小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

ワールドカップ最終強化試合に考える:

2014年06月08日 | スポーツ
ワールドカップ最終強化試合に考える:
別に、サッカーファンでもなければ、ワールドカップに拘るものでもない。敢えて言えば、スポーツ観戦が好きなだけなのかも知れない。どうも、スポーツは、というよりも、勝負事というものは、たいてい、対戦前に、余りに、期待しすぎると得てして、ガッカリさせられるものであることは、これまでの経験上、分かっている。なでしこに較べて、男子サッカーの日本代表は、どうも、試合の開始早々に、弱く、球際や競った時に、安易に、ボールを奪われたり、ミス・パスしたりと、なかなか、瞬時の判断や、ここぞという時の勝負に、いつも、弱いような気がしてならない。とりわけ、ここ一番のメンタルの弱さや、判断の遅れが致命的で、ゴールできるかとおもうと、逆に、外したりしてしまうのは、一体、どこに、原因があるのであろうか?ネイマールのようなミラクル・ボディーを有する超一流選手の科学的な動きと判断力の解析を試みた映像を観るにつけ、やはり、そこには、科学的・合理的な必然性があることが初めて理解出来る。だからこそ、こうした科学的・理論的・合理的なコーチングやレッスンが、子供の頃からも、遊びや運動の中にでも、不可欠なのかも知れない。メンタル・トレーニング以前の基礎的な運動解析が必要なのかも知れない。これまでは、一度、先行されたり、追いついても、又、抜かれるだろうとか、逆転されると、もう、これまでと思いがちであるが、最近では、どうも、事情が異なり始めているようである。今回も、後半に、追いつき、追い越すと、又、同点にされてしまい、これまでの実力であれば、せいぜいが、引き分けくらいだったのに、何と、大久保の難しい縦パスからを受けてからのワン・タッチ・ゴールで、突き放し、そのまま、危険な終了間際の時間帯も克服し、なんとか、試合が終了した。それでも、ワールドカップに、期待することは、まだまだ、微妙なものがあろう。日本人の心配性で、事前に良すぎても駄目だし、逆に、駄目でも、いずれにせよ、どちらに転んでも、心配してしまうし、あれこれと、批評してしまいがちである。はてさて、この結果は、実際の本番では、どうなることであろう、あまり、期待しないで、観戦することにしようか?それにしても、地球の裏側だから、試合時間が、気になろう。ライブは難しいかな!

無線LAN搭載航空機の増加に思う:

2014年06月07日 | 社会戯評
無線LAN搭載航空機の増加に思う:
何でも、各航空会社の間で、今や、乗客へのイン・フライト・サービスの向上なのかどうかは分からぬが、スマホやPCでの無線LANサービスを提供出来る航空機を増加させようという動きがあるそうである。いやはや、一昔前までは、携帯電話の電源を必ず切って、じっと、長い飛行時間の間、飛行機会社の提供する観たくもない映画を観たり、聞きたくない音楽を、読書と食事の時間以外には、楽しまざるを得なかったものである。しかし、これも、どうやら、おおいに、革新されそうである。もうこうなると、只今、海外出張中で、返事が遅れますなどという口実は、もはや、効かなくなるかもしれない。素人には、どうも、航空機での無線と言う代物がよく分からない。以前には、離発着の時に、携帯電話の電源を切っていないと、航空機の機器へ、不具合を発生させるとかで、それ故、電源を切っておくことがか、必須であったが、、、、、、。こうなると、一体、あれは、何だったのであろうかと考えさせられてしまう。いずれにせよ、技術革新につれて、どんどん、移動中でも、ゆっくりと寝ていられない時代が来そうである。いやはや、現役の出張族は、ますます、大変な時代に入ってゆく気がしてならない。新幹線の中でも、飛行機の中でも、近い将来は、高速道路でも、自動運転をしながら、パソコンに向かってキーボードを打ち続ける運転者を見かけるのも、ひょっとして、現実外れした絵空事ではなくなる日も来るかも知れない。これは、もう、笑い事ではないかも知れません。どこでも、Wi-Fi になってしまうかも知れませんネ!

