世界の似而非和食文化・演歌を退治する!:
世界にはびこる似而非日本文化をドッキリ企画で、その本来の神髄を思い知らせるという企画の番組である。成る程、アメリカ西部の鮨屋やエチオピアの演歌ショウという題材もなかなか、面白い嗜好である。余りにもひどいライセンス料も支払わないような紛い品は、別にしても、文化というもの自体は、そもそも、模倣から、始まるわけで、その模倣自体や、学ぼうとする意欲は、歴史的に観ても、日本人は、その文化的なルーツを否定は知れない矛盾を有するものであろう。そういう観点から見ていると、なかなか、興味深く、面白いものである。ラーメン等という食文化にしても、元々は、東南アジアや中国の麺の文化を深化(?)或いは、進化(?)させたものなのであろうか?いずれにせよ、どこか、極限まで、麺も、汁も、具材も、日本なりに、アレンジして行き着いた果てが、今日の究極のラーメン食文化であると考えると、オーセンティックな鮨は、鮨で、結構ではあるものの、無論、オーセンティックな本物を否定する気はサラサラないが、それはそれで、純粋培養のようなもので、歌舞伎の型のようなもので、その技術とか、神髄は、継承・保存されなければならない必要性は、充分認識されよう。それにしても、何らかの形で、動機は、不純であっても、それが、仮に、よしんば、金儲けを目的にしたとしても、ある時点から、オーセンティックなものを示しさえすれば、如何に、その鮨が、似て非なるものなのかは、了解されよう。もっとも、江戸時代にそのルーツを辿る立ち食いの前浜の鮨にしても、天ぷらにしても、元来は、ファースト・フード屋台的なものであったことも忘れてはならないであろう。その意味からすれば、包丁による飾りアートにしても、中華料理の飾り切りや飾り盛りに、同じルーツを辿ると云えば、云えないことはないであろう。それはさておいても、確かに、国勢的なグローバルの基準ではないが、最低限の条件を、或いは、基準をクリアしてこそ、グローバルに、食文化は拡がるものなのかも知れない。その意味からすれば、和食というものは、危険危惧種的なものであり、その普及どころか、存在自体が、危険な水準に陥っているのかも知れない。ましてや、この番組でも紹介されたエチオピアの演歌ショーなどは、元々のエチオピア民謡歌手が、そのメロディー・ラインが類似していることから、番組の中の説明では、北島三郎の祭りや与作を歌い始めたものらしい。もっとも、歌詞を全く理解せずに、「演歌はノリである」というだけで、理解していたのは、確かに、天誅に価するのかも知れないが、、、、、。更には、現地では著名な怪しげな音楽プロデューサーも、20余年アメリカに住んでいた経歴から、演歌を聴いたというものであったのには驚くが、確かに、最近でこそ、外国人による演歌歌手やら、上手に、日本語を日本人以上に歌いこなす外国人も出てきているのであるから、無理からぬ事なのであろうか?考えてみれば、漫画であれ、コスプレであれ、演歌であれ、似而非鮨であれ、導入部は、どんな形であれ、まずは、日本文化、食文化、柔道・空手などから、日本自体への理解が始まれば、とりわけ、子供の頃から、日本文化に接する機会が少しでもあれば、エチオピアだろうが、砂漠の果てであろうと、宜しいのではないだろうか?もともと、日本人は、初めは、物真似で、始めて、これを文化的に或いは、哲学的に、深化・進化させて体系化させていったわけであるから、これは、これで、まずは、良しとしようではないか、むしろ、こちら側の方が、世界に対する文化的な情報発信が下手だったのではないだろうか?そう思えば、これからの彼らの精進こそ、おおいに、楽しみである。むしろ、あるべき姿に導くのも宜しいが、私は、もっと、別の形で、カリフォルニア・ロールではないが、どんな世界的な進化が、これから、将来、観られるのか、観てみたいものである。そんな期待をしたいものである。例えば、フレンチ・クジーンと鮨との融合とか、エチオピア版の与作とか、もっとも、現地に、木こりが居るかは分からぬが、、、、、、現地の祭りとか、新しいバージョンが創り出されるとか、そうした手伝いをすることで、新たな刺激も出てくると考えれば、演歌も、おおいに、世界を舞台に、飛躍できる可能性が、大きいと考えるが、そういうことを構想する若い音楽プロデューサーは、日本には、出てこないのであろうか?ユーチューブを外国の人は、結構観ているのであれば、これを逆利用して、やってみたら、おおいに、ビジネス・チャンスがあるのではなかろうか?今や、小さな日本だけに拘らず、発想の転換で、事に当たらなければ、萎縮する一方ではなかろうかとも思うが、、、、、、。将来は、海外の人だけに向けた、専門の演歌チャネルというものがあってもよいし、年末には、紅白歌合戦を各国の国際放送を通じて、ネット配信で、観られても良いのではないだろうか?そんな企画が出てこないだろうか?演歌も、これからは、ENKAの時代かも知れない。
