小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

誰でも映像が作れるという時代:

2014年12月27日 | 映画・テレビ批評
誰でも映像が作れるという時代:
何でも、携帯のビデオで撮影した画像を簡単に、スマホなどで、ユーチューブなどへアップ出来るそうである。昔は、映像を作ると云うことは、そんなに容易いことではなかったけれども、それでも、愛好家は、8ミリ撮影機か何かで、自作自演の短編映画を作っていたことを思いおこす。それを考えてみると、随分と隔世の感があるものである。未来の映画監督は、きっと、自分で、小さい時から、作品を簡単に、作れて、しかも、発表出来る場に、おおいに、恵まれるのであろうか?作品の構成と役者と、或いは、映像の加工なども、今や、PCソフトでもって、簡単に編集も出来ることを考えると、プロの映画人達もウカウカしてはいられないかも知れない。世の中は、だんだん、こうした誰でも、平等に、作品を作れ、発表の機会に恵まれ、誰でもが、評論でき、誰でもが、甲乙を簡単につけられる時代になってしまったのかも知れない。それが、果たして、良いことなのか、どうかは、何とも皆目わからぬ。逆に、出来なかったからこそ、一生懸命に、努力して、勉強したり、工夫したりして、作品が出来上がったときの芸術的な喜びも、一塩だったのかも知れないが、それが、今や、簡単に、出来上がってしまうとなると、有り難みも浮かばぬことになる怖れも無きにしも非ずではないだろうか?大きなスケールでの大作も、初めは、ちっぽけな映像の中から、次第に、洗練されて、育てられながら、作られてゆく過程が楽しめたものが、初めから、何事も簡単に、マニュアル本ではないが、いきなり、ロボットの機械化ソフトのように、あっけなく、80点以上のレベルに作品が達してしまうのでは、何とも味気ないものである。評判になった映像作品が、或いは、新進気鋭の監督が、成長して、今後、どのような作品に結実して、化けてゆくのかをじっくり、観たいものである。そんなアッと言わせるような映像作品が、CMでも、映画でもドキュメンタリーでも、期待したいところである。