小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

韓国海難事故に思う:

2014年05月16日 | 社会戯評
韓国海難事故に思う:
それにしても、事故とは、たとえ、それが、人災であろうが、天災であろうが、様々な要因が複雑に重なり合うものである。過積載・荷物がしっかりと止められていなかったこと・確認されていなかったこと・救助ボートが作動しなかったこと・安全教育の不徹底、職務怠慢・船長・船員の職業モラルの欠如・過積載という経済成長優先のつけ・人命軽視の風潮・検査機関や当局との構造的な癒着・船会社オーナーの資質・当局の事故対応能力の欠如と対応の遅さ、等々、数え上げれば切りがないが、失われた人命は、とりわけ、若い修学旅行中であった高校生達の命は、戻ってこない。家族達の思いは如何ばかりのことであろうか?過去の百貨店倒壊事故や橋梁崩壊事故の教訓などが、生かされてこなかったこと、しかも、地下鉄事故や交通機関の事故も、日本や外国などの調査団の方が、自国での安全に、むしろ、生かされる結果になったとか、それにしても、人間の危機意識とは、津波の時もそうであったが、全く、自分には、こうした沈没などと云う危険・危惧は、到底来るモノではないと考えがちな人間の意識というものは、恐ろしいものである。火災でも、同じなのかも知れない。部屋にそのまま、扉を閉めて、止まって下さい等と云われたら、黙って、従っているかも知れない。思えば、外国のホテルで、火災報知器が夜中に、何度も誤作動して、起こされたことがあったが、考えてみれば、これも、恐ろしい話である。又、水位の増した河を亘る渡し船なども、今から思えば、果たして、バランスを考えて、積み込まれていたのであろうか?車の中で、救命胴衣もつけずに、30分程、うたた寝をしていたものである。今にして思えば、全く、脳天気なことである。事故にならずに済んだことに感謝しなければならない。当分は、船旅も飛行機の旅も、回避しなければ駄目かも知れない。流石に、車は、無理であろうが、、、、、、。原因究明と今後の対策と検証が、待たれるが、失われた多くの若い命は、義死者等という称号だけでは、贖えないものがあろう。