世界にはびこる似而非日本文化をドッキリ企画で、その本来の神髄を思い知らせるという企画の番組である。成る程、アメリカ西部の鮨屋やエチオピアの演歌ショウという題材もなかなか、面白い嗜好である。余りにもひどいライセンス料も支払わないような紛い品は、別にしても、文化というもの自体は、そもそも、模倣から、始まるわけで、その模倣自体や、学ぼうとする意欲は、歴史的に観ても、日本人は、その文化的なルーツを否定は知れない矛盾を有するものであろう。そういう観点から見ていると、なかなか、興味深く、面白いものである。ラーメン等という食文化にしても、元々は、東南アジアや中国の麺の文化を深化(?)或いは、進化(?)させたものなのであろうか?いずれにせよ、どこか、極限まで、麺も、汁も、具材も、日本なりに、アレンジして行き着いた果てが、今日の究極のラーメン食文化であると考えると、オーセンティックな鮨は、鮨で、結構ではあるものの、無論、オーセンティックな本物を否定する気はサラサラないが、それはそれで、純粋培養のようなもので、歌舞伎の型のようなもので、その技術とか、神髄は、継承・保存されなければならない必要性は、充分認識されよう。それにしても、何らかの形で、動機は、不純であっても、それが、仮に、よしんば、金儲けを目的にしたとしても、ある時点から、オーセンティックなものを示しさえすれば、如何に、その鮨が、似て非なるものなのかは、了解されよう。もっとも、江戸時代にそのルーツを辿る立ち食いの前浜の鮨にしても、天ぷらにしても、元来は、ファースト・フード屋台的なものであったことも忘れてはならないであろう。その意味からすれば、包丁による飾りアートにしても、中華料理の飾り切りや飾り盛りに、同じルーツを辿ると云えば、云えないことはないであろう。それはさておいても、確かに、国勢的なグローバルの基準ではないが、最低限の条件を、或いは、基準をクリアしてこそ、グローバルに、食文化は拡がるものなのかも知れない。その意味からすれば、和食というものは、危険危惧種的なものであり、その普及どころか、存在自体が、危険な水準に陥っているのかも知れない。ましてや、この番組でも紹介されたエチオピアの演歌ショーなどは、元々のエチオピア民謡歌手が、そのメロディー・ラインが類似していることから、番組の中の説明では、北島三郎の祭りや与作を歌い始めたものらしい。もっとも、歌詞を全く理解せずに、「演歌はノリである」というだけで、理解していたのは、確かに、天誅に価するのかも知れないが、、、、、。更には、現地では著名な怪しげな音楽プロデューサーも、20余年アメリカに住んでいた経歴から、演歌を聴いたというものであったのには驚くが、確かに、最近でこそ、外国人による演歌歌手やら、上手に、日本語を日本人以上に歌いこなす外国人も出てきているのであるから、無理からぬ事なのであろうか?考えてみれば、漫画であれ、コスプレであれ、演歌であれ、似而非鮨であれ、導入部は、どんな形であれ、まずは、日本文化、食文化、柔道・空手などから、日本自体への理解が始まれば、とりわけ、子供の頃から、日本文化に接する機会が少しでもあれば、エチオピアだろうが、砂漠の果てであろうと、宜しいのではないだろうか?もともと、日本人は、初めは、物真似で、始めて、これを文化的に或いは、哲学的に、深化・進化させて体系化させていったわけであるから、これは、これで、まずは、良しとしようではないか、むしろ、こちら側の方が、世界に対する文化的な情報発信が下手だったのではないだろうか?そう思えば、これからの彼らの精進こそ、おおいに、楽しみである。むしろ、あるべき姿に導くのも宜しいが、私は、もっと、別の形で、カリフォルニア・ロールではないが、どんな世界的な進化が、これから、将来、観られるのか、観てみたいものである。そんな期待をしたいものである。例えば、フレンチ・クジーンと鮨との融合とか、エチオピア版の与作とか、もっとも、現地に、木こりが居るかは分からぬが、、、、、、現地の祭りとか、新しいバージョンが創り出されるとか、そうした手伝いをすることで、新たな刺激も出てくると考えれば、演歌も、おおいに、世界を舞台に、飛躍できる可能性が、大きいと考えるが、そういうことを構想する若い音楽プロデューサーは、日本には、出てこないのであろうか?ユーチューブを外国の人は、結構観ているのであれば、これを逆利用して、やってみたら、おおいに、ビジネス・チャンスがあるのではなかろうか?今や、小さな日本だけに拘らず、発想の転換で、事に当たらなければ、萎縮する一方ではなかろうかとも思うが、、、、、、。将来は、海外の人だけに向けた、専門の演歌チャネルというものがあってもよいし、年末には、紅白歌合戦を各国の国際放送を通じて、ネット配信で、観られても良いのではないだろうか?そんな企画が出てこないだろうか?演歌も、これからは、ENKAの時代かも知れない。