志賀泉トーク&映画、「原発被災地になった故郷への旅」に考える:
「指の音楽」という小説で、太宰治賞を受賞した小説家の志賀泉氏が、その生まれ故郷である福島県南相馬市小高を訪問しながら、津波と原発災害に打ちのめされた通学路や想い出の場所をひとり歩く様子を淡々とドキュメンタリー風に、短編に纏めた映画である。そう言えば、10代の後半には、よく、成田空港反対闘争の三里塚ドキュメンタリー映画が、上映されて、機動隊が出てくるとナンセンスと素早く、掛け声が投げかけられ、機動隊の縦に向かって、火炎瓶が投げられると、これ又、一斉に、ヨーシとまるで、漫才の掛け合いのように、大東亜戦争戦意高揚映画の一幕の如く、そのドキュメンタリー映画は、観るものに向かって、「主体的な行動の在り方」を鋭く、これでもか、これでもかと戸井田出していたことを想い起こすが、、、、、。そんな観客も45年余を経た今日、一体、何人の人が、相変わらず、成田空港利用を断固拒否して、その思想信条・信念を貫いているのであろうか?そう思うと、当時のドキュメンタリー映画に、較べて、この映画は、主催者の一員であるささきりょうた氏が、評したように、確かに、ある種の「歯切れの悪い映画」、或いは、作者の志賀氏自身が、いみじくも語っているように、「立ち位置の分からない映画」であるかも知れない。確かに、直接的な被害者ではない作者、むしろ、ご本人が、語られているように、小説家になるためには、こんな田舎にいては駄目になるという、当時の心の内的葛藤、これは、戦前の故郷を棄てて、都会へと出ざるを得なかった次男坊・三男坊の心の葛藤にも、比することが出来ようし、又、戦後の団塊の世代が、丁度、金の卵と揶揄されて、集団就職列車に揺られながら、故郷を後にしたあの頃の思いにも、重ねられるのかもしれない。それが、津波と原発事故という大震災に見舞われてしまった故郷、とりわけ、ガランとした何もない、昔遠足に行った旧跡や田園風景、街並み、家屋、等を前に、「人間がいない」という風景、それは、直接的な被害者の感情を代弁するものではなくして、観るもの、一人一人に、まるで、答を求めるかのように、画像の中に、自分が投影されていないこと、人間が投影されていないという、「一種の違和感」を何か、抱かせることになる。そこに、ある種の作者の意図的なメッセージ性が、色濃く、出ている反原発ものではない。むしろ、廃炉に向けての原子力科学技術の継続性と必要性を決して否定するモノでもない。しかしながら、観ているものにとって、荒涼とした寂寞感漂う風景には、そこに住んでいる人々の息吹が全く、感じられない。風景画を見るとき、私達は、そこに、人が描かれていなくても、私達は、描き手や鑑賞者の視点を、気が付かないうちに、実は、投影しているものである。しかしながら、この画面には、一夜にして、まるで、ポジティブ・フィルムがネガティブ・フィルムに転換され、それを、観ているような錯覚さえ、起こさせてしまう。仮に、この映画に、敢えて、メッセージ性がどこかに存在するとなると、どうやら、歯切れの悪さ、立ち位置の分かりづらさ、或いは、直接的な被害者と間接的な被害者との違いによるある種の「居心地の悪さ」、或いは、戦争で死なずに生き残ってしまったという戦争体験者の思いに近いものを感じざるを得ないが、、、、、、そんな心の奧底を震撼させるような、心の奥底を振るわせるような「音叉のような短編映画」であるのかも知れない。このトークと映画を主宰されたスタッフ、茶房、読書の森にも、こういう機会を与えて貰ったことに対して敬意を表したいものである。監督の杉田このみ氏、並びに、志賀泉氏の今後の活躍をお祈りしています。
「指の音楽」という小説で、太宰治賞を受賞した小説家の志賀泉氏が、その生まれ故郷である福島県南相馬市小高を訪問しながら、津波と原発災害に打ちのめされた通学路や想い出の場所をひとり歩く様子を淡々とドキュメンタリー風に、短編に纏めた映画である。そう言えば、10代の後半には、よく、成田空港反対闘争の三里塚ドキュメンタリー映画が、上映されて、機動隊が出てくるとナンセンスと素早く、掛け声が投げかけられ、機動隊の縦に向かって、火炎瓶が投げられると、これ又、一斉に、ヨーシとまるで、漫才の掛け合いのように、大東亜戦争戦意高揚映画の一幕の如く、そのドキュメンタリー映画は、観るものに向かって、「主体的な行動の在り方」を鋭く、これでもか、これでもかと戸井田出していたことを想い起こすが、、、、、。そんな観客も45年余を経た今日、一体、何人の人が、相変わらず、成田空港利用を断固拒否して、その思想信条・信念を貫いているのであろうか?そう思うと、当時のドキュメンタリー映画に、較べて、この映画は、主催者の一員であるささきりょうた氏が、評したように、確かに、ある種の「歯切れの悪い映画」、或いは、作者の志賀氏自身が、いみじくも語っているように、「立ち位置の分からない映画」であるかも知れない。確かに、直接的な被害者ではない作者、むしろ、ご本人が、語られているように、小説家になるためには、こんな田舎にいては駄目になるという、当時の心の内的葛藤、これは、戦前の故郷を棄てて、都会へと出ざるを得なかった次男坊・三男坊の心の葛藤にも、比することが出来ようし、又、戦後の団塊の世代が、丁度、金の卵と揶揄されて、集団就職列車に揺られながら、故郷を後にしたあの頃の思いにも、重ねられるのかもしれない。それが、津波と原発事故という大震災に見舞われてしまった故郷、とりわけ、ガランとした何もない、昔遠足に行った旧跡や田園風景、街並み、家屋、等を前に、「人間がいない」という風景、それは、直接的な被害者の感情を代弁するものではなくして、観るもの、一人一人に、まるで、答を求めるかのように、画像の中に、自分が投影されていないこと、人間が投影されていないという、「一種の違和感」を何か、抱かせることになる。そこに、ある種の作者の意図的なメッセージ性が、色濃く、出ている反原発ものではない。むしろ、廃炉に向けての原子力科学技術の継続性と必要性を決して否定するモノでもない。しかしながら、観ているものにとって、荒涼とした寂寞感漂う風景には、そこに住んでいる人々の息吹が全く、感じられない。風景画を見るとき、私達は、そこに、人が描かれていなくても、私達は、描き手や鑑賞者の視点を、気が付かないうちに、実は、投影しているものである。しかしながら、この画面には、一夜にして、まるで、ポジティブ・フィルムがネガティブ・フィルムに転換され、それを、観ているような錯覚さえ、起こさせてしまう。仮に、この映画に、敢えて、メッセージ性がどこかに存在するとなると、どうやら、歯切れの悪さ、立ち位置の分かりづらさ、或いは、直接的な被害者と間接的な被害者との違いによるある種の「居心地の悪さ」、或いは、戦争で死なずに生き残ってしまったという戦争体験者の思いに近いものを感じざるを得ないが、、、、、、そんな心の奧底を震撼させるような、心の奥底を振るわせるような「音叉のような短編映画」であるのかも知れない。このトークと映画を主宰されたスタッフ、茶房、読書の森にも、こういう機会を与えて貰ったことに対して敬意を表したいものである。監督の杉田このみ氏、並びに、志賀泉氏の今後の活躍をお祈りしています。