半年海外旅行とカップルの在り方:

2014年06月06日 | 社会戯評
半年海外旅行とカップルの在り方:
海外からの旅行者に接する度に、実に色々な生き方があるものであると、驚かされるが、流石に、会社勤めを辞めて、半年もの長い間、日本、それも、大坂・京都・松本・茅野・小諸・東京と二人で、仲良く、自前のバイクで、サイクリング・ツアーをしながら、鉄道を乗り継いで、旅行をし、更には、中近東・モロッコを経て、スペインからヨーロッパを1ヶ月、更に、イギリスから、アメリカへ渡り、又、1ヶ月と合計6ヶ月を掛けて、シドニーに戻るというオーストラリアからの旅行者カップルに出会った。何でも、久しぶりの雨に遭遇して、びしょ濡れの所を、あぐりの湯に、連れて行き、ゆっくり暖まり、着替えをして貰ったが、それにしても、半年の長きに亘って、しかも、会社を一旦辞めて、貯金で、海外旅行に、出たそうである。流石に、夫婦だとは、言っていなかったので、年齢やプライバシーを尋ねるのも、控えさせて貰ったが、何とも、人生、実に、色々な生き方があることを、改めて、お教え戴いた次第である。もっとも、こうした生き方は、必ずしも、当たり前ではないと、当人達が言っていたが、、、、、(確かにそうかも知れない)。人生に、再び、時間を巻き戻して、繰り返しが出来るのであれば、自分は、そんなことを出来るであろうかとも、、、、、、、自問自答してしまう。オーストラリアに帰国したら、又、IT関連の新しい仕事と就職口を探すそうで、自分で、通気性の良い泥をコンパネに塗りつけた家をシドニーで新築する予定だそうで、中近東・北アフリカでも、実際に、そうした家を観て帰りたいと言っていたが、、、、、、、、。それにしても、事実婚も、それはそれで、宜しいのではないかとも、こうしたカップルを観るにつけ、日本人の結婚観に対する疑義を呈さざるを得ない。仕事というものも、長期休暇とか、日本人には、所詮、週末と祝祭日・休日を利用しても、せいぜいが長くても7-10日くらいであろうか?ましてや、パートナーと一緒の休暇などになろうものなら、「退屈してしまう」などという穏やかならぬ発言までも聞こえてきそうである。遅ればせながら、毎日が日曜日になって初めて、こうした様々な生き方を見せて貰って考え込んでしまう訳である。それでも、自分は、どんな生き方と休暇の取り方をしていたものであろうか?おおいに、考えさせられる海外のカップルであった。FBによれば、今現在、アブダビだそうである。改めて、オーストラリアの生活費が、いかに安いかを実感したそうである。これから先の旅の安全を祈ってみたいものである。

赤松の立ち枯れと偽アカシヤの怪しい花の美しさ:

2014年06月05日 | 自然・植物・昆虫
赤松の立ち枯れと偽アカシヤの怪しい花の美しさ:
敷地内の赤松が、太い松も含めて、3本も、同時に、松食い虫の被害にあって、完全に枯れてしまった。しかも、3本共に、クレーン車でなければ、伐採できない微妙な場所である。何とも手痛い出費である。市の松食い虫立ち枯れ伐採助成金を自分で申請して、少しでも税金による補助金で、補填しないと、年金生活者にとっては、堪らない出費である。それにしても、車で、ドライブしていると、緑色の山が、今や、赤茶けてしまい、全山、緑が喪失しつつあるようである。僅かに、まだら色に、山桜の開花の季節は、まだよいものの、それが終わって、新緑になるや、今度は、そこここで、白い淡い花模様が、咲き乱れる。何とも、怪しい美しい花である。例の外来危険危惧種である「偽アカシヤの並木道」である。確かに、養蜂家にとっては、偽アカシヤの花は、蜂蜜を採取するのに、便利かも知れないが、大体、外来危険危惧種という物は、どういうわけか、花が、怪しいくらいに、美しい、中には、それと知らずに、草花や種をご丁寧に、持ち帰っては、知らずに、庭先へ、播いてしまうご老人がいるくらいである。後から、ニュースや新聞で、じつは、それらが、外国から入ってきた外来危険危惧種で、焼却処分が指導されていることを知らされるのが落ちである。それにしても、凄まじいほどの生命力、繁殖力で、今や、街道という街道、全山、放っておこうものならば、偽アカシヤだらけとなり、しかも、巨木化とも相俟って、他の種類の木々を見事に、あっという間に、駆逐して、絶滅・消滅させてしまう、湖のブラック・バスのような存在である。友人の奥様に、3-4年ほど前に、教えられて以来、徹底的に、小さいひこばえのうちから、伐採・駆逐しているが、皮肉にも、お隣さんの敷地に今度は、越境、存命することになってしまった。それにしても、街道に咲き誇る怪しげな美しい白い花を観るにつけ、一体、この先、何処まで、人の手が届かないとなると、繁殖することになるのであろうかと考えると、自然界の生態系とは、実に厄介であることが、容易に、理解されよう。今や、景観も変貌しつつあるのは、至極、残念なことである。クリーム色の花殻が、今度は、道路の両側に、一面、雪のように、積もり始めている。

