小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

ミャンマーという国で考える:その2

2014年05月09日 | 社会戯評
ミャンマーという国で考える:その2
自国の銀行を信用しないと云うこととは、どういうことなのか?何とも、不可思議な国である。決済方法が、すべて、シンガポールにある自社の銀行口座でのドル決済である。これでは、世界銀行の資料にも表の数字等は、全く当てにならない。まさに地下経済以外の何ものでもない。しかも、土地持ちは、皆、一様に、不動産地価の高騰で、金持ちになっている。貧乏人は、ますます、土地は買えない、一生、労働者から抜け出せないのであろうか?まずは、土地活用の話が先行する。まるで、自国の国債を絶対に買わないというのに等しいではないか?いやはや、話を聞けば聞くほど、実に、狂気深い面白い国である。中国人は、鎖国の間に、経済制裁下を利用して、資源を簒奪したい放題にして、ミャンマーを食い物にして、タイ人は、歴史的な対立のせいだろうか、ミャンマーを常に、見下し、鎖国で貧乏な状態にしておくことを意図して、海上の国境を超えて、常に、水産資源を自国へと無断で、持ち去っていると、面白い話に、ミャンマーの海上警備艇は、タイの漁船にすら、そのスピードで追いつけないと、又、マレーシアの漁船は、警備艇に、ドラム缶1本の重油をプレゼントして、それで、無罪放免だそうである。もうこうなると、まるで、幕末の日本へタイム・スリップしてきたような錯覚に陥る。成る程、これでは、知識のある人間が、裏経済で、ブラック・マーケットで、巨大な甘い汁を吸いたい放題であろう。シンガポールという国も、実は、ケイマン諸島同様に、こうして、金融で成り立っていることに、思いを巡らせることになった。もうシンガポールには、観光でも行くつもりがなくなってしまった。あの高層ビルのてっぺんに浮かび上がる巨大な観光名物のプールも、こうして成り立っているのかと思いを巡らせると感慨深いものである。観光という表の顔と国債や地下経済という裏の二重の顔が一皮剥けば現実の顔なのであろうか?厚化粧の裏の顔を、実はミャンマーという国で垣間見ることになる。うすうす、知っていたものの、改めて、現地の複数の人達から、話を聞いてみて、実感すると考えさせられてしまう。日本人とは、一体、何ものなのであろうか?そして、江戸時代の鎖国という政策は、300年もの長きに亘って、本当に、続けられていたのか?長崎の出島は、その意味で、世界へ開かれたインテリジェンス情報と世界貿易の経済特区だったのであろうか?そう考えると江戸幕府というものも、実は、単なる封建制度に乗っかったものだけとは云えないかも知れない。ミャンマーという国は、常に軍事政権が、あるときは、国を開いたり、突然閉ざしたり、自分の都合の意のままに、それを繰り返してきた歴史を有する国のようである。その中で、企業家は、どのように、生き抜き、利益を確保してきたら良いのかを考えた末に、一番安全で、且つ、高利回りの海外資産という二重経済の道を選び、これにより、外貨の交換レートというマジックを使用することで、海外に、或いは、国内で、巨万の富を築くことになったのであろう。成る程、これでは、キム・ジョンウンの北朝鮮の経済と同じではないか?成る程、そういうことなのであろう。日本という国も、戦前では、多かれ少なかれ、同じとは云わぬが、似たようなことを一部の人間は、軍部や特権階級と結託して、やっていたのかも知れぬし、同様のことは、確かに、ロシアでも中国でも、何処でも、未だに、まさに現在進行形なのかも知れない。ロンジーを腰に巻き付けて、ワイシャツ姿のビジネスマン達をみていると、幕末のちょんまげ姿で、背広を着ていた武士の姿が、二重写しに目に浮かぶのは、皮肉である。アジアの成長を日本も自国の成長に取り込まなければならないのは分かるが、何とも、複雑な思いがする。所詮、経済成長するときは、そんなことをすべて、糞も味噌も、すべて、ごちゃ混ぜになって、押し流されて行くものなのであろうか?バスに乗り遅れるな式の発想しか、残されていないのだろうか?そういう矛盾の中でしか、所詮、我々は、生きてゆかなければならないのであろうか?そんなことを考えているよりも、土地の有効活用を考えている人間の方が、結局は、ますます、富むことになるのであろうか?それが、現代社会の自明の理のような気がしないでもない。このミャンマーという国では、、、、、、、、。それでも、この国の人々は、必死に、生き抜いて行かなければならないのである。日本人には、果たして、何が出来るのであろうか?自問自答してしまうが、、、、、、、。