50年ぶりに再び観る、「アラビアのローレンス」:
新宿ミラノ座のさよならラスト記念上映である。1963年の上映であるから、もう、50年も前の話である。確か、父と一緒に、この映画が観たいと云って連れて行って貰った記憶がある。LPレコードのサウンド・トラック盤を購入したり、岩波新書で出版された同名の本や、原作の「知恵の七柱」(東洋文庫)をむさぼり読んだ覚えがある。初めてのアラブとの出逢いだったような気がしてならない。漠然とした砂漠への思いが、この映画に流れる、時には勇壮な、時に、もの悲しい音楽と、美しい風景・映像美と流血ですら何もなかったかの如く、すべてを吸い込んでしまう砂漠の恐ろしさ、そして、政治的な「イギリスの三枚舌」外交とアラブの部族対立の狭間で、空しく散っていったローレンスの目指したアラブの大義の蹉跌が、当時の少年の私の心には、焼き付いたものである。改めて、50年という時間を超えて、ノー・カット完全版という映画を夫婦で鑑賞しても、全く、この映画は、色褪せないほど、現代的な課題を我々に今日でも、突きつけてくるものである。公開された1963年というこの時期は、今、振り返ってみれば、ナセルによるスエズ運河の国有化の後で、BPの石油利権が大きく揺らぎ、しかも、第二次・三次・四次中東戦争の狭間で、パレスチナの問題が、本格化する頃である。考えてみれば、その50年程前での出来事であったわけである。サイクス・ピコ秘密協定に伴う英仏両国によるアラブ・オスマン帝国の分割、或いは、英仏によるパレスチナの共同統治や、フサイン・マクマホン協定なるものによって、或いは、バルフォア宣言というオスマン帝国からの一定のアラブによる独立保証という矛盾した内容に反して、ローレンスの汎アラブの大義などは、全く、政治的に、「邪魔な存在」に転化してしまうわけで、おまけに、英軍内部でのアラブ支援の在り方に於ける内部対立にも翻弄された結果、所謂、英軍によるトルコ・オスマン帝国への後方攪乱作戦は、アカバ湾の陸路による奇襲成功や、北部戦線、シリア・パレスチナ、最終的には、ダマスカスへの反転進攻も、一足先に、入城を果たして、アラブ国民会議を発足させたにも拘わらず、部族間同士の対立に伴い、遂には、瓦解に至り、失意の内に、エンディングを映画は、迎えることになる。それは、確かに、映画の冒頭で、疾走するバイクで、事故死してしまうローレンスの姿を暗示されたが如きものであり、又、ラクダに乗りながら帰るアラブ部族を横目に、ロールスロイスが、あたかも、英軍の勝利の象徴でもあり、又、その車を、砂煙を上げながら、追い越してゆくオートバイに、何か、彼の象徴的な立場を浮かび上がらせるような演出でもあり、冒頭のオートバイによる事故死とも重なり合う。今日的に観ても、この映画は、無駄に虐殺されるオスマン帝国の敗走兵達には、恐らく、クルド人兵士達が、混じっていたことは確かであり、砂漠の中に、敷設されたビジャール鉄道なども、彼らの手によって、砂漠の中に、同じ遊牧民のノウハウを利用されて、工事が完工されたであろう事は、容易に、想像出来よう。そう思うと、アラブの部族対立、当時の国民会議での対立、統治能力の無さ、その後の1932年のサウジアラビアの成立とか、パレスチナへのその後のユダヤ人の入植問題など、北の後ろに控えるロシア帝国、オスマン帝国、クルド人、パレスチナ問題、むき出しの植民地主義と帝国主義の本性が、この映画の敢えて残酷な戦闘シーンを、ノー・カット完全版という形で、見せつけていたのには、訳がありそうである。初めの部分で、或いは、インターミッションで、勇壮なモーリス・ジャールによる音楽だけが流れたのも、充分聴くだけの価値はある。映画は、やはり、大きな劇場で、画面の後ろから流れてくるサウンドを、身体で受け止めながら、想像力を膨らませながら鑑賞するのも、実に必要不可欠なものであろう。それにしても、この映画は、台詞に、数々の意味深長な言葉が多くて、脚本やデイビット・リーン監督の思いが、込められていて、実に、面白い。いつの時代も、若者が表舞台に立って闘い、その後の処理は、老人達がそのシナリオ通りに処理するのであろうか?人生も、そんなものなのであろうか?自分がこの世に、生を受けて出てくるほんの10数年前に、ローレンスは、事故死してしまったのである。そう考えると、今日的な中東の問題は、依然として、解決されていないとは、全くの驚きである。何故か、日露戦争時の明石元二郎参謀や満州事変の石原莞爾参謀をも、想い起こしてしまった。現代には、こうした情報将校なり、インテリジェンスの裏方役は、日本にはいるのであろうか?それにしても、4時間余りの大作は、体力勝負である。疲れましたが、、、、、実に映画観賞は楽しいものであります。