今年の夏は、色々な帽子を被ることにした!:

2014年06月04日 | 社会戯評
今年の夏は、色々な帽子を被ることにした!:
別に国際的な著名な帽子デザイナーである平田暁夫さんが亡くなったから、それに触発されたわけではない。只単に、禿げ隠し(?)なのかも知れない、そう言われても、自信を持って、否定しきれないところがあるのは、どうしたものであろうか?それにしても、同年代の友人達も、どういう訳か、この年頃になると、チロリアン・ハットのような帽子までも被り出し始めている。現役時代には、これはなかった現象である。どういう心境なのであろうか?昔は、父の若い頃の写真には、結構、帽子を旅行にも被っていき、他の参加者達と一緒に、その帽子を被っている写真が、アルバムに残されてもいることを記憶している。夏場は、日差しがきついこともあって、外での作業などには、小バエやアブよけのネットが折りたたまれているサファリ・ハットや、風通しの良いストロー・ハット、これは、又、ゴルフでも、蒸れなくて、風通しが良くて、大変便利である。ベトナムの古い友人が、旅行の土産にといって無理矢理買ってくれたベトコンの緑色のジャングル帽子も、なかなか、夏場には、良さそうである。もっとも、街中には、流石に、これを被って歩いてゆく訳にもゆかず、もっぱら、これは、自宅での庭いじりの時に、被るのが最適であろう。緑の樹海に、カモフラージュで、紛れ込みそうである。ベトコンになった心地になるのは、不思議である。ゴルフ・キャップは、スポーツの時には、一番便利である。テニスにも、よく被ったものである。平静は、夏物のハンチングが、手っ取り早いかも知れない。昔、腕時計に、凝った友人がいたが、どうも、私は、余り、関心がなかった。所詮、時間を見るだけの物であるとしか、割り切れなかったからであろうか?その点、帽子は、結構、被っていると、面白くて、実用的である。TPOに応じて、使い分けるだけではなくて、結構、被るという行為自体が、何か、新しい自分を装うような感じがしてならない。個人の帽子デザイナーをお願いするなどとなると、それはもう、大げさな話ではあるけれども、決して、夢物語ではないかも知れない。皇室御用達とまでは行かなくても、ワイシャツの仕立てとか、カフス・ボタンに凝るとか、或いは、ネクタイに凝るとか、靴に凝るとか、帽子に凝るという究極の選択も、如何であろうか?そんなところにも、何か、ビジネス・チャンスは、ひょっとして、転がっていたりはしないであろうか?もっとも、一点、2000-3000円程度では、余り大金商売規模にはならないのであろうが、、、、、、気落ちはもう、何故か、ゆったりとした気分になるのは、この上なく間違いない。帽子を被るという言うことをもう一度、見直してみたいものである。そうすると、生活にも、何か、変化が出てくるかも知れない。そんな気がしてならない。

第2・第3外国語を考える:

