感覚と云えば、分かりやすいのかも知れない。それにしても、この国は、他の東南アジアの国に漏れず、やはり、地下経済のお金が、鎖国のせいなのか、どうなのか分からぬが、表に、出てこず、それが、ここ3年くらい前からの軍事政権による民政・改革下の流の中で、徐々に、表に出始めてきたようなそんな感じがする。しかも、土地を所有する人間には、地価の上昇という傾向から、結局、それが、事業投資やら、不動産投資という形で、お金が形を変えて、今後は、証券市場とか、債券市場とかに、流れてゆくことになるのかも知れない。そんな段階である。だから、どうも、潜在的な富裕層の人々は、軍人も含めて、何に、投資したら良いのかを模索しているものの、専門的な知識とテクニカル・ノウハウに欠如しているように思えてならない。思うがママに、これまでは、その潜在的な資源や地下経済の資金が、地下水脈のように、国境を超えて、中国に、中国人経由で、吸い取られていたようである。逆説的に言えば、この流が、いまや、逆流のように、西洋、欧州、日本やアメリカを含めて、激流のように、ぶつかり合っているように思えてならない。私には、仮に、日本の若い人で、お金はないが、ある種のノウハウを有する人には、もの凄く、魅力と可能性を秘めている国に思えてならない。丁度、私が、ベトナムのドイモイが始まった頃に仕事をし始めた状況に酷似しているのかも知れない。お金がなかったら、身体を使うか、脳みそを使うしかない。知恵を編み出すしかない。そうすれば、自ずと道は開かれるようにも思えてならない。水産でも農業でも、宝石でも、今回、様々な分野の人達と意見交換し、アドバイスをしてきたが、すべてに共通することは、ノウハウがないと云うことである。とりわけ、ソフトウェアー的なノウハウが無ければ、どんなハードウェアーを導入したり、買い付けても、猫に小判のような物なのかも知れない。それは、あらゆる事業に云えるのかも知れない。接客業でも小売業でも、何でも、可能性に溢れているのかも知れない。何故、若い日本人は、日本国内に拘るのであろうか?人生に、何度でも、やることが可能であれば、これは、海外で、試してみても決して、無駄ではないであろう。8年前に、訪問したときに感じたことが、未だに、可能性があるということは、一体、どういうことであろうか?60軒以上にも及ぶ大小の日本食レストランは、もう、これだけで、ビジネス・チャンス以外のモノはない。野菜の栽培でも、可能性はあるであろう。それにしても、格差社会の前兆がそこここで、垣間見られる。それは、次に書くことにしよう。
この鎖国に等しかったこの国は、未だに、入国ビザの申請許可がなければ入国は出来ない。何とも、年寄りには、億劫な国である。しかも、ベトナムやタイよりも更に、1時間余り西に、飛ばなければならない。7時間余りの空の旅は、何とも、腰の悪い老人には、結構、長旅である。圧倒的に、入国手続きは、自国民よりも外人が多く、飛行機が、重なり合ったら、どうなるのかと思われるほど、列が長い。しかも、特権階級は、訳の分からぬスタッフが、お出迎えで、簡単に、イミグレは、通過できるのも何とも、この国の現状を暗示しているようでいて、興味深いものがある。それにしても、8年ぶりの割には、車の混雑は、ターミナルでも相変わらずのものである。街中は、バイクが通行禁止のようで、車社会である。電力事情の逼迫で、町全体が街路灯も含めて、そんな余裕はないので、全体的に、暗いので、こちらの眼もそれに連られてか、目がよく見えないなる錯覚に落ちることになる。交通信号の仕組みもよく分からない。やたらと、ある箇所では、猛烈な渋滞に陥るかと思えば、スムースに、スイスイ走り出す道路といい、なかなか、事情が飲み込めない町である。イギリスの植民地主義の趣を残した住宅や、庭園は、歴史の重みを感じられる。ロンジという腰巻きを巻き付けて、男性もゴム・スリッパで、民族文化と上は、ワイシャツというなかなかのアンバランスでも、結構、身分の高い人でも、そんな出で立ちで、現れるのには、少々こちらの方が、面食らってしまう。まるで、ちょんまげ姿で、背広をきているような感覚と云えば、分かりやすいのかも知れない。それにしても、この国は、他の東南アジアの国に漏れず、やはり、地下経済のお金が、鎖国のせいなのか、どうなのか分からぬが、表に、出てこず、それが、ここ3年くらい前からの軍事政権による民政・改革下の流の中で、徐々に、表に出始めてきたようなそんな感じがする。しかも、土地を所有する人間には、地価の上昇という傾向から、結局、それが、事業投資やら、不動産投資という形で、お金が形を変えて、今後は、証券市場とか、債券市場とかに、流れてゆくことになるのかも知れない。そんな段階である。だから、どうも、潜在的な富裕層の人々は、軍人も含めて、何に、投資したら良いのかを模索しているものの、専門的な知識とテクニカル・ノウハウに欠如しているように思えてならない。思うがママに、これまでは、その潜在的な資源や地下経済の資金が、地下水脈のように、国境を超えて、中国に、中国人経由で、吸い取られていたようである。逆説的に言えば、この流が、いまや、逆流のように、西洋、欧州、日本やアメリカを含めて、激流のように、ぶつかり合っているように思えてならない。私には、仮に、日本の若い人で、お金はないが、ある種のノウハウを有する人には、もの凄く、魅力と可能性を秘めている国に思えてならない。丁度、私が、ベトナムのドイモイが始まった頃に仕事をし始めた状況に酷似しているのかも知れない。お金がなかったら、身体を使うか、脳みそを使うしかない。知恵を編み出すしかない。そうすれば、自ずと道は開かれるようにも思えてならない。水産でも農業でも、宝石でも、今回、様々な分野の人達と意見交換し、アドバイスをしてきたが、すべてに共通することは、ノウハウがないと云うことである。とりわけ、ソフトウェアー的なノウハウが無ければ、どんなハードウェアーを導入したり、買い付けても、猫に小判のような物なのかも知れない。それは、あらゆる事業に云えるのかも知れない。接客業でも小売業でも、何でも、可能性に溢れているのかも知れない。何故、若い日本人は、日本国内に拘るのであろうか?人生に、何度でも、やることが可能であれば、これは、海外で、試してみても決して、無駄ではないであろう。8年前に、訪問したときに感じたことが、未だに、可能性があるということは、一体、どういうことであろうか?60軒以上にも及ぶ大小の日本食レストランは、もう、これだけで、ビジネス・チャンス以外のモノはない。野菜の栽培でも、可能性はあるであろう。それにしても、格差社会の前兆がそこここで、垣間見られる。それは、次に書くことにしよう。