小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

ヨーカ堂の社長交代に思う:

2016年05月17日 | 社会戯評

ヨーカ堂の社長交代に思う:

企業というモノは、とりわけ、オーナー企業の場合でも、或いは、中興の祖による輝かしい業績を有する企業でも、随分と、最近では、組織ガバナンスの問題とか、オーナー宗家との関係性やら、宗家内部での骨肉を相食む親子の関係やら、或いは、米国流の物言う株主などと云う複雑な問題が、出てきて、更には、最近では、外部監査役とか、訳の分からぬ社外重役とか、学者も含めた人材の登用など、誠に、一筋縄ではゆかない様相を呈しているようである。新聞報道で読む限り、イトーヨーカ堂、セブンイレブンの社長交代劇を見るたびに、改めて、こうした問題が、大きなリスクなのであることを、感じざるをえない。マクドナルドの藤田田ではないが、『勝てば官軍!』、何でも宜しいから、業績がすべてであって、どんなに、屁理屈、理論を並べ立てたところでも、業績が上がらず、結果として、衰退へと坂道を下って行けば、もう組織というモノは、それで、一事が万事、評価されないモノでもある。逆に、どんなに、業績が良くても、時間をある時点の未来の一時期から、逆廻しに見た時に、実は、その時が、好調な業績のピークであって、そこから、知らぬ間に、下降してゆく下り坂の始まりだったとは、誰しもが、気が付かないモノかも知れない。一強多弱のコンビニ業界でも、錯覚ではないが、鈴木氏は、決して、オーナー宗家ではなくて、実は、創業者・宗家でもなかったわけで、もっとも、自らが手掛けたこのコンビニという業態事体が、もう1人の嘗ての番頭であった鈴木氏と一緒に、二人三脚で作り上げてきたものの、いつしか、出来上がった道を、様々な後からやってきた人達が、企業ガバナンスだとか、物言う株主のファンドとか、外部社外取締役とか、学者先生達によって、どうやら、自らのカリスマ性を否定された挙げ句の果てに、商人の根本である、『動物的・本能的な勘』までも否定されてしまい、つまり、業績が一番良いときに、何故、社長を交代させる必要があるのか、という実に悩ましいが、誰もが反対が出来ない理由で、辞任せざるをえなくなったことは、誠に、御本人は、忸怩たる思いがあったことであろう。もしも、藤田田が生きていたら、どのようにコメントしたであろうか?なかなか、興味深いモノである。『終わりの始まりの兆し』とでも、云ったであろうか?もう、後は、これから先、何年後かの業績の推移を見守るしかないであろう。しかし、科学的な理論と、果たして、カリスマの勘とは、どちらが、将来、優っていたことを証明するのであろうか?他人事といえば、それまでの話であろうが、、、、、、。社員や、取引先、関係者・フランチャイジー達は、他人事ではなかろうが、、、、、。この先、どうなるのであろうか?