2014年06月03日 | 社会戯評
第2・第3外国語を考える:
¬大学時代、英語以外は、第2外国語の選択対象は、せいぜいが、ドイツ語・フランス後・スペイン語・中国語くらいであったが、実際、社会に出てから、実践で、ドイツ語を使ったことは、全くと言って良いほど、無かったのが事実である。むしろ、英語主体で、それも、英語をある程度、マスターすると、今度は、現地での言葉を、例えば、中国語、スペイン語、或いは、朝鮮語、タイ語、ベトナム語など、少なくとも、日常生活に、困らぬ程度の最低限度の会話くらいは、独自に、勉強マスターして、レストランやタクシー、ホテルでの会話に、必要不可欠なものとして、使用したものである。さすれば、一体全体、何十年の長きに亘って、何故、こんな実践で使われもしない第2外国語が、必修科目であったのであろうか?今時になって、やっと、改革の手が入ろうとしているそうではないか?これでは、遅過ぎし由良之助ではないか!少なくとも、自分の経験からすれば、現地語の実践活用は、最低でも、私は何々したい、何々して下さい、という自分自身の最低限度の自己主張を会話表現出来ないと、相手は、構ってくれないし、何もしてはくれないと言うことを肌身をもって、学んだものである。だから、第2外国語も、第3外国語も、同じようなフレーズを、私は、何カ国語かで、最低、話せるように、海外旅行の際には、こうした会話帳を持ち歩いているし、覚えることにしている。むろん、数字や時間等も、同じフレーズで、何カ国語でも暗記していれば、何とかなるものである。「何でもみてやろう」ではないが、「何でも喋ってやろう」の精神である。ラテン系の言葉は、単語が似ているから、むしろ、私は、日常スペイン語会話を、英語の会話本を購入することで、日常会話を勉強したものである。カフェ・コン・クレマ・イ・アズカは、確かに、coffee with cream and sugarであることを理解出来れば、勉強もそれ程難しくはないものである。もっと、専門家が、素人にも、日常使えるような最低限度の第2・第3外国語のテキスト・ブックを出版してもらいたいものである。ここにも、ビジネス・チャンスが、転がっていそうである気がしてならない。もうこれからは、第2第3外国語の時代に突入しているのかも知れない。時代遅れの改革が望まれよう。

志賀泉トーク&映画、「原発被災地になった故郷への旅」に考える:

2014年06月02日 | 社会戯評
志賀泉トーク&映画、「原発被災地になった故郷への旅」に考える:
「指の音楽」という小説で、太宰治賞を受賞した小説家の志賀泉氏が、その生まれ故郷である福島県南相馬市小高を訪問しながら、津波と原発災害に打ちのめされた通学路や想い出の場所をひとり歩く様子を淡々とドキュメンタリー風に、短編に纏めた映画である。そう言えば、10代の後半には、よく、成田空港反対闘争の三里塚ドキュメンタリー映画が、上映されて、機動隊が出てくるとナンセンスと素早く、掛け声が投げかけられ、機動隊の縦に向かって、火炎瓶が投げられると、これ又、一斉に、ヨーシとまるで、漫才の掛け合いのように、大東亜戦争戦意高揚映画の一幕の如く、そのドキュメンタリー映画は、観るものに向かって、「主体的な行動の在り方」を鋭く、これでもか、これでもかと戸井田出していたことを想い起こすが、、、、、。そんな観客も45年余を経た今日、一体、何人の人が、相変わらず、成田空港利用を断固拒否して、その思想信条・信念を貫いているのであろうか?そう思うと、当時のドキュメンタリー映画に、較べて、この映画は、主催者の一員であるささきりょうた氏が、評したように、確かに、ある種の「歯切れの悪い映画」、或いは、作者の志賀氏自身が、いみじくも語っているように、「立ち位置の分からない映画」であるかも知れない。確かに、直接的な被害者ではない作者、むしろ、ご本人が、語られているように、小説家になるためには、こんな田舎にいては駄目になるという、当時の心の内的葛藤、これは、戦前の故郷を棄てて、都会へと出ざるを得なかった次男坊・三男坊の心の葛藤にも、比することが出来ようし、又、戦後の団塊の世代が、丁度、金の卵と揶揄されて、集団就職列車に揺られながら、故郷を後にしたあの頃の思いにも、重ねられるのかもしれない。それが、津波と原発事故という大震災に見舞われてしまった故郷、とりわけ、ガランとした何もない、昔遠足に行った旧跡や田園風景、街並み、家屋、等を前に、「人間がいない」という風景、それは、直接的な被害者の感情を代弁するものではなくして、観るもの、一人一人に、まるで、答を求めるかのように、画像の中に、自分が投影されていないこと、人間が投影されていないという、「一種の違和感」を何か、抱かせることになる。そこに、ある種の作者の意図的なメッセージ性が、色濃く、出ている反原発ものではない。むしろ、廃炉に向けての原子力科学技術の継続性と必要性を決して否定するモノでもない。しかしながら、観ているものにとって、荒涼とした寂寞感漂う風景には、そこに住んでいる人々の息吹が全く、感じられない。風景画を見るとき、私達は、そこに、人が描かれていなくても、私達は、描き手や鑑賞者の視点を、気が付かないうちに、実は、投影しているものである。しかしながら、この画面には、一夜にして、まるで、ポジティブ・フィルムがネガティブ・フィルムに転換され、それを、観ているような錯覚さえ、起こさせてしまう。仮に、この映画に、敢えて、メッセージ性がどこかに存在するとなると、どうやら、歯切れの悪さ、立ち位置の分かりづらさ、或いは、直接的な被害者と間接的な被害者との違いによるある種の「居心地の悪さ」、或いは、戦争で死なずに生き残ってしまったという戦争体験者の思いに近いものを感じざるを得ないが、、、、、、そんな心の奧底を震撼させるような、心の奥底を振るわせるような「音叉のような短編映画」であるのかも知れない。このトークと映画を主宰されたスタッフ、茶房、読書の森にも、こういう機会を与えて貰ったことに対して敬意を表したいものである。監督の杉田このみ氏、並びに、志賀泉氏の今後の活躍をお祈りしています。