新宿ミラノ座のさよならラスト記念上映である。1963年の上映であるから、もう、50年も前の話である。確か、父と一緒に、この映画が観たいと云って連れて行って貰った記憶がある。LPレコードのサウンド・トラック盤を購入したり、岩波新書で出版された同名の本や、原作の「知恵の七柱」(東洋文庫)をむさぼり読んだ覚えがある。初めてのアラブとの出逢いだったような気がしてならない。漠然とした砂漠への思いが、この映画に流れる、時には勇壮な、時に、もの悲しい音楽と、美しい風景・映像美と流血ですら何もなかったかの如く、すべてを吸い込んでしまう砂漠の恐ろしさ、そして、政治的な「イギリスの三枚舌」外交とアラブの部族対立の狭間で、空しく散っていったローレンスの目指したアラブの大義の蹉跌が、当時の少年の私の心には、焼き付いたものである。改めて、50年という時間を超えて、ノー・カット完全版という映画を夫婦で鑑賞しても、全く、この映画は、色褪せないほど、現代的な課題を我々に今日でも、突きつけてくるものである。公開された1963年というこの時期は、今、振り返ってみれば、ナセルによるスエズ運河の国有化の後で、BPの石油利権が大きく揺らぎ、しかも、第二次・三次・四次中東戦争の狭間で、パレスチナの問題が、本格化する頃である。考えてみれば、その50年程前での出来事であったわけである。サイクス・ピコ秘密協定に伴う英仏両国によるアラブ・オスマン帝国の分割、或いは、英仏によるパレスチナの共同統治や、フサイン・マクマホン協定なるものによって、或いは、バルフォア宣言というオスマン帝国からの一定のアラブによる独立保証という矛盾した内容に反して、ローレンスの汎アラブの大義などは、全く、政治的に、「邪魔な存在」に転化してしまうわけで、おまけに、英軍内部でのアラブ支援の在り方に於ける内部対立にも翻弄された結果、所謂、英軍によるトルコ・オスマン帝国への後方攪乱作戦は、アカバ湾の陸路による奇襲成功や、北部戦線、シリア・パレスチナ、最終的には、ダマスカスへの反転進攻も、一足先に、入城を果たして、アラブ国民会議を発足させたにも拘わらず、部族間同士の対立に伴い、遂には、瓦解に至り、失意の内に、エンディングを映画は、迎えることになる。それは、確かに、映画の冒頭で、疾走するバイクで、事故死してしまうローレンスの姿を暗示されたが如きものであり、又、ラクダに乗りながら帰るアラブ部族を横目に、ロールスロイスが、あたかも、英軍の勝利の象徴でもあり、又、その車を、砂煙を上げながら、追い越してゆくオートバイに、何か、彼の象徴的な立場を浮かび上がらせるような演出でもあり、冒頭のオートバイによる事故死とも重なり合う。今日的に観ても、この映画は、無駄に虐殺されるオスマン帝国の敗走兵達には、恐らく、クルド人兵士達が、混じっていたことは確かであり、砂漠の中に、敷設されたビジャール鉄道なども、彼らの手によって、砂漠の中に、同じ遊牧民のノウハウを利用されて、工事が完工されたであろう事は、容易に、想像出来よう。そう思うと、アラブの部族対立、当時の国民会議での対立、統治能力の無さ、その後の1932年のサウジアラビアの成立とか、パレスチナへのその後のユダヤ人の入植問題など、北の後ろに控えるロシア帝国、オスマン帝国、クルド人、パレスチナ問題、むき出しの植民地主義と帝国主義の本性が、この映画の敢えて残酷な戦闘シーンを、ノー・カット完全版という形で、見せつけていたのには、訳がありそうである。初めの部分で、或いは、インターミッションで、勇壮なモーリス・ジャールによる音楽だけが流れたのも、充分聴くだけの価値はある。映画は、やはり、大きな劇場で、画面の後ろから流れてくるサウンドを、身体で受け止めながら、想像力を膨らませながら鑑賞するのも、実に必要不可欠なものであろう。それにしても、この映画は、台詞に、数々の意味深長な言葉が多くて、脚本やデイビット・リーン監督の思いが、込められていて、実に、面白い。いつの時代も、若者が表舞台に立って闘い、その後の処理は、老人達がそのシナリオ通りに処理するのであろうか?人生も、そんなものなのであろうか?自分がこの世に、生を受けて出てくるほんの10数年前に、ローレンスは、事故死してしまったのである。そう考えると、今日的な中東の問題は、依然として、解決されていないとは、全くの驚きである。何故か、日露戦争時の明石元二郎参謀や満州事変の石原莞爾参謀をも、想い起こしてしまった。現代には、こうした情報将校なり、インテリジェンスの裏方役は、日本にはいるのであろうか?それにしても、4時間余りの大作は、体力勝負である。疲れましたが、、、、、実に映画観賞は楽しいものであります。