小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

BS、「桜田門外の変」を再び、観る:

2014年12月08日 | 映画・テレビ批評
BS、「桜田門外の変」を再び、観る:
吉村昭の丁寧な歴史的な追跡の本の映画化である。劇場で観た覚えがある。映画は兎に角、本の方は、読みこなすことが大変であったことを想い起こす。よくもあそこまで、資料を集めたものである。最近、浅田次郎の原作をもとにした映画、「柘榴坂の決闘」を観たが、こちらは、落ち延び、明治まで生き抜いた浪士の話であったが、それにしても、1860年のことであるから、明治維新まで、わずか、8年前のことである。大老、井伊直弼の歴史的な評価は、安政の大獄だけによって、頑迷な保守・封建主義者、歴史を逆廻しに遅らせた張本人という、狭小な見方と評価しか受けていないことは、おおいに、残念なことである。本当にそんな狭小な人物だけであったのであろうか?もっと、時代背景や、人物像、何故、吉村は、著作の中で、もっと、こちらの方へ、時間を割かなかったのであろうか?それとも、むしろ、水戸浪士達の詳細な逃亡とそれらを支えた人々、豪商や豪農達の支援と思想の方こそ、何故、重点が置かれたのであろうか?軍部独裁へと進む過程での2・26事件がターニング・ポイントになったように、明治維新前夜でも確かに、桜田門外の変による大老の暗殺は、同じように、ターニング・ポイントであったことは、間違いないであろうが、、、、、、、。それにしても、余りにも、多くの人の命が、空しく、潰え去ってしまったものである。加害者側のみならず、被害者側の警備の者達、足軽までもが、その親族や子々孫々の者達にも、容赦なく、歴史のむごい仕打ちが、加えられたことは、事実である。浪士を捕縛するために、追撃する元の部下や、同僚達は、一体その後、明治期をどのように生き抜いて行ったのであろうか?そして、その後の人生を、どのように生き延びたのであろうか?刑場の露と消えた者達は、志を遂げたのであるから宜しい(?)が、明治期まで、生き延びた浪士の一人や、その後、警察官として、明治の時代を生き抜いた者達は、どんな思いで、「桜田門外の変」を自分なりに総括したのであろうか?それにしても、20代の若者が、皆、自刃して果ててしまったのは、いくら、武士であったと云っても、複雑な思いがしてならない。これらの者達が、明治期を生き延びていたら、どんなその後の人生を歩んだことであろうか?映画には、残された子供達や妻達、家族が出てきても、決して、語られることはない。我々は、映画の外で、これらを想像しなければならない。きっと、どこかに、彼らは、曾祖母や、曾祖父である子孫が、生き抜いていたことだけは、想像に難くない。映画とは、原作を読んだときとは違って、別の想像力を掻き立てくれるものであり、又、それを見た時の自分の年齢や、或いは、再度、見直したときの状況にもよって、微妙にその印象も変わるものである。銀幕のむこうで演じられている俳優は、変わりないが、それを観るこちら側は、既に、過去の自分とは異なり、変化しているのである。思わず、自分も、10代後半や20代初めの頃の想いを振り返ると、複雑な思いに駆られる。仮に、歴史に、早すぎたとか、時期尚早とかと言う言葉があるのであれば、それは、飽くまでも、歴史という時間を如何にも現代から、都合良く、逆廻しに、遡って観た現代人が言うことであって、まさに、その中で、真っ只中で、その瞬間を生き抜き、行動していた者には、それを云うことは、酷であろう。我々が、学ぶべきとしたら、そうした瞬間に、自分ならば、どうしたら良いか、どうすべきであったかを、歴史のなかを生きた人物達に、問い詰められているということを、自覚することから始まるのかも知れない。曾祖父や曾祖母に、いずれは、自分たちも加わることになる以上、しっかりと、誇りを持って、胸を張って、あの時には、こうしたのであるとしっかりと、子孫には、云いたいものである。