カープ女子やマイルド・ヤンキーという視点:

2014年06月01日 | 社会戯評
カープ女子やマイルド・ヤンキーという視点:
野球の観戦などと言うものは、そもそも、野球好きの父親に、手を取られて、贔屓の球団の応援に出掛けるというのが、きっかけではなかろうか?広島カープという球団は、というよりも、広島県人といったほうが宜しいのかも知れないが、独特の雰囲気があります。しかり、「カープ命」なのであって、他の球団は、むろん、論外なのであります。それは、カープ女子にも、云えるのでありましょうか?関東や関西からも応援ツアーで、大挙、押しかけてくるそうで、その経済効果たるや、如何ほどのものがあるのであろうか?もうこうなると、球場側も、指定席に、各地方からの応援席を割りあてておかなければなりません。今や、球場自体が、一大イベントの場と化してしまうようです。それにしても、球場入場者数が、右肩下がりに、下がりっぱなしであれば、女子のファンを増やす必要性は、妥当なマーケティング手法でありましょう。カープ女子は、明らかに、結婚しても、必ず、球場へ、子供と一緒に、夫と共に、或いは、家族総出で、応援に駆けつけることは必至でありましょう。今時珍しい拡大再生産ですね!カープだけではなくて、他の球団も、同様な組織的な対応を既にしているようです。こうなると、もう、男主導の応援などと言うものも、変わってくる可能性がないでは無いでありましょう。野球で成功したのであれば、今度は、大相撲にも、対応出来るのであろうか?それにしても、歴女、理系女子、カープ女子、これからも、どんなジャンルで、出てくるのでありましょうか?逆説的に言えば、それは、余りにも、いずれも、男子中心のジャンルだからという反動なのであろうか?それとも、素晴らしいマーケティング手法の成果なのであろうか?これに関連するかどうかは分からぬが、何でも、最近では、一寸郊外に住む仲間意識が強い「マイルド・ヤンキー」なる階層、とりわけ、若くして結婚して所帯を有して、車嗜好や消費も旺盛な層に対して、商品を提供しようという動きがあるそうです。「若い悟り世代」や、今時消費を毛嫌いする、貯蓄志向だけだと思っていたら、そうでもなさそうですね。要するに、マーケティング手法のセッグメントが、違うだけで、もともと、そういう層は、確かに、潜在的に、存在していただけなのかも知れません。そうなると、一体、企業戦略上のコア・マーケティングとは、本当に、正しいのでしょうか?もっと、もっと、緻密に、詳細に、ニッチなところまで、きめ細かに、光を当ててゆけば、様々な可能性があると云う事なのかも知れない。現役のマーケターには、もっと、頑張って貰わなければなりませんね!これからのビートルズ世代や団塊の世代も、一括りされずに、ヤンチャな爺さん・婆さんというカテゴリーも、将来、ファーカスされるかも知れません。こりゃぁ、お楽しみです。若いイケメン・モデルばかりでなく、だれか、こういうチャラクターを体現するような芸能人が、CMに、起用されないでしょうか?ユニクロに期待しては間違いでしょうか?